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教会のマニュアル「手引き」について

筆者の所属する末日聖徒イエス・キリスト教会では、有給の聖職者はおらず、一般会員が様々な役職に召され、すべてボランティアで運営されています(ただし、教会の本部施設には職員という形で有給の人員が存在します。しかし、そこはサービスセンターであり、そこで働くスタッフは聖職者ではありませんし、各地の教会に対して何の管理権も持ちません)。

さて、そんな私たち末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、地元の教会で人の救いと助けが必要な人に対して奉仕をするわけなのですが、その際に私たちは「手引き」というマニュアルを渡され、それを読み込むように指導されます。

しかし、じつはこの指導は日本の教会だけで行われているローカルルール(正式なものではない)で、教義的に間違った運営方法なのです。

現実社会でも、新人でもない限りマニュアルを見ながら仕事をする人間はいません(もしいたら即リストラ対象でしょう)。
パソコンの取説をいくら読み込んだからといって、パソコンを使って画像処理をしたり文章を作ったりはできないのと同じです。

今回、このことについて書いた方がいいと感じましたので、書かせていただきますが、これは日本の末日聖徒イエス・キリスト教会がより良い状態になり、多くの人の喜びと助け、救いのために役立つと考えた故のことです。教会を非難したり、特定の誰かを貶める意図は毛ほどもありませんので、その点は何卒ご留意ください。


教会で奉仕する際に必要なことはすべて「聖典」に書いてある


教会で奉仕をするうえで難しいことや分からないことは、正直あります。
とくに、困っている方をどう助ければいいのか、みんなが喜びを得られるようにするには何をしなければならないのか、多くの課題があります。

そんな時に私たち会員が頼るべきものは「聖典(新、旧約聖書、モルモン書、教義と聖約、高価なる真珠)」です。
聖典には、このように書かれています。

見よ、わたしはあなたに一つの戒めを与える。あなたは記されているものに頼りなさい。
その中には、わたしの教会とわたしの福音とわたしの岩の基について、すべてのことが記されているからである。

教義と聖約18章3-4節

この聖句にある「記されているもの」とは聖文、それが載った聖典のことです(手引き、マニュアルではありません)。

私たちは自分の日常生活で逆境にぶち当たったり、問題が生じた時には神様の助けと導きを求めて聖典を開き、そこに書かれていることを参考に、それらのことに対処します。

この原則は教会の運営でも同じで、わざわざ聖典には「教会と福音についてすべてのことが記されている」とまで書かれているわけですから、手引きよりも聖典、聖文を頼るべきなのです。

聖典に頼ることは「戒め」であると書かれています。

したがって、聖文、聖典よりもマニュアルである「手引き」を優先する日本の一定数の指導者の運営方法は、問題があると言わざるを得ません。

「聖霊」はすべてのことを教えてくださる

末日聖徒イエス・キリスト教会の教義から、筆者は神は3人いると信じており、それぞれ「天の父なる神」「御子イエス・キリスト」「聖霊」3人の別個の神が私たちを愛し、この地球での生活によって成長して救いを得られるように助けてくださると信じています(この3人の神々は別個のお方であり、独立した神であり、ゆえに「三位一体」は信じていません)。

そのうちの「聖霊」という神は、私たちを導き、必要なことを個人的な啓示によって教えてくださる方です。
聖霊について、聖典には次のように書かれています。

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。

ヨハネによる福音書14章26節

……聖霊は,あなたがたがなすべきことをすべてあなたがたに示されるであろう。

ニーファイ第二書32章5節

……そうすれば,あなたはわたしの御霊,聖霊,すなわち慰め主を受けるであろう。その慰め主は,王国にかかわる平和をもたらす事柄をあなたに教えるであろう。

教義と聖約36章2節

3番目の聖句の「王国にかかわる平和をもたらす事柄」の(地上の)王国とは教会を指しています。
つまり聖霊は、教会に関する事柄において課題に対する対処やなすべきことを教えてくださるのです。

だからこそ、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、聖典と同時に聖霊から個別のケースごとに導きを受けなければならないのです。
マニュアルである手引きに書かれている対処法で一律処理してはならないのです。

手引き(マニュアル)を使うと楽です。
自分の頭で考えずに教会が運営できるからです。
しかし、このnoteでも繰り返し述べた下記の聖句にあるように、

……あなたは心の中でそれをよく思い計り,その後,それが正しいかどうかわたしに尋ねなければならない。もしそれが正しければ,わたしはあなたの胸を内から燃やそう。それゆえ,あなたはそれが正しいと感じるであろう。

教義と聖約9章7-8節

自分の頭で深く考えなければ、聖霊から導きを受けることはできないのです。

もう一度言います。手引き通りやって自分の頭で考えなければ、聖霊からの導きはないのです。

聖霊の御霊がなければ、私たちは教会で奉仕することはできません。
聖霊の導きよりもマニュアルである手引きに書かれたことを優先して自分の頭で考えないならば、聖霊の導きがないまま教会を運営することになります。その結果がどうなるかは、言うまでもないでしょう。

手引き(マニュアル)主義は、人がいなくなる

末日聖徒イエス・キリスト教会は全世界で右肩上がりで会員が増えているにも関わらず、日本は世界に逆行して改宗者が減り続け、活発な会員もいなくなっていっています。その多くの原因は、前述のように聖霊を受けないまま教会を運営したことにあるのではないかと、筆者は感じています。

実際に手引き偏重のマニュアル主義で指導を徹底してた地域区分(ステーク)や教会(ワード、支部)からは、若い人が消え、有能な指導者がいなくなり、今や老人ホームのような有り様になっています(具体的にどことは申しませんが、そんな場所がいくつもあります……)。

オタク文化もスポーツ競技も、新しい人が入ってこなければ廃れてしまいます。教会も同じです。
しかし、マニュアル偏重の自由も発展も御霊もない教会に、誰が魅力を感じるでしょうか。

だから今すぐ、手引き(マニュアル)偏重主義を改めるべきです。

マニュアル主義はイエス・キリストの方法ではない!

イエス・キリストは、新約聖書の中で「律法」というマニュアルの偏重主義に陥っていた律法学者たちを注意しています。これはいつの時代でも起こりうることなのですね。

マニュアルは決まっていることを決まったままに行い、考えて行動することも、発展、進歩することもありません。ただし、決まっていることをロボットのようにやるだけなので、間違うことはありません。これはルシフェル(後のサタン)が提唱したことでした。

しかし、イエス・キリストは人間の自由意志を尊重し、選択の自由によって自ら選び行動できるようにされました。
その代わり、選択に失敗した時に、その過ちを悔い改められるように、イエスはすべての人類の罪を背負い、その背きを贖われたのです。

だから、マニュアル主義はイエス・キリストの贖いを否定するものなのです。

預言者は日本人に手引きの使い方を改善するように求めた!

こうした事態を重く見た大管長会、十二使徒定員会は、日本の手引きの使い方を改善するように使徒のクエンティン・L・クック長老を派遣し、全国のステーク会長を集めて指導しました。

その後、筆者の集うステークでは集会が開かれ、手引きの使い方についての改善の指導が持たれました。

筆者はそれを非常に重く受け止め、手引き偏重を改め、聖霊の導きと聖典を優先するようにしました。

しかし、この問題に対して心から改善に取り組んだ会員はとても少ないように思います。未だに手引き偏重の声を聞きます。

それは、預言者に公然と従わない意思表示であり、その代償として失われるものは非常に大きいでしょう。

手引きはどう使うべきか

この問題は、手引き自体が悪いのではなく、日本人の使い方にあるのです。

それを踏まえて、この記事の最後に、教会の指導手引きはどのように使うのがいいのかについて、筆者なりの個人的な意見を述べさせてもらえたらと思います。

筆者のワードの評議会集会で、ある問題を抱えた家族を助ける方法について話し合っていた時に、いの一番に「手引きにはこう書かれていますよ」とある指導者が言いました。その家族を助けるために各組織で何ができるか、どう助けられるかを話し合う前に、その家族の問題に寄り添い、愛を示そうとする前に「手引きでは……」ときたのです。
それを思い起こすと、未だに背中に冷たいものが走ります。

このような時、筆者はまず聖典を開くべきだと思っています。
聖典から学ぶのです。そうすれば、必ず導きとなる聖句が見つかります。そして、どのようにその問題に取り組むかを、自分の頭を使って考えるのです。とにかく深く考えます。何度も祈ります。手引きに尋ねるのではなく、神に尋ねるのです。すると、必ず導きと助けを聖霊から受けます。

これが聖典に書かれている、主がおっしゃられている方法だと思います。

筆者が手引きを読むのは、禁止事項を確認する時事務的な手続きに関することのみです。それ以外は、マニュアルではなく聖典と聖霊を頼ります。

また、手引きに書かれたことはあくまで原則的なことであり、各ワードの状況に応じて臨機応変に調整できると手引き自体に書かれています。

そもそもワードの一般判士であるビショップ(ワードの管理者)は、ワードのことに関して神様から導きと啓示を受ける権利を持っています。
従って、手引きの記述をどう扱うか、どのように調整するかは、ワードに関することは手引きではなくビショップの受ける導きが優先されるのです。

ましてや管理本部のスタッフにはワードのことに口を挟む権限も権能もありません。もし、そのようなことが行われているなら、それは間違ったやり方です。

筆者は手引きはほとんど読みません。手引きを読む時間があったら聖文を読んだ方がいいからです。
手引きに書かれていること(事務的な事以外)は、すべて聖典に書かれています。

ここからは、筆者の個人的なお願いです。

たぶん、手引き偏重主義を改めるのは、大変な労力が必要です。
今までずっと何十年もそのやり方でやってきた今、やり方を変えるのは容易ではないと思います。その必要を感じないかもしれません。今まで通りでいいやと思われるかもしれません。

しかし、どうかクック長老がわざわざ米国ソルトレイクシティから日本に来て指導してくださったことを思い起こしてください。

イエス・キリストの贖いの力があれば、きっと必ず改善できると証します!

もし、この記事を読んで憤慨される方がいらっしゃったら、謝ります。
それは私の不徳のいたすところです。

ただ、預言者のメッセージは正しいです。

どうか、手引きよりも聖霊の導きと聖典を優先して、自分の頭で考えて、選択の自由の賜物を使って神の御業を進めてください!!

そのことを切に願い、筆を置きます。

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