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レッスンで意見がポンポン出る魔法の言葉「あなたにとって」

教会でレッスンをしていて誰もが困るのが、意見を求めても意見が出ないことです。意見を言ってくれるのはいつも同じ人ばかり。
ディスカッションを促しても、まったく対話がない……。
そんな「お通夜レッスン」にならないためには、どうすればいいのでしょうか。

お通夜レッスンになってしまう原因は色々ありますが、その一つは「問いかける『質問』に難がある」場合です。

まず論外なのが「〇〇(テーマや聖句、説教)について、自由に話し合ってください」というやつで、これは質問にすらなっていません。
言われた方も、何を話していいのかさっぱり分からず、対話にならないのです。これはまるで水も地図も持たずにTシャツとジーパン、裸足でゴビ砂漠のど真ん中に放り出されるようなものです。目的地も分からず、自分が今どこにいるのかも分かりません。
日本の(?)教会の教科課程が変わり、「レッスンでできるだけ話し合いをするように」ということが言われた初期の頃は、このようなレッスンが横行しました。でも、結局うまくいきませんでした。それは変更された教科課程が間違っていたのではなく、質問をうまく活用していなかったからです。

次は質問をしているのに答えが出ない場合です。しっかりと質問をしているのに、答えが出てきません。誰も答えようとしないのです。
この場合の多くの原因は、「問いかけた質問に明確に答え(正解)がある」ことにあります。正解がある質問の場合、とくに大人になるほど答える人が減っていきます。その理由は「間違ったことを言って恥をかきたくないから」です。

誰でもみんなの前で恥をかきたくありません。それどころか、ひどい場合だと「それは教義的に間違っている!」だの「それは人の考えですよね!」とか「勝手な解釈は危険です!」など、まるで背教者か何かのごとく言われてしまうことも稀にあります。

あるいは、教師が言ってほしい答えが出るまで生徒を次々に指していく場合もヒドイです。教師の求める答えではなかった場合、決して間違ったことを言ったわけではないのに、答えた方はダメージを受けます。そして、もはや御霊から霊感を受けるという目的などどっかへ吹っ飛んで、「教師の求めている『正解』は何か」という論点でしか考えられなくなってしまうのです。

そんなこと言われたら、もう誰もレッスンで発言しようとは思わないでしょう。

このケースの場合、間違った答えを言う人もそれにツッコミを入れる人もどちらも間違っていません。間違っているのは、質問、聞き方が悪いのです。
ではどうすれば改善できるのか。

じつは、レッスンで意見がポンポン出てきて、誰も間違った答えを言うこともなく、みんな笑顔になれる魔法の言葉があります。それは、

「あなたにとって」


という言葉です。
この「あなたにとって」という言葉を質問の頭にくっつけるだけで、面白いように意見が出始めるのです。
これは具体例を使って説明します。

たとえば、「安息日」についてのレッスンで、教師が次のように質問したとします。

「安息日とはどんな日ですか?」

前の記事でも述べましたが、このタイプの質問は一見考えなければ答えられないと思えても、じつはもう何度も見た正解の答えのリストがあって、何も考えずにそこから一つを選んで答えられるものです。この質問に関する答えには次のようなものが挙げられます。

・教会に行って神を礼拝する日
・仕事を休む日
・買い物をしない日
・娯楽をしない日
・福音を学ぶ日
 
……などなど。

そして、この手の質問を投げかけると生徒のみんなが「もし間違えたら嫌だから黙っておこう」「誰かが答えるだろう、正解はみんな分かっているし……」と思って誰も発言しようとしないのです。

しかし、この質問の頭に「あなたにとって」という言葉をつけて、

「“あなたにとって”安息日はどんな日ですか?」

このように問いかけると、質問の意味が変わって、一般的に、教義的に安息日を問うているのではなく、“あなた”という一人ひとりにとって安息日がどんな意味を持っているか、どんな過ごし方をしているかを問う質問に変わるのです。
すると、こんな答えが返って来るかもしれません。

「自分にとって安息日は、家族に感謝を伝える日です」
「私は安息日に家族歴史を進めています」
「安息日は一番イエス・キリストを近くに感じます」
「私にとって安息日は喜びの日です。教会のみんなと会えるし」

どうでしょうか。質問が変われば答えが変わります。
そして、答えは決まり切ったものではなく、個人個人の感じたことや経験、証を引き出すものになっていないでしょうか。

しかも、みんなドンドン安心して発言し、感じたことを分かち合ってくれるようになります。
これはなぜかというと、正解も間違いもない質問に変わったからです。
「あなたにとって」という言葉が付くことで、その人が感じていること、
経験したことが正解になり、間違いという概念がなくなり
ます。

間違いがないわけですから恥をかくこともなく新しい会員もベテランの会員もみな等しく感じたことを分かち合えるのです。

そして、この質問を聞いて深く考えて浮かんできたことは、高確率で聖霊からの霊感に満ちたものになります。もし、何か以前の経験などを思い出したら、それは御霊の導きだと思って間違いないと思います。
ぜひ、みなさんに分かち合っていただけたらと思います。

一人が霊に感じて答えたことが、誰かの祈りの答えになっていることがとても多いです。これが「互いに王国の教義を教え合わなければならない。……そうすれば,わたしの恵みがあなたがたに伴うであろう。それは,理論において,原則において,教義において,福音の律法において,あなたがたが理解する必要のある神の王国に関するすべてのことにおいて,あなたがたがさらに完全に教えられるためである」(教義と聖約88章77-78節)という聖句が意味することの一つなのだと思います。

そんなわけで「あなたにとって」作戦、すごく簡単なのでよかったらぜひやってみてくださいネ!


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