見出し画像

たとえは「質問とセット」で使う!

今回は、少し前の記事、

……に引き続き、たとえについて考えてみたいと思います。
今回はたとえの名手であるイエス・キリストがたとえを使ってどのように教えていたのかを分析しながら、たとえを使った効果的なレッスンの方法について学んでいきたいと思います。


良きサマリア人のたとえに見るイエス・キリストのたとえを使ったレッスン

イエス・キリストはたとえをどのように使って、どのようなレッスンで人を教えたのでしょうか。
聖書にはそのモデルケースとも言うべきエピソードが書かれています。それは有名なルカによる福音書10章の「良きサマリア人のたとえ」として知られている部分です。
では、ここを、そのレッスンの始まりから見ていきましょう。

するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。
彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。
すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか。

ルカによる福音書10章25‐29節

主イエスを目の敵にしていた律法学者が、イエスを試み、何とか陥れようという意図を持ってイエスに近づいてきたところから、このレッスンは始まります。

律法学者は「何をしたら永遠の命を受けられるか」と導入の質問を投げかけます。イエスは深遠な質問をもって答えます。「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」

この律法学者は結構、福音について学んでいたのでしょうか、非常に的確な答えを言います。「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛する」ことと、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛する」ことを行うべきだと答えます。イエスはこの答えを是認され「それを行えば永遠の命が得られる」と言われます。

それをやっていなかったのか、口だけだったのか、今の自分を弁護してこの律法学者はイエスに質問しました。
「では、わたしの隣り人とはだれのことですか。」

これ、悪い意図を持つ律法学者が発した質問ですが、個人的にはすごくいい質問だと思っています。100点の霊感を招く質問です。こういう質問ができたら素晴らしいです。

この質問を受けて、イエスはたとえ話で質問に答えます。
つまり、たとえを使ったレッスンの始まりは質問であり、その質問の答えとしてたとえを紹介すると効果的であることが読み取れます。

続きの聖句を見てみましょう。

イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、
近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。

ルカによる福音書10章30‐35節

この話に出てくる「サマリア人」とは、イスラエルの宗教に背を向けていたためユダヤ人が憎しみを募らせていた民族でした。一言で言えば「敵」でした。そんなユダヤ人の敵であるサマリア人だけが、傷ついたユダヤ人を助けました。
「隣人とはどんな人?」という問いに、たとえ話に登場するこのサマリア人のような行いをする人が「隣り人」なのだと答えられたのです。

そしてその後で、イエスは次のように質問をされました。

「この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。

ルカによる福音書10章36‐37節

たとえ話の後にイエスは「誰が隣人になったか」という霊感を招く質問をして、学習を定着化、意識化されました。この質問も深いです。「誰が隣り人なのか」ではなく「誰が隣人に“なった”のか」と問うたところが秀逸です。

この質問によって敵のサマリア人でも、どんな人でも困っている助けの必要な人の「隣り人」になることができるのだと教えておられます。

律法学者が「隣人になったのは慈悲深い行いをした人が隣り人だ」と答えると、イエスは「あなたも同じようにしなさい」と諭されました。これは全人類に向けられた言葉でもあります。強盗に襲われた人の「隣り人」は良きサマリア人であり、良きサマリア人の「隣り人」は強盗に襲われた人でした。2人は互いに愛を示し合い、良き隣人になったのだと思います。

レッスンにおけるたとえ話の効果的な使い方

さて、イエスのレッスンをまとめると、このようなプロセスでたとえを使って教えておられることが分かります。

①質問をする。
②その答えとして、「たとえ」を使う(たとえが答えになっている)。
③その後でたとえに関連した「霊感を招く質問」を投げかける。
④質問の答に対して、コメントをする。

このプロセスを見ると、イエスはたとえと質問をセットで使われていることが分かります。
たとえは質問とセットで用いることで何倍も効果的になります。

皆さんもレッスンでたとえ、たとえ話のエピソードを使う場合は、その前と後にぜひ関連した質問、霊感を招く質問を投げかけてみてください。

いいなと思ったら応援しよう!