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「漢字」と「福音」の不思議な関係
突然ですが、筆者は一つ、強く確信していることがあります。
それは「漢字を作った人は福音を知っていた」ということです。
なぜかと言いますと、漢字を見ていると、福音にちなんだ字が数多く存在し、まるで「暗号」のように漢字の中に福音の知識が詰め込まれているからです。
ということで、今回はそんな「漢字」と「福音」の不思議な関係について、ご紹介したいと思います。
福音を知っている人が、漢字を編纂した!?
漢字は「漢」という字が入っているように中国の漢の時代に作られたかと思えばじつは違い、漢字が編纂されたのは「秦」の始皇帝の時代なのだそうです。秦の始皇帝は突如中国に現れ、瞬く間に中国全土を統一した人物で、その支配の一環として「漢字」を作らせています。
そして、漢字にはなぜか福音の知識が詰め込まれている。ということは、秦の中に福音を知ってる人たちがいた、もっというと国の中枢、始皇帝から直接指示を受けるような近しい立場に福音を知っている人たちがいたことがうかがい知れます。もしかしたら、始皇帝自身が福音を知っていた可能性すら浮上します。文字といったら国の根幹を担う要素の一つですから、そこに意図的に福音を忍ばせるということは、それは始皇帝の命令だったと考えるのが自然です。
始皇帝の本当の父親は「呂不韋(りょふい)」という名であることが、司馬遷が記した「史記」に書かれていますが、この人物はチベット系の遊牧民の羌(きょう)族だったことが分かっています。この羌族はなんと失われたイスラエルの10部族であることが判明しており、そこから考えると秦の始皇帝とそれに付き従った人々は失われたイスラエルの10部族の末裔だった可能性が非常に高いです。
そんな人たちが、自分たちの信仰や文化を文字に込めたのは自然なことであり、自分たちのルーツを後世の人に伝える目的もあったのかもしれません。
漢字の中にあるイエス・キリストの福音
さて、それでは漢字の中にどんな福音の知識が含まれているのか、その例をご紹介します。
まずは有名どころから。
「禁」
何かを禁止する「禁」の字ですが、この字を分解すると、
「 木 + 木 + 示 」……になります。
「示」は神を表す省略漢字です。
すると、この字は神の前に2本の「木」が立っていて、そこで何かを禁じたことを表していると読み取れます。
これはもう有名な「アダムとイブの物語」ですね。その聖句がこちらです。
……更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。
主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。
アダムとイブが住んでいた「エデンの園」には、2本の木「命の木」「善悪を知る木(知識の木)」が生えていました。そして、善悪を知る木の実は食べてはならないと、神から禁じられていました。しかし、2人は悪魔であるサタンにそそのかされ、善悪を知る木の実を食べてしまい、結果、エデンの園から追放され、体が死ぬ肉体へと変わりました。
「田」
アダムとイブついでに、この「田」の字にもふれておきたいと思います。
「田」は文字通り“田んぼ”を表した字と言われ、四等分された四角形は、田んぼの区画のように見えます。
しかしこの字、じつは古い形では「○」の中に「+」が書かれた形をしており、その「+」は◯の中央から流れ出る4本の川を表しているそうです。そしてこの旧字体の意味は、ずばり「園」。聖書にはこうあります。
また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分れて四つの川となった。
その第一の名はピソンといい、金のあるハビラの全地をめぐるもので、その地の金は良く、またそこはブドラクと、しまめのうとを産した。
第二の川の名はギホンといい、クシの全地をめぐるもの。
第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの東を流れるもの。
第四の川はユフラテである。
4本の川が流れ出る園といえば「エデンの園」。だから「エ“でん”」なのだとか。
「船」
これも有名ですが、「船」の字にも福音の知識が盛り込まれています。
この字を分解すると、
「 舟 + 八 + 口 」……になります。
「舟」は1文字でも船という意味があります。では、なぜ「八」と「口」が付いているのでしょうか。
この八と口は合わせて「8名の人間」を表しています。よく人間の数を表す時には「人口」と書きます。口という字は人数を表す意味もあり、八+口で「8人」の人間が船に乗ったことを、この字は表しています。そして、なんとそれと同じことが聖書に書かれています。
その同じ日に、ノアと、ノアの子セム、ハム、ヤペテと、ノアの妻と、その子らの三人の妻とは共に箱舟にはいった。
人類が罪深い状態に陥ってしまい、およそ100年間の猶予の間も悔い改めず悪から離れなかったため、新しく生まれてくる子供がそんな邪悪な状態で育つのを防ぐため、神は「ノアの洪水」を起こして、一部を残して人類を滅ぼすことにされました。その時に「ノアの箱舟」に乗って命を助けられたのは、ノアとその妻、3人の息子たちとその妻たちの合計8人だったのです。
この船という字は、そんな8人の人間が乗って洪水を逃れた「ノアの箱舟」を表しているだと思います。
「義」
正しいこと、良いこと、人のため尽くすこと、代わりのもの(義手、義足)といった意味があるこの「義」という字、これを分解すると、
「 羊 + 我 」……となります。
羊は我、我は羊だと名乗った人物は、人類の中でも1人しかいません。
イエス・キリストです。聖書にはそのことが、こう書かれています。
その翌日、ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていたが、イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」。
旧約聖書の時代、羊は人の罪を贖うために犠牲として捧げられる動物でした。
イエス・キリストは、全人類の罪を贖う犠牲の羊として捧げられました。だから、神の子羊、我は羊なのです。
そして、この「義」という字の意味を見ると、まるでイエス・キリストのことを表すような意味が込められています。とくに義手、義足というように「代わりのもの」という意味は、全人類が受ける罰を主イエスが代わりに受けてくださったことを彷彿とさせます。
「羊が付く漢字」
前述の通り、羊がイエス・キリストを表していることを紹介しましたが、漢字には部首として義と同じように「羊」が付いている字がいくつもあります。それらを調べると、また面白いことがわかってきます。
羊の部首が付いている字にはこんなものがあります。
「善」「群」「養」「美」……
善い、美しい、養う、群れ、すべてイエス・キリストに縁がある意味の字ではないでしょうか。
「善」は言うまでものなくですが、「群」などは、人類の比喩でもある迷える羊の群を導くのは「君(王)」たるイエス・キリストであることが分かる字です。聖書にこうあるとおりです。
わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
イエスは犠牲の羊であり、迷える子羊の群れである全人類を導く羊飼いでもあるのです。
また、「養」なども、羊飼いとして全人類である羊の群れを養うことに加えて、イエスはご自分を「命のパン」であると言われています。
わたしは命のパンである。……
……天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。
わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である。
イエスの体である「命のパン」を食べることによって私たちの霊に養いが与えられるのは、毎週日曜日に取る「聖餐」が思い起こされます。
もう一つ、「美」、この字を分解すると、
「 羊 + 大 」……になり、
「大」の字には「偉大」「大器」というように「優れた、立派な」という意味もあります。まさにイエス・キリストを形容している文字ですね。
さらに「大」は「大の字になって寝る」というように人間の五体、人も表しており、神の子羊が人間の体をとってこの世に生まれたことも意味しているとも読み取れます。
また神の子羊であるイエスには、外見的にも荘厳な美しさがあったのかもしれませんが、聖書にはこんな聖句があります。
……わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る。
イエスは人の外見ではなく、人の内面、心をご覧になります。本当に美しい人というのは、容姿が美しいというよりも心が美しい人を言うのではないかと、この字を見ていて筆者は感じました。
いかがだったでしょうか。
やっぱり感じを作った人は、福音を知っていた人だと思います。
この他にも福音の知識が盛り込まれた感じはありますので、また機会を改めてご紹介できたらと思います。