「才能」とは何か
あなたは、自分の「才能」というものを意識したことはありますか。
筆者は、自分にない才能を持っている人を、すごく尊敬しています。
運動神経のかけらもない筆者にとって、スポーツの分野で才能を開花させている人は、憧れの的です。
また筆者は絵を描くことと文章を作ることが趣味なので(一応デザイン系の高校を出た)、やはりその分野で凄まじいものを作り出している人を見ると、大きな刺激を受けます。
この「才能」、じつはイエス・キリストの福音、神様の教えと、とても大きな関係があります。
筆者は、才能は神様が人間に授けてくれたプレゼントだと信じています。
そして、イエス・キリストは私たち一人ひとりに、この地球上での生活において与えられた才能を高め、磨き、伸ばし、よいことのために使うように望んでおられることも信じています。
才能について書かれた聖句
じつは聖書には「才能」について書かれた文章が存在します。
それは「マタイによる福音書25章14-30節」で、「タラントのたとえ話」として有名な部分です。
ちょっと長いのですが、ご紹介したいと思います。
この聖文で出てくる「タラント」という言葉はユダヤ人の貨幣単位で、1タラントは今の貨幣価値でおよそ6,000万円くらいだそうです。
この「タラント」は、じつは日本語で芸能人などを意味する「タレント」の語源になった言葉で、その英語の「タレント」には“才能“という意味があります。つまり、主人が3人の召使いに渡した財産は、神様が人間に授けたタレント、つまり才能を意味しているのです。
この物語で筆者が興味深いと思うのは、3人の召使いに与えた財産には差があったことです。
一人には5タラント(約3億円)、一人には2タラント(約1億2,000万円)、最後の一人には(6,000万円)と、多少があります。
これを才能という観点から見ると、人によって与えられた才能の種類や大きさには差があることが分かります。
そしてもう一点興味深いのは、5タラント預けられてもう5タラント儲けて合計10タラントにした者も、2タラント預けられてもう2タラント儲けて合計4タラントにした者も、儲けの多少にかかわらず同じように褒められたことです。
それを鑑みると、いくら儲けるかは重要ではなく、自分に与えられた分をできる範囲で、どのように活用して儲けるかが重要なのだと分かります。
一方、1タラント預けられた者はそれを元手に商売を始めたり、農業や畜産業で主人の財産を増やすこともせずに、それを大事に地面に埋めていました。もちろん商売をすれば、儲けが出ずに主人の財産を減らしてしまうリスクがあります。だから、この召使いはそれを恐れて財産が増えもしないが減りもしない方法を選んだのです。
しかし、主人はそのことを怒り、この召使いが持っている1タラントの財産の管理権を取り上げ、なんと財産を合計10タラントにした召使いに与えたのです。
これらの才能を象徴する物語から分かることをまとめると、次のようになります。
筆者の教会の預言者によると、私たちは死後、主イエスと個人面接を行うことになるそうです。
その際に、イエスからいくつかのことを尋ねられます。
まず最初は夫婦の関係はどうだったか、伴侶を愛したか、伴侶の幸せのために努力したかを尋ねられるそうです。
次に自分の子供(たち)との関係、子供(たち)を愛したか、子供たちとどういう関係を築いたかを尋ねてこられるそうです。
そして、その後で、自分に与えられた才能をどのように使い、伸ばし高めたか、それを人のためにどう役立てたかをお聞きになるそうです。
逆に、教会でどんな大きな責任を果たしたかや、この世でどれだけお金や財産を築いたかなどは、ほとんど聞かれないそうです。
大事なのは、自分に与えられた才能をどう使い、伸ばしたかだけです。
これが、イエス・キリストが私たちに期待しておられることなのです。
神様からのプレゼント「才能」の正体とは
筆者の通う末日聖徒イエス・キリスト教会では、人間に与えられた才能を「賜物(たまもの)」とよく呼んでいます。この言葉の意味は「いただいた物、プレゼント」で、文字通り才能は神様からのプレゼントというわけです。
才能の話をするとよく「私は特別な才能なんて持ってないよ」という人が多くいます。しかし、聖典には次のように書かれています。
賜物、すなわち才能は少なくとも一つは全員に与えられていると書かれています。これが本当なら、私たちは全員が何らかの才能を神様から授かっていることになります。
この神様からのプレゼントである「賜物」には、じつは才能の他に大きく計3つの次のような種類があります。
①はこれまで述べてきた通り、いわゆる才能です。スポーツや芸術、人に教える才能やコミュニケーションの才能など、様々な種類の才能があります。
②の霊的なことを行う力、能力とは、神様の務めを果たす際や人のために奉仕をする際に神様から与えられる神聖な力、能力のことです。これについては、聖書の中で次のように説明されています。
そして、今回どうしても書いておきたかったのが、この③人の優れた特質、長所、個性です。
才能というと何か特別なものや著しく高度なものや珍しいものをイメージすることが多いですが、じつは人間の長所や個性、良いところなども立派な才能(賜物)なのです。
これについて、筆者の教会の預言者はこんなふうに解説しています。
一緒にいると元気が出る、人の良いところをたくさん見つけられる、がまん強い、人が気づかないことをよく気づく、立ち直りが早い、笑顔が素敵、いつも前向き……といった人の素晴らしい特質は、じつは才能なのです。
だから、才能を持っていない人など一人もいないのです。
あなたは素敵な才能を持っているのです。ぜひその才能を磨き、高め、伸ばしていきましょう!!
自分の才能の見つけ方
才能を磨くためには、まず自分がどんな才能を持っているかを知らなければなりません。
孫子の兵法には、
と書かれています。敵を知るだけでは戦に勝てない、自分(自軍)のこともよく把握しておくことが戦に勝つ秘訣だと孫氏は述べています。
同様に、聖典にもこんな言葉が載っています。
ではどうすれば自分の才能に気づくことができるのでしょうか。
そのためには、自分自身の以下のことを考えてみてください。
また、才能は持っているだけではなだめで、何に役立てるかを常に模索する必要があります。
まとめると、才能を知り、磨き、役立てるには、
聖典には「何でもできるようにならなければならない」とは書かれていません。得意なこと、才能を磨き、自分や他人のために役立てなさいと書かれています。
好きこそものの上手なれ、自分の強みで勝負する、これが才能を磨くいちばんの近道なのではないかと思います。