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イエス・キリストの教授法の真髄「たとえ」で学ぶ!
聖文の中でイエス・キリストが使われている教授法に「霊感を招く質問」がありますが、もう一つ、イエス・キリストが度々使われる、誰もがわかりやすく福音を理解できる、その効果が絶大な教授方法があります。
それは「たとえ」です。
主イエスは物語やたとえを使って、福音を教えられました。教える対象者に合ったたとえ、その人の身近なものに福音の教義をたとえて分かりやすく教えらたのです。
また、預言者や指導者も、総大会などにおいてたとえや物語、エピソードを使って、福音を教えています。
教会の教え方のテキストには次のように書かれています。
「人々がどのように福音の原則を日々の生活に取り入れたらよいか理解できるように,救い主はたびたび物語やたとえ話を語られました。救い主の教えは,魚,種,鍵,杯,その他多くの日用品などを用いた話に富んでいました。教える準備をする際に,あなた自身の人生やクラスの生徒たちの日々の生活から,福音の原則が生かせるようなたとえや物語を考えてみてください。」
福音の教義や原則などを教える際に、何かに「たとえる」ことで、子供でも理解できるようになります。
私たちが教会のレッスンで教える際には、とくにプライマリーや青少年のレッスン、この“たとえ”は非常に役立ちます。
今回は、この“たとえ”について、レッスンでどのように用いれば効果的なのかを考えてみたいと思います。
たとえを使って教える利点
レッスンで、たとえを使って教えることには、大きく次のような2つの利点があります。
利点1:形のない概念や原則、教義を誰でもわかりやすく理解することができる(たとえ、物語)
利点2:学習者の霊的レベルに合わせて教えることができる。(予型、象徴)
前述の通り、形のない概念や教義、原則を教える際にたとえは非常に有効です。
具体例を使って説明したいと思います。
たとえば「神権」と「神権の鍵」の違いを説明するとします。神権の鍵がどのようなものなのかは、大人でもその違いを説明するのが難しい教義です。
しかし、たとえを使うことで、簡単に分かりやすく理解できます。
まず「神権」ですが、これは神様から授けられる、人の救いのために行動し、また儀式を執行するための権利と能力のことです。この神権を受けた人は、極論を言えば神様と同じことができるようになります。
その意味では、この神権は「パソコン」にたとえることができます。
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パソコンは文書作成から画像処理、プログラム作成、作曲、動画閲覧など、機能的にはどんなことでもできます。月に行くためのロケットの航路の計算だって簡単にできます。
次に神権の鍵ですが、これは神権がパソコンなら、神権の鍵は下のような「アプリケーションソフト」にたとえることができます。
何でもできるパソコンですが、じつはパソコンだけでは何もできません。
パソコンでいろいろな作業をするためには、そのための「アプリケーション」をパソコン内にインストールする必要があります。文書作成ならWord、表計算ならExcel、プレゼンテーションならPowerPoint、画像作成ならPhotoshop、映像制作ならPremiere ProやAfter Effects、インターネットの閲覧ならGoogleChromeなど、それぞれのソフトがあることでその作業をすることができます。そして、そのソフトをパソコンからアンインストール(パソコンから削除)すると、もうそのアプリケーションがなくなり、その作業もできなくなります。
神権の鍵も同じで、特定の管理権限となる神権の鍵は特定の神権の職に任命される際に授けられ、その鍵を受けることでその鍵の範囲内のみ、その働き、管理ををすことができるようになります。神権の鍵にはさまざまなものがあり、またその鍵を返せばその管理権や働きをする権利はなくなります。
まさにパソコンにおけるアプリケーションのようなものです。
もう一つの利点は、たとえを使うことで学習者の霊的なレベルに合わせて教えることができる点です。
これはどういうことかというと、説明に使われた一つのたとえから霊的なレベルに合わせて理解し学べる事柄が増えるということです。
これも、実例を挙げたいと思います。
旧約聖書の民数記には次のような記述があります。
そこで主は、火のへびを民のうちに送られた。へびは民をかんだので、イスラエルの民のうち、多くのものが死んだ。
民はモーセのもとに行って言った、「わたしたちは主にむかい、またあなたにむかい、つぶやいて罪を犯しました。どうぞへびをわたしたちから取り去られるように主に祈ってください」。モーセは民のために祈った。
そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。
モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた
火のヘビの害によって多くのイスラエル人たちが死に、民が神に助けを求めて祈ったこところ、青銅で同じヘビをつくり、それを旗竿に掛け、その青銅のヘビを仰ぎ見れば命が守られるという指示があり、それに従って命が助かったというエピソードです。
この仰ぎ見ることで命が救われる青銅のヘビはイエス・キリストを象徴しています。
霊的に成熟していない人はそれが救い主イエスを象徴しているとは気が付かず、ただのありがたい青銅のヘビとしか思わなかったかもしれません。
霊的に成熟していた人は、そのヘビが将来生まれる「全人類の救い主」を意味していることに気づいたでしょう。そして、救い主に目を向ければ、悪魔から守られ命を得ることを悟ったと思います。
さらに霊的な人は、その救い主が最後に旗竿に象徴された十字架に掛けられ全人類の罪を贖うために命を捧げられることまで思い至ったかもしれません。
このように、たとえを使うことで、学習者のレベルに合わせて、学習者が理解できる範囲に合わせて、一つずつ、少しずつ、無理なく教えることができるのです。
さて、ではこのたとえをレッスンで使いこなすにはどうすればいいのでしょうか。
それはまた次回に説明したいと思います。