
真の教師は「聖霊」である!
若き筆者は、教会のレッスンはイエス・キリストの福音を自分の生活や人生に応用する方法を学ぶものであり、レッスンでは聖徒の皆さんが福音を応用した経験や証を述べてもらうことが大切だと分かりました。
では、レッスンの中でそれをどうやって分かち合ってもらえばいいのか、そんな疑問を考える中、次のような教会の預言者の言葉に出会いました。
「人は教師になることができるが、真の教師は聖霊である」
聖書の中にもこのような言葉を見つけました。
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え〔る〕」
真の教師は聖霊、聖霊がすべてのことを教える、とは一体……。
始めはこの言葉の意味がよくわかりませんでしたが、よくよく考えて、筆者は次のようなことを感じました。
聖霊は人の思い(思考面)と心(感情面)に語りかけてくださることに
よって教え、導いてくださる。
それはレッスンも同じだ。ならば、教師の役目はレッスンの中でいかに聖徒に人たちが聖霊を受けられるか助け、サポートすることだ!
企業研修や体験学習などで行われるワークショップには「ファシリテーター」と呼ばれる役職の方がいます。この人はワークショップの教師として教えることはせず、「進行役」として意見や対話を促したり、活動を進行したり、慣れていない方をサポート、支援する役割を担います。
教会の教師もこのファシリテーターと、とてもよく似ており(筆者は同じだと考えています)、教師がレッスンを通してやることは生徒を教えるのではなく、レッスンの中で生徒が聖霊を感じ、その感じたことや思い出した経験を分かち合ってもらえるように進行、支援することだと、筆者は思いました。
だから、教師の経験が浅くても、教会員歴が短くても、聖徒が大ベテランのお歴々でも大丈夫、教えてくださるのは聖霊であり、生徒の人には御霊に感じたこと、経験や証、気づきや学びを分かち合ってもらえばいいのです。
いや~、よかったよかった、これで一安心。
……とは、いきませんでした。
じゃあ、どうやって生徒の人に聖霊を感じてもらうの? (続く)