ADHD×ミニマルな暮らしで自由と希望は手に入る
まずは一番大切なことを書きたい。と思って。時系列は無視して、テーマだけに絞って書く事にした。
発達障害(ADHD)の僕が、ずっと勘違いしていたこと。
「仕事が出来れば。お金があれば。こんなに不幸せじゃないはずだ!」という思い込み。
幸いにも、僕にとっての生きやすさは、それじゃなかった。欲しかったのは、自由と希望だったんだ。
ずっと思っていた。
お金があったら…
付き合ってる人と結婚もできるのに…
もっと良い家に住んで
車を買って
休みの日は買い物に行って
子供ができたら
家族みんなでボートに乗って釣りをして…
僕が普通だったなら…
仕事ができたら…もっとお金を稼げたら…
普通の暮らしができるのに…
普通の幸せが掴めるのに…
もっと
もっともっと…
できたなら…
結論を言います。毎日死ぬほど働いても、バリバリに稼げるほど、僕には会社の仕事は出来ませんでした!10年以上死ぬ程やったから、もう諦めていいと思ってます。
…いや、僕も頑張ったよ?
「全く出来ないな!お前なんかクビ!」レベルな訳じゃないみたいです。
今の給与は、平均年収くらいはあります。
ただ、それでも死ぬ程働いた対価としては、コスパが悪すぎたんです。
冷静になって考えた時、「お金が欲しかった訳じゃないな」と思った。
その時僕が欲しかったのは、「明日死なない安心感」だった。
明日を生きる希望とも言える。
そもそも、僕が発達障害と診断されて、何に一番絶望していたかと言えば、「未来に希望を持てなかったこと」だ。
当時の僕は「その日暮らし」という言葉がぴったりの生活をしていた。手取りの給与は17万程。
家賃、光熱費、通信費、病院の通院、奨学金などの返済に充てると、手元に残るお金は毎月7万円くらい。
スーパーが閉まるより遅く帰宅すると、食事はコンビニか24時間営業のファーストフード店ばかり。
高く付くから食費だけで毎月5万円近かったと思う(正確に把握してないことからも当時の暮らしが伺える)
休みも殆ど無かったし、有っても寝てるか、家に居たくないから出掛けてしまう。
店頭にも立つアパレル。身嗜みだけは常に綺麗にしておかないと…
当然残るお金などありません。時間もお金も無い上に、仕事は毎日ミスばかり。眠れない毎日に精神的にも参っていた。
「どうしたら、普通の暮らしをおくれるようになるんだろう…」
「そもそも普通の暮らしってなんだろう?」
「そもそも普通じゃない僕には、そんなものを求める資格はないんじゃないか…」
僕は職場の近くで、立地だけ良く、築古の割には家賃が高い、雑居ビルの6階に住んでいて、いつも夜になると窓を開けて外を見ていた。
外を見ていたと言ったけど、隣はビルの壁だった。手を伸ばせば届く、タイル張りの壁。ハッキリと覚えている。薄汚れた、グレーのタイル張りの壁。
外と言うか、正確には、下を見ていた。
「ここから落ちたら楽になるか?」
高いところは怖い癖に。ずっとそんなことばかり考えていた。
「…もう普通って言葉が嫌だな…普通じゃなくていいから、楽になりたいな…」そう思った。
たぶんその時がどん底だった。
僕は「トンデモチキン野郎」なので、飛び降りなかったのは、高いところが怖かったからだし、仕事を辞めなかったのも怖かったからだ。
「どこにいっても同じだぞ」
上司に言われた、その言葉が怖かった。だから何も変えられなかった。
…とてもカッコ悪いでしょう?
じゃあ、どうやって変わる事ができたのか?
僕は人や出来事や幸運との出会いに、恵まれていただけなんです。
3つの出来事が僕を大きく変えた。
①僕には大切な友人が3人いる。
2人は高校からの友人だ。この二人が兎に角暇さえあれば、どこかへ連れ出してくれたから、電話をかけてくれたから、連絡を絶たずにいてくれたから。
だから僕は今も生きている。
もう1人は釣り仲間だ。彼は仕事の腕を認められ、勤めていた工場を譲られた。同い年なのに、若くして工場を経営するようになっていた。
彼に仕事の相談をした時、言われた言葉を今も毎日、必ず思い出すようにしている。
「プライベートで出来ねぇ事が、仕事だったらできるわけねぇだろ!」
ハッとした。その通りだった。何で「頑張れば仕事だけはできるはず」みたいに思っていたのだろう?
今なら分かる。これが全ての行動のベースになった。
②僕は本を読むのが好きだった。
休日に本屋さんでタイトルが気になった本を買ったり、立ち読みしたり、小さな図書館が近くにあるのを知って(ビルのワンフロアだけ。という変わった図書館)からは、図書館で本を読んでいた。大抵は仕事に関する本ばかりだったけれど、たまに自己啓発本や、メンタル系の本を読んでいた。
よく行く本屋さんでは、なぜか暮らしエリアではなく、自己啓発の棚にその本があった。
「手ぶらで生きる(見栄と財布を捨てて自由になる50の方法)/ミニマリストしぶ」
気になって手に取った。…見栄を捨てたい。と思って。
読んだあと、衝撃が走った。
「生活費は月7万」
嘘だろ?生きていけるわけないでしょ!?
仮に生きていけたとして、正直、最初は「そんな生活は死ぬ程嫌だ!」と思った。(笑)
でも、読んでいくと、「明らかに僕より生活が満ち足りていた」
後にロボット掃除機が走り、プロジェクターで壁にアートを投影している部屋の動画を観た時は、本気で腹が立った。
(ごめんなさい!後で100億回謝るから許して!その時は嫉妬してたんだよ。ごめんなさい。最後まで読んでください(`;ω;´))
なんで?どうして?こんなに毎日必死に働いていて、色んなライフハックを取り入れて、発達障害の生活に合うと言われてるグッズやアプリも薬も使って、それでもうまくいかない僕の真逆に、物を減らすだけでそんな生活できるの?しかも僕より若いのに?腹が立って、悔しくて悔しくて…
真似を始めた。
ほら、僕、カッコ悪いでしょ?(ミニマリストの皆様、本当にごめんなさい!今は心からリスペクトしてます(`;ω;´))
その時から、悔しくて物を減らし始めた。悔しかったんだよ。幸せそうだったから。
本を買った頃から、ミニマリストタケルさんなど、当時メディアに出始めていたミニマリストさんの話を色々探って、少しずつ、少しずつ
「ミニマリストって発達障害と相性が良いのでは…?」と思い始めたんだ。
③コロナウィルス緊急事態宣言以降、仕事が減り、給与も減り、手取り17万に逆戻りした。…のに、同棲していた彼女の分も生活費を払えていた。
少し前から、物を減らし始めていたお陰で、生活にゆとりができ始めていた。2019年頃のこと。
緊急事態宣言で、仕事が一気になくなった。アパレルは外出禁止の煽りを受けて、営業出来ないモールが続出し、閉店を余儀なくされる店舗が複数あった。
僕もご多分に漏れず。会社の給与は手取り17万に戻ってしまった。(前年の7割弱)
当時、僕は同棲をしていて、彼女は仕事をしていなかった。
この時、衝撃的だったのは「ギリギリではあったけど、1年以上、生活ができていたこと」
「あれ…?おかしくないか?昔は手元にお金が残らなかった。その時と同じ手取りで、1人分多い生活費なのに…ギリギリではあるけど、なんとかなってる…?」
結局、お付き合いしていた方とは、お金とは別の理由で別れることにはなったのだけど、この時の経験が大きかった。
「時間がないからお金も無かった。順番が逆だったんだ…」
気付いてしまったんです。無限残業によって、これまでいかに高コストな生活をしてきたかと言うことに。
そして、外食や外に出てばかりの時間より、
自炊して作るご飯の方が美味しくて、高コストな娯楽と離れても、公園の散歩や、誰にも会わない山中の池での釣りが出来れば、十分満足度も高く、幸せだったと言うことに。
気付いてしまった。お金をかけなくても、工夫次第で暮らしは豊かになる。
つまり、お金の余裕は生み出せる。
友人の言葉を、ここでまた思い出した。
「プライベートで出来ねぇ事が、仕事だったらできるわけねぇだろ!」
今の僕のミニマルコストは、現職でフルタイム出勤を続ける為に必要な物も込みで「月12万円」だ。
身嗜みを整えたり、ある程度お洒落な服装をしている必要や、仕事で必要な電子機器やアプリへの費用も込みの金額である。
気付いた時には、ドン底の借金返済生活を脱却していた。貯金や投資をする余裕も出来ていた。
楽しみとして使うこともあるけれど、最低でも収入の20%は貯金に回している。
使う時は自己投資や投資、あるいは人生をより豊かにしてくれる事に。(友人との食事、旅行、読みたい本、趣味の釣り道具を買う場合など)
だから以前よりとても幸せで、自由な生活をしていると言えると思う。
こんなに最後にお金の話ばかりしたのは、この話をしたかったからなんだけど…
月12万円は、僕が高校生の頃にアルバイトで得ていた金額より安いのだ。絶対に稼げる自信があるし、制度の知識とある程度の貯金があり、健康でさえあれば生き方を変える選択肢は無数にある。
つまり、僕は最悪、明日会社をクビになったって、それが理由で死ぬことは絶対に無い。と言う事。
気が付くと僕が怖かったものは、消えていた。
さらに言えば、仕事を変えればミニマルコストはもっと下げる事が可能だし、正直一桁になっても、生きていけるだけの自信がある。
それも、幸福度は下げずに。だ。
だって、知ってしまったから。幸せはかけたお金の額で変わる訳じゃないと言うことを。
これって、実はメンタルとして、最強なんじゃないだろうか?
逆にもっと稼ぎたいと思えば、そういう方向に舵を取る事だって可能だ。余力があるからこそ、そちらへ進むことを選択できる
「ミニマリズムとは、幸せに生きる為の最小限を探す思想」である。と僕は思っている。
僕は使う。ミニマリズムの思想を。自分自身の自由と、希望を持つ為に。
それは、自分が本当に手にしたいものを選択する、物差しなんだと僕は思う。
人から見たら一風変わった暮らしだったとしても、幸せの基準は本人にしかわからない。
少なくとも、僕は今の暮らしを幸せだと感じているし、今後も物を増やすことはしないだろうと思う。
人によって、ミニマリズムの形も違う。だって、幸せの形も違うから。そして違って良いと思う。だって、人間だもん。違う方が楽しいに決まってる。Xなどのコミュニティで、色んなミニマリストさんの話を聞いていても思う。
「俺たちは成功者サイドの発達障害じゃねぇんだよ!」と思っている、あなたにこそ読んで欲しい。
これは、僕が、昔の僕に宛てた手紙なんだから。
物凄く長い手紙になってしまったから、続きはまたね。昔の僕へ。
マギィ
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