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がん、ロリィタ、ミニマリスト。|わたしが私を好きになるまでに出会ったもの
現在、私は1年を通しておよそ20着の服で
シンプルに暮らす生活をしています。
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そんな私ですが、実はもともと
カラコンにウィッグを装着し、全身を着飾る
ロリィタファッションがだいすきでした。
「過剰装飾なロリィタ → シンプリスト」と
いわば両極端な道をたどってきた私ですが、
そこには自分のルーツとなった病気の経験、
そして自分に自信がなかった私が
自分のことを好きだと思えるようになるまでの
さまざまな気持ちの変容がありました。
今回は、病気になって変わったこと、
また自信を取り戻すきっかけとなった
これまで私が出会ったもの(人)について
振り返ったことを書き留めてみました。
第1形態:がんで社会から隔離、自信喪失
中学生で骨肉腫になった話を前に書きました。
大人だと投薬のときだけ受診•入院をされるなど
働きながら治療をされる方もおられますが、
13才で骨肉腫と診断された私は
1年弱の入院生活を余儀なくされました。
大人になってみれば、たった1年で完治できたと
前向きに捉えることができますが、
中学校3年間の半分を病院で過ごしたことは
当時の私には大きな出来事でした。
1年弱のあいだ世界から断絶されていると
今まで自分が人前でどう振る舞っていたのかが
まるでわからなくなり、
そもそも40人もいるクラスという集団が
“こわい”と感じるようになりました。
もともと、がんになる前の私は
自ら学級委員に立候補するようなタイプでしたが
退院後は授業中に手を挙げて発言するだけで
心臓が飛び出そうなほど緊張するように。
( そのため発言回数が少なくなった私は
得意な国語の成績を5段階中の3評定にされ
くやしい思いをした覚えがあります笑 )
くやしさをバネになんとか成績は巻き返し
高校は第一志望のところに行きましたが、
その後も人見知りはなかなか直ることもなく
さらに家庭のことや大学受験の失敗が重なり
こじらせ大学生活のはじまりとなりました。
第2形態:大学生、ロリィタに目覚める
滑り止めで受けた私立大学に進んだ私は
自己肯定感が底をついてしまったような感じで、
最初の2年ほどは本当に苦しい精神状態でした。
(大学自体は好きな勉強もできて楽しかったです)
そんな大学生活で私が出会ったのが
ロリィタファッションという文化でした。
ロリィタの中にもゴシックロリィタや甘ロリなど
さまざまなカテゴリーがあって、
とくに私が魅せられたのは
クラシカルロリィタというジャンルでした。
(中世ヨーロッパを彷彿させる古典的な装いのもの)
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その魅力を知ってからは
ロリィタ専門の古着屋さんに何度も足を運び、
(大学生だった私はなかなか定価で買えず。
というか今の私からしても高いです…)
通学の際もロリィタブランドのお洋服を着て
文字通り“毎日ロリィタ生活”を送っていました。
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なぜロリィタに没入したのかをいま振り返ると、
「特別なお洋服を着ている私」に
自分のアイデンティティを見出しているような
そんな感覚がどこかにあった気がします。
自分にまったく自信がなかった私が、
ロリィタファッションに身を包むことで
人とはすこしちがう「何者か」になれたような、
自分の個性を認めてもらったようなそんな感覚。
承認欲求を満たすというと
あまりイメージがよくないかもしれませんが、
自分らしさを表現する方法のひとつを知り
それは私が生きていくための手段の獲得へと
繋がっていったように思います。
第3形態:夫と出会い、生き方がシンプルに
大学ではロリィタ生活を満喫していましたが
その後無事に就職し、お仕事的に
プライベートで目立つことは控えなければならず
ロリィタファッションも卒業となりました。
次に私を変えたのは夫との出会いです。
夫は出会ったときからミニマリストで、
テレビも持たず、同じ服を着て
最低限のものだけで生きている人でした。
ミニマリストという概念はもともと知っていて
そんな暮らしにやや憧れも抱いていましたが、
“服にこだわらない人たちだ”との思い込みがあり
大好きな服をたくさん持っていた私には
まったく縁遠いものだと考えていました。
ところがミニマリストの人を間近で見てみると
むしろ人一倍モノへのこだわりの強さを感じ、
お気に入りだけに囲まれて暮らす生き方に
魅力を感じるようになりました。
当時ちょうどコロナが流行しはじめたときで
おうち時間が格段に増えたこともあり、
いま持っている持ち物や服を見直してみようと
夫の手も借りながら捨て活を開始。
(捨てるというよりも、選び・残していく感覚)
最近はモノの数や量にはこだわらず、
自分にとって必要で大切なものを手元に置く
シンプルな生き方が合っていると感じます。
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ミニマリストという考え方を知ったこと、
また夫という安心できる存在に出会ったことで
人と違う部分で個性を表現しなくてもいい、
「何者か」にならなくても私のままでいいんだ
という気持ちの変化がありました。
今回の話はあくまで私の思いを綴ったもので、
何が正しい、良い悪いというものでもありません。
またロリィタを着ているかたがすべてこのような
考えをしているということでも勿論ありません。
ロリィタとシンプリストは
見た目にはまったく異なるものですが、
服やモノが大好きだということ、
そして身につけるものに私自身の
心が映し出されているという部分では
ずっと変わらないなあと思います。
ちなみにロリィタはもう着なくなりましたが
今でも大好きです 𖡼܀
がんによる閉鎖的な闘病生活を経て、
広い社会のなかでどう自分を表現していくか
もがきながら試行錯誤して
自分に合った生き方を獲得した私の話でした。
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読んでいただきありがとうございました ⚘*
※本記事でのロリィタ着用写真は、すべて
フォトグラファーKurage*さんによる撮影です。