蓮は泥の中から咲く
仕事で騙されたことがある。
「仕事を紹介してあげるよ、紹介料はいらない」
家庭の事情で会社員を辞めたばかりだった。わたしはとてもその人に感謝して、仕事をもらうたびにペコペコ、ペコペコと頭を下げ続けた。
だけど本当は違った。仕事を紹介してくれていたYさんは、わたしにはわからないように、紹介料を取っていた。
それに気づいたわたしは悲しくて悲しくて、人間不信のようになってしまった。仕事を無償で紹介してもらってるから、苦手な喫煙席での打ち合わせも我慢してたし、Yさんに時々贈り物までしてたというのに。
(「馬鹿だなあ、そんな、無償で仕事を紹介なんてあるわけないじゃん」と知人の実業家には言われた)
「騙されて悲しい、人間不信だ」
そんなことを言って泣くわたしに、ある画家さんははこんなふうにおっしゃった。
「仕事で騙されてお金取られてたっていいんだよ」
「??」
「あなたが騙したわけじゃないんでしょう、だからいいの。お金はもったいなかったけど、くれてやればいいの。いいのいいの、あなたが騙したんなら問題だけど、あなたは騙された方なんだから、大丈夫」
その人のおっしゃる意味がわかって、わたしはなんだか気が抜けてしまった。
その人は、美術大学出身ではない画家さんで、30歳を過ぎて画家になった方である。
わたしはその画家さんのお話がとても好きで、折に触れて聴きにいっていた。
「蓮は、泥の中から咲くでしょう。すごく長い年月をかけて、茎を地上に出して、花を咲かせるらしいです。わたしはわたしの蓮の花を咲かせるまで、30年ちょっとかかりました」
そんなことをおっしゃっていた。
なんだか涙が出て、わたしもがんばろう、と思った。
騙されてもいいや、人を騙す側にいかなければいいや、
人の心は弱くて、わたしの心も弱くて、ずるいことをしたくなっちゃう時もあるだろうけれど、がんばってきよらかな蓮の花を咲かせよう。
辞めた会社員の仕事も、その騙されてもらっていた仕事も、好きな「文章を書く」仕事だった。
帰りがけ、ポストカードがランダムに会場のリスナーに1枚ずつ配られた。
わたしがなんとなく受け取ったそれには、「蓮の花」が描かれていた。
今日のこの日のことを、忘れないようにしよう。
そう思った。
蓮は泥の中から咲く。這いずり回るようにしながら、泥の中から天を探して天に向かって咲く。