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なぜ私はコミュニティサイトを作るのか

コミュニティサイト「それいゆ」の制作の準備をしつつ、こちらを書いています。

私の両親は非常に厳しい人たちでした。いわゆる「毒親」と言っても過言ではありません。テストでもなんでも失敗すると「だからお前はダメなんだ!!

」と罵声が飛んできました。

両親は、二人とも公務員でした。地主ではありませんが、人に貸すほどの土地を保有していました。母は、当時には珍しく遠方から地方の片田舎に嫁いできた人でした。二人は東京で出会いましたが、九州の訛りも少しある母は、田舎では少し浮いていました。

二人ともあまりコミュニケーション能力がなく、いま思うと集団からは浮きがちでした。そのせいか、世間体ばかり気にする人でした。私の気持ちや性質などは考えもせず、私はしょっちゅう怒鳴られていました。

私は「自分はなんで親の望むようにできないんだろう、本当にダメな子だ」と思いながら生きていました。クラスや学年で1番の成績をとっても、その気持ちに変化はありませんでした。

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高校を卒業し、いったん日本の大学に入りました。
しかし生きづらさを抱えている私は、また、親に全て決められてきた私は、飲み物ひとつ選ぶのにもすごく時間がかかる女の子でした。
親からはしょっちゅう電話がかかってきて、「大学をやめろ!」と怒られていました。八つ当たりで本心ではないことをしょっちゅう言っていた両親でした。でも、子供だった私には、そんなことはわかりませんでした。


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幸運なことに、上京してすぐ、仲良しの友人ができました。一緒に上京してきた旧友とも、仲の良さは続いていました。
友人たちと一緒にいる時間はとても楽しく、親のことや自分の境遇を忘れられるひと時でした。ですが、両親が毎日のように「大学をよせ」と言ってくるので、私はせっかく入った大学をやめてしまいました。そして、英国に留学をする流れになりました。

無事ロンドンにある大学の留学生コースから入学許可がおり、私は英国に一人で移住することになりました。時差もあるので、両親から連絡がきても週に一度です。私は嬉々として、自分一人の静かな時間を持つようになりました。そうして自然と自分の内面を見つめ直し、自分自身を見つけていったのです。

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何か壁にぶつかると、友人たちに相談しました。友人たちは時には厳しい助言をくれました。自分の非を見つめたり、変わるのが非常につらい時もありました。変わるのに長い時間がかかり、私からあきらめてしまって離れた親友もいました。いつまで経ってもいたらない、非力な自分。つまずいてばかりの人生に嫌気がさし、死を選んだほうがいいのではないかと悩んだこともありました。不必要にピリピリして、人に心を開くことが難しい時期もありました。

私はなんどもこの世界に絶望しました。でも、そんな私を救ってくれたのも、絶望したはずの、この世界だったのです。

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友人や周囲に助けられ、私は少しずつ自己肯定感の改善ができました。人の輪の中にいるのに、(ここにいちゃいけない気がする)という気持ちを抱えていた、いじめられっ子の私は、いつの間にかできなかったりダメだったりする自分でも受容できるように変化していました。

「私、別に生きててもいいんだ」
そんな感覚を持てるようになりました。



ここまでくるのに、もう、感謝しかありません。
ただ、自分の運の良さについて考えれば考えるほど、『世界に恩返ししたい』といつの間にか思うようになりました。

自己肯定感を高める、自分を真に讃美できるコミュニティを作りたい、いつの間にかそんなふうに考えるようになりました。


高品質な情報を、アクセスしさえすれば簡単に入手できるサイトです。
もちろん全てではありませんが、基本的には無料のサイトです。


いままでいろんな方々に嫌な思いをさせたり、迷惑をかけたり、あるいは助けてもらったり、手を差し伸べてもらったりした恩返しを、私はどうしてもしたいのです。


生きていると人生、いろんなことが本当にありますが、それでも「生きていてよかった。楽しい想いも存分に味わった。生き切った。もう後悔はない」と思えるような人生を、どんな環境に育った女性でも送れるよう、私は願ってやみません。


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歌久妃(かぐや)
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