思い出のお皿を1枚だけ
1ヶ月半、自分の家で父と同居しました。
今日、父は自分の家に戻りました。
「明日、帰ろうか」
帰るその日の朝には、
父は荷物を片付けていて、
私が貸していた3段の引き出しケースと、
ふた付きの透明ボックスを空にして、
荷物をまとめていました。
久しぶりの休みの朝、ゆっくり起きてきた私に
いらだつこともなく、座って待っていました。
朝ごはんを食べ終わると、
膝の上にバックを置いて、
いつもなら見てるテレビを見るでもなく、
座ってじーっと待ってた。
私があわててテーブルを片付け、
洗濯物を干し、
父の荷物を軽自動車に運び込むために、
何往復かしている間に、
父はゆっくりと靴を履き、
助手席に座って待っていた。
「まだやで、ちょっと待って」と言ったけど、
「ゆっくりやから大丈夫や」と。
結局、私は歯磨きも整髪もする時間もなく、
ボサボサ頭のまま、
とりあえずマスクつけて顔を隠し、
運転免許証とスマホだけは持って運転席へ。
家に着いて、父のモノを下ろし、
私が父と母に、それぞれのエリアを説明し、
「自分のエリアに入るようにモノを管理するように」
「重ねてはだめ」
「フタをして中身を見えなくしてはだめ」
「床に置いてはだめ」
「もとの位置にもどすクセをつけて」
「つかわないモノは手放すように」
「掃除しやすいかどうかを第一に考えて、
モノの上にモノを置かない」
などと説教していると、
母と何度か口論に。
実の母と子は、本音ベースで話すので口論になりがち。
ついに母は、
「私は掃除なんかしない!」とまで言うし(苦笑)
私は、
モノであふれて、何がどこにあるかわからなくなる、
それを不便な生活だと思って、
そうならないように父と母に説明するんだけど、
自宅に帰って、冷静によーーーーく考えてると、
掃除しようがしまいが、
モノにあふれて何がなんだかわからなろうが、
両親にとって、それが不便じゃないのかもしれない。
埃や汚れなんて悪くなった目では見えないし、
そんな生活でも、
納得しているのであればよいのかな。
(時々、家に行く必要のある私はいやだけど)
テーブルの上に輪ゴムがいっぱいでも、
台所の引き出しはビニル袋でいっぱいでも、
床が、埃と油汚れでくすんでいても、
それはそれで、
暮らしている人が納得しているのであれば
それはそれである程度ゆるくて良いのかなあと
思ったり、思わなかったり。
なのに、
「玄関に紙ごみを置くのはかっこわるい」とか、
(なのに玄関に食品などを備蓄している)
棚の扉を取ってしまうと丸見えになるだとか、
(家族以外、誰も来ないところなのに、
丸見えの方がどこに何がどれだけあるかすぐ見えるのに)
なんだかわからないけど
誰かからの目線を気にしている発言はする。
なのに、掃除しないと言ってみたり、
やっぱりよくわからないけど、
そのあたりはこのまま反論はしないでおこうと思います。
ちゃらちゃらしたお客様用の食器を
処分することを決められたのはよかったです。
もういらないと、母は言いました。
まるでアリスの世界のようなエレガントティーセット。
小さい頃は、あれでおままごとしたかったけど、
触らせてくれなかった。
私が食器棚から出して、
置く場所がなくなったから
処分する決心がついたんだとは思います。
53年前、両親が結婚したときに買いそろえた食器も、
割れたり欠けたり、つかいにくかったりで、
1、2枚ずつしか残っていなかった食器も、
もうつかわないからと、
捨てることを、決心してくれました。
父を実家に置いて、
代わりに、
両親がごみ集積所まで持って行くのが重い食器類を、
私が捨てるべく、私の家に持って帰ってきました。
車から玄関へ、
食器類を運んでいたとき、
つい、懐かしい古い食器の花柄が
目に入ってしまいました。
あ・・・
それは、両親と私と妹と弟と5人家族で、
囲んだ食卓に並んでいた食器の花柄。
割れたり欠けたりで今はもうそろってないけど。
昭和っぽい、花柄。
あ・・・
いろーーーんなことが思い出される花柄。
自分が小さかった頃の、
父と母が偉大だったときの記憶がよみがえってくる。
胸がきゅんとしてしまいました。
「つかわないなら捨てる!」
「モノはいつか誰かが捨てるもの!」と
容赦なく厳しいことを言ってる私ですが、
普段はつかわないお皿があってもいいじゃないですか。
それで私が幸せなんだから。
その花柄のお皿を、
私の家の食器棚にしまうことにしました。
大きなお皿を一枚。
もし、これから将来、
両親がいなくなったとき。
妹と弟と、このお皿をまんなかにして、
ごはんを食べよう。
これ、この花柄、なつかしいよねって言いながら。
なんて思いながら、
食器棚のお皿に重ねました。