『適応障害ですね』あれから1年・・
こんにちは
ママ鍼灸師 yukiです
早速タイトル重めですが(笑)
去年の私はまさにどん底底辺にいたので
これも節目のいいタイミングかなと思い
ブログに残しておきたいと思います。
去年の9月。
私は勤めていた会社を「休職」する決断をしました。
産後、社内のみんなとは違うスケジュールで働きながら
夜は1人家でワンオペ育児。
週2の休みの内1日は朝から夜までの完全ワンオペ。
残りの1日に自分の予定を詰め込みまくって
毎日時間にやることに追われる日々でした。
体には徐々に異変が起きていて
それはもう仕事に支障でしかないレベル。
それでも休めるわけじゃないから
鍼灸院に週1、他のケアサロンにも月2
そうやって人の手を沢山たくさん借りて
なんとか保っていた状態でした。
一つはいわゆる「吃音」
うまくしゃべれないんです。
言いたいこと、何を話すか決まっているのに
喉がぎゅーっと押し付けられてみたいに
発声ができないんです。
字面だけ見ると怖いですよね(笑)
でもそんな状態でも仕事はしなきゃで
恥ずかしさと苦しさを押し殺しながら
仕事する日々。
今思えば私はその「吃音」を
どうにかすることしか頭になくて
どうしたらちゃんと喋れるかということだけ考えて
鍼したり、手当てを受けたりしていました。
いわゆる枝葉の「症状」だけを
見てもがいてました。
しばらくするとこの吃音も落ち着いてきて
仕事にいくことが少しづつ楽になり
「あーやっと前みたいに仕事できる」と思っていました。
ですがそれもつかの間。
今度は体の力が異常に入ってしまって
自分のコントロールではどうしようもできない。
それがとうとうお客様にも迷惑がかかる
「切皮痛」につながることに。
(鍼がチクッとなることが明らかに増えて
それが自分でコントロールできない状態に)
これも振り返ると
吃音の時点では私と信頼関係のある方々は
なんかしゃべり方少し変かな?くらいで
信頼を壊すことにまで発展しなかったけど
この切皮痛に関しては
「yukiの鍼は痛くなくて効く」という
信頼の元来てくださっているお客様へも
その信頼を打ち壊すことに発展する症状でした。
私もここでついに初めて
「大好きなこの仕事ができなくなってしまうかもしれない。。
(お客様がいなくなってしまうかもしれない)」
という恐怖にかられました。
そして枝葉の症状ではなく
「自分自身」という本質に
向き合うきっかけがこの出来事だったなと今では思います。
私が「適応障害」になってしまったのは
間違いなく自分で自分を傷つけ続けた結果だと思います。
日々過ごしていく中で自分に湧き上がる
「怒り」や「悲しみ」という感情をすべて押し殺して
蓋をし続けてため込みすぎたこと。
自分を大切にしてあげられなかったこと。
それがこの「休職」という結果につながりました。
最初はその事実も中々受け入れられない日々でしたが
あの時に休職していなかったら
私はきっと今でも次々とくる
枝葉の「症状」に
なんとか乗り越えてはまた次の枝、
また次。。と繰り返していたと思います。
どうにかして仕事を続けていくこと
しか選択肢のなかった私に
とある鍼灸師さんが選択肢をくださったことで
休職し、そして独立して今こうして
自分自身を1番大切にしながら過ごせています。
私自身を幸せにするために
身体が悲鳴をあげてSOSを出し続けてくれたこと
本当に今では感謝しかないです
自分の体なのにわかってあげられなくてごめんね(笑)
だいぶ痛めつけたよね(笑)
って今は思います
1年経った今だから
こんなにも大きな心で
自分に起きたことを受け止めて
受け入れられるようになりました。
すべてを失う覚悟で
いきなり休職して退職して独立して。
それでもyukiを必要としてくださる方々が
本当にたくさんいてくださって
今、大好きな仕事をのびのびできています。
だからこそ1人でもいいから
私のこの経験がその人を支えられたり
頼れる場所であれたらいいなと思っています。
私はたった1人の味方に
本当に人生をかえてもらって
救ってもらって今があるから。
人生にはすべて意味があって
すべてがつながってる
yuki….♡
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