「誰もが最初は素人だった」二ノ宮ゆい×松永あかね 声優オーディションを受ける人たちへのメッセージ
アニメカルチャーの発展とともに、人気も上昇中の「声優」というお仕事。May'n、田所あずさ、大橋彩香らが所属するホリプロインターナショナルでは、現在『声優アーティストオーディション2023』の応募を受付しており、審査通過者は、専属契約ののち、国内のみならず、グローバルに活躍していけるチャンスが待っている。
今回は、2017年に開催された「ミラクル声優オーディション」に揃って合格し、『アイカツフレンズ!』で声優デビュー。現在ホリプロインターナショナルに所属して活躍中の、二ノ宮ゆい、松永あかねの2人にインタビュー。東京、大阪とそれぞれに色の違うオーディションでの様子や、声優を志す人たちへのメッセージを聞いた。
■最初は軽い気持ちで応募していた
――お二人とも同じ年のオーディションを受けられていましたね。はじめての出会いを覚えていますか?
二ノ宮ゆい(以下、二ノ宮)「最終審査の前に『合宿審査』っていうのがあるんですけど、最初に会話したのはそこだよね。でも、自分のことで精一杯みたいなところがあって、仲良くなったのは本当に最終に行けた時かなあ」
松永あかね(以下、松永)「そうだね。ただ、私が受けた大阪の予選って結構和気あいあいとした空気があって、待合室で“女子トーク”していたぐらい。合宿でもそんなノリで行っちゃったから、トイレから帰ってきて、レッスン時間にちょっと遅刻しちゃったんですよ。そしたら『これは遊びじゃないんだよ』みたいに言われて……私が悪いんですけど(笑)」
二ノ宮「あとでスタッフさんに、東京と大阪で控え室の雰囲気が全然違うみたいな話は聞いた(笑)。東京予選の控え室は誰も声を出さないから緊張感がすごくて、ずっとドキドキが続いていたかも」
松永「ほかに覚えてるのは、一日で三次審査ぐらいまで進んだこと。昼間から予選を受けて、終わったときには外が暗くなってた。だから体力、気力勝負ではあるかも」
――オーディションを受けたきっかけは何だったんですか?
松永「それまではこれという目標がなくて、ナレーターとか、アナウンサーとか、イラストレーターとか、和菓子屋さんとか、あとは税理士とか、本当にいろいろ選択肢を考えていたんです。ただ、若いうちから挑戦できる仕事って考えると、声優が当てはまるっていうことで、まったく素養とかはなかったけど応募してみました。親には詳しく話していなかったので、最終まで進んじゃって、『お金はどうするの?転校手続きはどうするの?』って許可が出ず、一度辞退したんです」
二ノ宮「私も親には詳しく話さないタイプなので、軽い感じで『オーディション受けてみる』ぐらいにしか言ってなかった(笑)。たぶん反対されても、揺るがない性格っていうのがわかっていたから。あかねは実家が三重県っていうのも大きかったよね」
松永「そうそう。合格したら上京するのが決まっていたから。でも後々、諦めきれない気持ちが沸いてきて『もう一回受けさせてください』ってお願いして。やっぱり私だけの問題じゃなくなるから、とくに地方組の人は受けるときに親に了承を得てほしいです」
――二ノ宮さんは以前インタビューしたときも話していましたが、高校生の時、部活を辞めて打ち込めるものを探していたんですよね。
二ノ宮「はい。私もオーディション自体は力試しでした。そこで、書類が通らないとか、一次審査でダメとかなったら、『声優は向いてなかったんだな』って諦めて他の道に行ってました。自分の人生の指標をつくる第一歩っていう感じでしたね」
松永「すごい。そこまで考えてたんだね。私よりちゃんとしてる(笑)」
■地方に住む人は親にしっかり話しておくべき
――どのくらいから声優への“本気度”が高まってきましたか?
二ノ宮「合宿からですね。そこで発声の練習だったり、演技の練習だったり、結構本格的なことを学んでいって、それが結構楽しくて、もっと本格的に身につけたいなっていう気持ちが出てきて」
松永「柔軟性がなかったので、ダンスの練習はきつかった。準備運動で、先生が『もっと伸ばして!』ってグイッと押して来て『ああ〜〜!』って(笑)。そのときも、結構な数の大人に見守られていて、恥ずかしいし、緊張するし」
――今思えば、「受ける時にもっとこれをこうしておけば」っていうことはありますか。
二ノ宮「私、オーディションで人と違うことをして変に目立つのが、恥ずかしくて嫌だったんです。でも、そんな気持ちは一切必要なくて、その時の“自分のベストを出す”ことだけに集中すればよかったなって。終わった後、『声ちっちゃかったかな』とか『もっとアピールすればよかったな』とか、後悔が大きかったんですよ」
松永「“オーディション慣れ”してる子もいるから、それを見ると余計に心が引いちゃったりするよね。でも見ている人はみんな温かい目で受け入れてくれると思う。私は面接で紙芝居を披露したぐらいだし(笑)」
二ノ宮「うん。だから『当たって砕けろ!』の精神で、強い気持ちでのぞんでほしいです」
松永「私はさっきも言ったけど、『地方にいることの覚悟を持っておくべき』ですかね。合格したら東京に来てお仕事するので、なかなか実家に帰ることもできないし、友だちと以前みたいに遊べなくなっちゃう。だから選考が通ったら『絶対このお仕事をやりきる』っていうぐらいの意思は持ってほしいなと。歌とか、表現活動が好きな気持ちが強ければ強いほど、それは乗り越えられるんじゃないかと思います」
■「声優」という仕事を通して大人になれた気がする
――声優としての最初のお仕事が『アイカツフレンズ!』だと思うんですけど、当時のことを覚えていますか?
二ノ宮「たしか、歌のレコーディングからだったんですね。その様子を撮影するカメラも入っていて、すごく接写で撮られていて、マイクも『えっ、こんな近くで歌うの』っていうぐらい接近していて緊張しながら歌った記憶がありますね」
松永「私も歌だった気がします。練習してからなんだろうなって思ってたら、いきなりレコーディングだったから、『今から録るんですか!?』みたいな(笑)」
――そんな経験を経ていろいろな作品に出演されてきましたが、声優の仕事を続けてきて良かったと思うことは何でしょうか。
松永「あーなんだろう。『いろんな世界を見れること』ですかね。三重県にいたら、それまで全然目にすることのなかった現場に行けたり、ステージを作る人だったり、メイクさんだったりの仕事を見る機会があって。それで物事の見え方が変わるというか、視野が広まって、会話もしやすくなりました」
二ノ宮「それ、すごいわかる。あとはいろんな作品にも触れて、『このキャラはこういう考え方があるんだ』って、相手のことを理解しようとする力が身についた。それまで、“自分の正しい”を通して、カッとなることもあったんですけど、そんなことも無くなって、ずいぶん大人になりました(笑)」
――最後に受ける方に応援のメッセージ的なのをいただければと思います。
二ノ宮「私もあかねもだし、なんなら先輩方も素人からオーディションを受けて声優になっていると思うので、『何もスキルがない……』って後ろ向きにならずに、一歩踏み出してほしいです。それだけで、この先の未来が変わってくると思うので。この募集を見つけたが縁ということで、ぜひ応募してみてほしいです」
松永「こういう業界に関わりたいって漠然と思ってる人なら、ホリプロインターナショナルに就職するチャンスでもあるからね(笑)。もちろん、親ともしっかり話してもらって」
二ノ宮「あ、あと声優だから『全然アニメ声じゃない』って悩んでいる人もいると思うんです。でも、大丈夫です。私もずっとその悩みを抱えてたので。ちゃんとその人の適正分野が見つかるはずだし、それを見つけてくれる人もいるから、そのままの個性でぶつかってほしいです!」
〈編集後記〉
「一歩踏み出そう」と、言葉にするのはたやすいが、行く先に「夢・目標」がある場合、どれだけ実行するのが難しいことだろう。「実力がまだ足りていない」「年齢的にもまだ早い」「まだその時期じゃない」と、立ち止まらせる理由ばかりが先行し、チャンスを刈り取ろうとしてくる。そんな気持ちに打ち勝つは、「なりたい自分になる」という強い気持ち、やはりこれが大きいのではないだろうか。応募動機自体は気軽だったという今回の二人も、選考が進むに連れ、「声優で生きていく」と純粋な気持ちを誰よりも持ち、ここに登場している。近い将来、そんな強い思いを持った人とインタビューで出会えたらこの上ない喜びだ。
<二ノ宮ゆい マネージャー談>
何かに打ち込みたいと行動を起こした二ノ宮ですが、その行動を起こそうとしたチャレンジ精神の根底は今でも彼女の中にあると思っています。
いろんなことに挑戦したいと前向きに頑張る彼女の現在の姿は、当時から変わらぬ部分でもあり、そこからさらに成長した姿なのだなと思った時に、私自身もより頑張ろうと身が引き締まる思いになりました。
<松永あかね マネージャー談>
今の松永があるのは、オーディションという一歩を踏み出した勇気から始まったと思います。
オーディションを受けている過程で辛いことも多かったと思いますが、その時に自分と向き合えたからこそ、親を説得してでも声優になりたいと決心した松永の思いに感動しました。
一歩の勇気が今後の自分の可能性に繋がっていきますので、ぜひ悩んでいる方はホリプロインターナショナルの声優アーティストオーディションを受けてみてください!
応募お待ちしております!
取材・文/東田俊介
写真/宮下祐介