「不潔」排除社会
皮膚の色を理由として店舗や公共交通機関の利用を拒むことは現代社会では許されないことです。しかし、「清潔度」を理由に利用を拒むことは今も公然と行われています。たとえば、私が居住する地域の商業施設(一般的な物販店や飲食店が入居しています)にも次のような文言の掲示がされています。
「著しく不潔な身体または服装により他のお客様にご迷惑を及ぼす」方の利用をお断りするというものです。
「不潔」とレッテル貼られて利用を拒まれた方の心情に共感しようとする姿勢は、「迷惑」という言葉によって否定されているかのようです。「清潔」を保つことができない暮らしや働き方を強いられている人びとへの想像力も機能を停止させられています。
今も、地球上のあちこちで、多くの人びとが貧困、戦乱、社会的混乱などを背景に「清潔」ではない生活を営んでいる現実があります。日本社会においても、大規模な災害の被災者ともなれば、清潔な生活が保障されるわけではありません。
大阪市の釜ヶ崎(あいりん地区)では警察官が土木・建設業に従事する人びとを「450(ヨゴレ)」という隠語で呼んでいました。釜ヶ崎において人びとが警察への抗議行動を起こしてきた背景にもあると思います。
学校におけるいじめの場面で、被害を受けている子どもが「臭い、きたない、ばい菌、〇〇菌」などと呼ばれることがしばしば起こっています。また、昨年からの感染症の流行にともなって、感染者やその関係者への非難、嫌悪や社会的排除が大きな問題となっています。野宿者が暴言や暴力の被害者となる事件は以前から頻発しています。こうしたところにも「不潔」排除と共通した要素があります。
「不潔」という感覚と概念を社会的排除の正当化に結びつけてしまわない理性が私たちに求められているのではないでしょうか。
下記の記事もご参照ください。
「ホームレスお断わり」 マック難民はどこへ行くのか(田中龍作ジャーナル)2013年10月27日
https://tanakaryusaku.jp/2013/10/0008104
「キモい」がいじめっ子と差別主義者の口グセになった「根深い原因」 Ore Change
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70639