『Sutra』はスペクタクル性から離れ、想像の旅を喚起させる

今日からオーチャードホールで上演されるシディ・ラルビ・シェルカウイの『スートラ』。私のささやかなダンス観劇歴において、5本の指に入る名作だ。実は2008年の初演をアヴィニョンで観ていて、当時在籍していた会社でこの作品を招聘すべく書いた企画書の中に、フランスの情報誌のラルビのインタビューを転載していた。『スートラ』の創作方法とラルビの思想を読み解くための、非常に重要な鍵をここで公開します。拙訳お許しを!

『Sutra』はスペクタクル性から離れ、想像の旅を喚起させる

 シディ・ラルビ・シェルカウイ インタビュー 

 転載:La Terrasse – Special Festival d’Avignon 2008

−どうして少林寺の僧たちと道を交わることになったのですか?

その頃私はヨーロッパから距離を置く必要を感じていた。2007年の5月、友人の伊藤寿が少林寺に一緒に行こうと勧めてくれたんだ。そこでは僧たちと存在と思考の概念について多くの意見交換をした。それはすばらしい出会いだった。一緒に何か出来ないかという考えが芽生え始めた。10月再び中国に渡り、その欲求は計画へと成長した。2008年の春、私達は『Sutra』を創るために2ヶ月間を寺で過ごした。

 −彼らの生活信条はあなたに何をもたらしましたか?

自己確認が出来るような穏やかな場所を常に探していたんだ。32歳になって少林寺が更に身近に感じられるようになった。彼らの人生を学ぶ方法の中から身体と精神を再発見した。僧たちはアルコールを口にせず菜食を守っている。ヨーロッパでは西洋人のアプローチは精神的なものに留まり、動物性を放棄しながら、美しさやフォルムからくる身体に興味を持ったりしている。私がする身体のなじませ方や、自然なやり方で身体を抑制する方法は彼らの修練の方法と通じるところがあった。マーシャルアーツを実践しながら僧たちは、純粋な自然と身体的なアイデンティティーを明らかにしようとしている。彼らは体型に合わせたスタイルや個性や動きの質を形成している。彼らは人間の中の“動物”を敬い、頭の中に檻を用意する代わりに、その動物が飼いならされなければならないということも知っている。その動きは蛇や虎や蛙そのものなんだ。この発想は、例えばクラシックのダンサーなんかを根本から初期化してしまうものだよ。

 −どうやって僧たちと作業を進めたのですか?

舞台美術に関しては、長く仏教を学んでいたイギリス人造形作家のアントニー・ゴームリーと共に主な構想を練った。彼は21個の人間のサイズの木の箱を組み合わせて見せた。時には迷宮を、時には山を、寺院を思い起こさせながら、シーンを作るためにそれらを操った。ストーリーは絶え間ないこの移動の中から生まれていった。クリエーションの初めの頃、私の頭の中には中国で焼き付けられた寺院や山の風景のはっきりとしたイメージがあった。僧たちと共に、私達はお互いが通行するための適切な間隔を身に付けて行った。私達は積み木で遊ぶ子供のようだったよ。

 −どうやってあなたのコンテンポラリーダンスのテクニックと僧たちのマーシャルアーツのテクニックを合致させていったのですか?

カンフーを学んではいないけど、子供の頃から映画を見て理解していたよ。私達はその鋭敏な動きの中で、表面的な成果に溺れることなく真実を探求することに重きを置いてきた。動きに対する知覚は、リズムの急激な変化や方向性や視線の角度などをもたらす若いポーランドの作曲家、シモン・ブルゾスカの音楽と向き合うことによって変わっていった。『Sutra』はスペクタクル性から離れ、想像の旅を喚起させる作品だと思うよ。

 −この経験から何を学びましたか?

牢屋の中にいたとしても、逃げ出すためのドアはいつでも開いている、ということだね。

2016/10/1


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