抱容力のある社会づくりを目指して
「芸術は社会の役に立つのだろうか?」
先の震災の際には、多くのアーティストやアートに従事する者がこのことを自問していました。生死の境をさまようような体験をし、大切な人を失い、家も財産も失ってしまった人たちに対し、芸術は何ができるのか、私も本気で考えていました。そして今も答えは見つかっていません。ただ今言えるのは、経済や教育や福祉と同様に、芸術文化とは「生死の問題」である、ということです。
「芸術団体は公的な助成や補助を受けるに値するのだろうか?」
この問いかけに的確に答えられるアーティストは少ないと思います。かく言う私もそうでした。数年前芸団協のセミナーを受けたとき、米屋尚子さんが言われた言葉が私を目覚めさせてくれました。
「助成金は芸術団体のためのものではありません。」
今は私が同じことを、事業を共にするアーティストに話しています。
もしある芸術団体が公的な助成金を受けたのであれば、そこには「ミッション」が発生します。たとえば、社会に対してオープンな姿勢を持ち、地域や人との関わりを大切にしながら創作する。鑑賞機会の提供を媒体として、社会に対して文化的な還元を図る、などということです。
それによって、人が人生を1歩前に踏み出す勇気をもたらすこともあるでしょう。人の気持ちを考えなければいけないと気づくこともあるでしょう。身寄りのないお年寄に話し相手ができたり、引き篭もっていた若者が街に出たりすることもあるでしょう。
社会おいて、「アーティストが役に立つこと」は、間違いなくあります。
アーティストが社会を良くしたいと願い、彼らの活動を通じてそれを実践しようとするとき、それは公的な助成をするのに値すると考えます。
芸術とは決して一部のマニアや専門家の所有物ではありません。しかし、2012年のこの時代において、未だに多くの人が芸術や文化を他人事としかみていない状況があります。それは東京・地方の差とかではなく、非常に普遍的な現象です。それは、人間にとって重要な「心の問題」がほったらかしになってしまっている、という現状を表すものであると思います。
「芸術が社会のために果たせる役割をもっと積極的に引き出すことはできないのか?」
私は昨年の5月から11月まで、横浜市とBankART1929が主催した「BankART Life 3 ~新・港村 小さな未来都市~」に主要スタッフとして参加しました。横浜市の新港ピア全館を使い、ヨコハマトリエンナーレと連携して行われたこの大規模な展覧会の運営に参加し、私は本当に大切な思想を学びました。会場は多くのアーティストや文化系NPOが参加し、毎日のようにブースで自分たちの活動を紹介し、シンポジウムを開催して問題提起をし、観客を巻き込んだイベントを開催していました。それは90日に渡り継続し、次第に参加者を増やし、会期の最後まで成長してゆきました。BankART1929代表の池田修氏が仕掛けたこの展覧会は、アートと社会との境目を意図的に消失させてしまいました。誰もがここでくつろぎ、感動し、学び、コミュニケーションを楽しんでいました。芸術が人を包み込み、優しい社会を作ることができるという具体的実践を私は目の当たりにしました。
私がここで学んだ思想とは、「社会的包摂/Social Inclusion」です。
包容力のある社会を想像するためには、行政や公益財団法人などの公的機関がどういう社会を作りたいのかというヴィジョンを定め、アーティストや文化系NPOに対して明確なミッションを与え、未来に向けて共に取り組むことが必要です。
「文化とは寛容力、芸術とは包容力である」と、私は信じています。
2012年2月22日 レイヨンヴェール代表 川口眞人