ナースの専門性と在宅・地域医療・コミュニティナースの役割について①

病院で出逢う看護師さんたちはアセスメントの訓練を受けていて、疾患についての知識もたくさんある。薬についての知識もたくさんたくさん。オペの流れや器具だって。患者さんのベッドの周りの機械の使い方だって、バッチリわかっているんだと思う。点滴もバッチリで、血管探すのも上手。ドクターの指示もしっかりわかるし、違和感があったらそれも察知できる。

故に、地域に出た時でも、「看護師さん、ちょっと前から○○なんだけど、なんだろうね!?」とか「え!血圧こんなに高いの?家族も○○だし、○○かな?」と住民の方々に聞かれたりもします。住民のみなさんもたくさんの「これってなに?」を看護師に持ってきてくれます。でも、そこで、あ!これはきっと○○だろうな。と思っても「〇〇ですよ」と私が「診断」することはありません。それがどれだけわかりきったことでも私たち看護師は「診断」をすることはありません。「診断」をするのは「医師」の仕事であるからです。

でも、多くの看護師さんたちは「診断」したがります。たくさんの知識と経験から「わかる」ので、ついつい「診断」したくなってしまう気持ちもわからなくもないです。が、心でグッと我慢我慢。が大事だと私は思っています。

私たち看護師が目を向ける先、仕事、専門性の部分は「ケア」です。症状や数値から疾患がわかる、もしくは診断名がついている患者さんだったとしても、その人個別に適した「ケア」の部分を考えること。「診断」の部分に気をとられがち、「治療」の部分に気をとられがち、ですが、私たちはその先の患者さんの「ケア」の部分を全力で考えていかなければならないと思います。

そのために看護学校では、身体的だけではなく、精神的・社会的側面、さらにはスピリチュアルな部分までを全人的に捉える訓練をしていたはずです。薬以外のペインコントロールが看護師の仕事だということも学んでいます。看護師なので、たくさんの患者さんとたくさんの病気、たくさんの薬の名前も知っています。だから薬に対しても「これには〇〇がいい」ということはわかっていることも多いし、「これだと○○」とわかってはいますが、薬の処方も医師のお仕事です。お薬を準備するのは薬剤師さんの領域です。病院ではなんでもわかって、なんでもできるプチ医者、ミニドクターみたいな看護師が優秀とされている気がしますが、私は看護師として、もっともっと「看護」の部分、「ケア」の部分が重要視されてもいいのではないかなーと思ったりしています。

症状を見て「これかもしれないな」と予測できることはとても大事なことだと思います。もしかするとできていないといけない部分であるかもしれません。だけど、疾患を当てるよりも、患者さんを全人的に看て、どう「ケア」していくか。何ができるかを考えること。本人さんが何がしたいのか、何を望んでいるのかを考えること。それこそが、看護師としての専門性の分野であると思っています。
そして、多職種で連携して、この人には他にどんな専門職が必要か。どんなヒトモノコトが必要なのか。本人の希望する最大のケアをしていくためにはどうつながっていくか、つなげていくか。本人が幸せになるにはどうしたらいいか。を考え、実践していくことが看護師の大きな大きな本来の専門性の部分であるのではないかと思います。

だから、私が常に意識していることは「プチドクター」「ミニドクター」にならないこと。なろうとしないこと。病院にいると、どうしても「キュア」に寄りがちになってしまいますが、私たち看護師の専門性は「ケア」の部分であると思います。ここを履き違えないように、どんな時も「ケア」の部分「看護」の部分を大切にしていきたいと思います。

そして、だからこそ、看護師の働く場所は病院に限らず、「地域」や「生活の場」であってもいい。いやむしろ、地域や生活の動線上に看護師がいることの方が自然なのではないか、と私は思っています。

明日はここの部分について、丁寧に書いていきたいと思います。ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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