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ガルシア=マルケス 百年の孤独からの、私的な思い出
とうとう明日発売な、文庫版。
しかも、新潮文庫。
私のスペイン語の先生から始めてもらったcien años de soledad
本を指差しながら「ほらここの文字が鏡文字になっているだろ」と、優しい笑顔で語ってくれた。
私には特別な本だ。
まだ大学生の私は、そこまでマルケスに傾倒してもいなかったので、でも先生とはサシで話すことも多く、その中でのひとつのマルケス。
先生はスペイン語検定試験を立ち上げた人なのだけれど、こういう縁の下の力持ちの人の名はなかなか残らない。
むしろ先生を慕っていた、もう泉下の人もいるが、そういう人たちは、いわゆる「有名」である。
私の手元には先生経由のそういう翻訳者の本が次々と送られてきていた。
もちろん先生が読んだあとだが。
だから、先生とたまに待ち合わせてたまには私が詩や小説を書いていて、合評会などをやっていたミロンがなどに連れて行くと、旅行でもタンゴ好きな先生は喜んで、お互い、洋書やもらった本の評論のような話をしていても、タンゴに気分が良くなり、コロンビア大学での先生の話、ポゴタの話などの方へ行って、本の話からは逸れてしまうのだが、それが楽しかった。
そして帰りにはいつも花屋に寄って、「薔薇半ダース」と言って私に。
日本人はあまりダースで買わないんだよなとも言っていたけれど。
そんな真紅のしかも大きなものを持って帰るのは、いささか動揺したが、異性に興味が本質的にない私でもかなり相手が先生であることで、嬉しかった。
あー、思い出とは何で胸が潰れそうになるのだろう。
今は外にいるが、ここの人たちも100年後は誰も存在しない。
それなのに、今の世の中、戦争や殺人で人の寿命を取る人たちがいる。
かなりいろんな嫌なことをされても、むしろ笑顔で優しく返す私だが、命に関わる時は別である。
世の中は断捨離流行りも定着したが、先生から頂いた革装の百科事典や、カーロイクエルボの革装の本たち、先生のフィールドワークの分厚い書、洋書作家たちからもらった本や詩人の自費出版の本など山のような本たちを一冊でも処分できるわけがない。
そう、それが私の人生なのだ。私の人生の定義は、子供の頃から変わっていない。人を生きること。
自分は地球では仮の姿と友人たちにはまじめに言っているけれど、誰も笑って相手にしないが本気なのは今でも変わらない。しかし、今は地球にいるのだから、地球の人間として生きることだけなのだ。
ちなみに、生まれ変わりや何やらは全く信じていない。そういうものがあるなら、生まれ変わりたくない。
ガボも、亡くなってからいろんなスキャンダルも出たが、誰だって長生きすればホコリはある。それも含めての人間という生き物なのだ。
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追記
と思ったら!本屋さんに百年の孤独が売っていました💕
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嬉しい。