翩翩たる真面目
表裏一体、ポジティブとネガティブ、対義語、鏡、トランプの絵のついたカード。
私の根本には、”対”みたいなものがテーマにある気がします。
長所を考えるより短所から考えるのはネガティブなせいで、かといってネガティブ100%じゃないからポジティブなところもあるはずで・・・みたいに、必ずといっていいほど両面を考えてます。
いえ、そもそも長所と短所を考えることが前提である自己分析で両面考えることはまったくもって当たり前なのですが、その考え方というか思考回路で私が私を操作している、といった感覚のお話です。
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両面を考える性格は、”長所はなにか”を考えたときに強く影響されていたと思います。
学校できっと通る道。
『自分の良いところと悪いところを書いてください』がテーマの作文を書いた記憶がありますか?
自分の良いところを自分で表すなんてどんだけ恥ずかしい作業をさせるのだろうと、少なくとも私以外にも思った人はいたはずで、むしろ少なくないから先生は『自分でここ良いところ!って言いにくいだろうから、短所と思うところを逆に考えても良いんだよ。長所と短所は表と裏、紙一重だから』と補足を付けたのだと思います。
先に書いたように、短所から考えたほうがわかりやすかったネガティブな性格ですから、それを聞いてなるほど、ぜひそれで書かせていただきますと飛びついたものの、そもそもネガティブって何だろうとなったわけです。
「裏」ってなに?「裏の顔」??と迷子になって、とりあえず当たり障りのない入り口をみつけて、どちらかというと明るい(けど本当は暗い)、真面目(でも調子に乗るから不真面目?)、優しいほうだと思う…けど嫌いな人とかいるし…、人混みは嫌いだけどお祭り好き!、ごはんとパンなら、あれ麺類は?などと、あらゆる逆パターンを考えてみました。
途中で好き嫌いの話じゃなくて性格の話だった、と気づけたのは幸いでした。
結果、その時は『まじめ』要素をメインに書き上げた気がします。
実は書いた記憶があるだけで、書いた内容そのものを覚えていませんでした。
それからの自己分析ではよく、『優柔不断(かもしれない)』が多くなりました。
ちなみに優柔不断の対義は剛毅果断というのですが、その言葉を知らないまま”決めたら早い”みたいな言い方で長所の部分扱いしています。
優柔不断ってこういうことかみたいに思ったのは、白と黒、行くか行かないか、AランチかBランチかみたいな”2つしかない”ときの選択パターンになると、なかなかどっちか決められず、ほぼ毎回「この中間があればいいのに~」などと我儘極まりない考え方をすることに気づいたからです。
そして優柔不断だからこそ、長所と短所を考えたときどっちがより自分に当てはまるのかで迷うのかと、優柔不断確定要素にしています。
ただ自分の性格をわかっていないだけかもしれませんが。
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”人生はなにかしらの選択だ”
このフレーズと出会ったときは衝撃でした。
どっちか選ばないといけないのが人生なのかと。
こんな優柔不断の私が、そんな選択をしていけるのかと思いました。
そう思ったものの、じゃあ性格変えよう!とはならずそれなりにその度に何かを選択してはきました。
”その都度”でしかない選択は、先のこと(多少の先ではなくて将来の、長い目でという先)を考えていないということです。
そこに気づかないまま歩んだ道には、後悔することばかり増えていきます。
あの時、もっと考えておけば良かったとか、あっちにしてたらとか。
こんな風に(今頃ですけれども)気づけたことはそれこそ幸いだと思ってます。
これからも、私は何かを選択していくだろうし、結果選択していたということです。
そのことを頭での理解だけではなく心で納得できていれば、たとえ後悔する選択をしたとしても、”こっち選んじゃった♪”くらいの後悔にはできるかもしれません。
『まじめ』であろう私にはうってつけじゃないでしょうか♬