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未明

ちょっとだけ不思議なことがありました。

ふと幼少の記憶が甦ってきて、どうしてかはわからないけれどその記憶を書き留めたくなってメモしました。


朝の4時半頃に。


どーーーーーん。


なんで、こんな明朝に目が覚めたもののまだ眠いのに、理由不明の思い出した記憶をこれもまた理由不明に書き綴ってるのか意味不明なんだけど私、って思いながらもメモしたんですよね。

見返したら、折れ曲がって壊れかけた針金のような字でした。


目を覚ましたーーひとりだったーー

母も姉も父もいない

ペットもかってないーー一人


から始まります。


目を覚ましたら誰もいないから不安で泣きじゃくったものの、ふと買い物に行ったのかもと思い付いて見当付けたお店に行ってみようと奮い立ち、歩いてたら途中で帰ってくる母と姉に会えた(父はいつも通り会社に行ってただけ)という”置いてけぼり”にされたという記憶なんですが。


たぶん4歳前後だったと思います。
今思えば、見当つけたお店にいるとも限らないのに、一人で外出なんてしたこともないのに、よく探しに出たな~なんて思います。

雪道をちゃんと冬用の格好で、てくてくと歩いた記憶が残ってます。

母と姉に出合わせたとき、母はあっけらかんと「起きちゃったか」とか「よく着替えてきたね」でしたけど、私は心中さながら冒険してきたような気持ちだったのをうっすら覚えてます。
それでも「別に~」みたいな良く言えばクールな対応をしていた気がします。


私の針金文字アートは冷静に、そのことがきっかけか全くもってわからないけれどひとりで外出できちゃったという自信と経験値を得たことで、大概のことを一人でしてしまう性格はこの辺から始まったんじゃないかという分析を残していました。
見返した今そう思うかというと、微妙なところです。


この記憶はこの日突然思い出したわけじゃありません。
久々に思い出した記憶ですが、どうして思い出したのかさっぱり不明です。
それとも思い出すときはそういうものなんでしょうか。


ざっと書いて脳か気持ちかが満足したのか、ちゃんと寝ようよ私。って再度眠りました。



そのまま何に使われることもなく放置されたメモなんですが、数日後のことです。
父と母と3人で家族会議といいますか打ち合わせとでもいいますかそういった話をした日があったのですが、ふと何の脈絡もなく父が昔住んでたアパートの話をし始めました。
私の記憶にはないアパートですが、子供のころやごくたまに話しの中で名前が出てくるので、”聞いてることで記憶のある”アパートです。

そのアパートにいたときの記憶がないと言うと、私が何歳ころだったかの話になり、それから父が「寝てるから置いてったら目を覚まして家から出てきちゃってたからな」と。


え、なにこのデジャヴ感。


結局、私が思い出した時のとは別の話(何度もあるのかーい)だったのですが、最近昔話をしたわけでもないのにずいぶんタイムリーだなと思ったんです。

よく「これ食べたいな~」と思ってたら料理に出てきて、食べたかったと言ったら”母が食べたかったから作った”とか”なんとなくこれかなと思った”ということがわりと多いんです。
母曰く、同じ食事をしていると欲しくなるものが一緒になる確率が高いらしいです。
あくまで、母の経験談みたいなものの話ですが。

そういう衣食住が重なっていたらもしかしたら思い出すタイミングみたいなものが重なることもあり得るのかもしれません(ないとは言い切れないくらいのレベルで)が、大人になってから父とはほぼ生活が重なってないので尚更不思議な気がしました。



ただの偶然といえばそれだけの話で。
ただ、それだけのお話でした。

拙い話を読んでくださりありがとうございます。



それにしても、”置いてけぼりにされる”は末っ子あるあるなんでしょうかね?笑

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三日月
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