売る責任、買う責任
物と暮らしていた人生
田舎の広い平屋で生まれた私。親の影響もあり、なんでも勿体ないと捨てられない人に育った。 なんでも溜め込む癖がついてしまった。気づけば部屋はもので溢れていた。 時は過ぎネットショップで欲しいと思ったら次の日には届く、溜め込む日々、物が溢れる部屋が出来上がっていた。買うことは辞められなかった。
ガラクタを捨てて気づいたこと
物を溜め込んだ部屋に嫌悪すら抱いていたある日、ガラクタ捨てというものと出会った。 持っていた物の7割から8割のものはガラクタだった。 ガラクタを捨てた。気づけば床が見えていた。部屋を片付けらえるようになった。机の上に物がなくなった。 日々掃除をするまでになった。心が軽くなったのを実感した。変化を感じた。
買う物を吟味する努力
ガラクタの支配から解放されて、衝動買いをしなくなった。 ネットで話題のものはなんでもぽちり、今考えるとやってきたものはチープなものがほとんどだった。 使えないのに、ガラクタを捨てられずため込んでいた。 本当に欲しいのか、代替えのものはないか、吟味をして買うようになった。
企業は捨てることを前提にしていないか
ガラクタを捨てているとき思った。 2000年代からデフレで物が安くなった。安くするためにどんどん材料がチープになった。 ネットで安価に手に入るものはすぐ壊れるようなものばかり、企業は買い替えも消費として見ている。 粗悪品を大量に売って、捨てられたものを砕いてリサイクルするそれは正しいのか?
質のいいものは人の手を渡り歩いていく
自分にはガラクタでも他人に譲ったものはこれからも使われていくのだろう。 新しいものと入れ替えるとき、だれかに使ってもらえるようなもの、質のいいものを買おうと最近思っている。砕いて作り直すより、良いものがそのままで、回っていく方が本当の意味で持続可能ということなのではないだろうか。
未来のためにできること
大量消費がなければ回らない経済ならそれは持続可能ではない。 物を大切にする。必要なものだけを大事に使う。壊れても修理して工夫して使い続ける。欲しい人に譲る。丁寧な暮らしをすること。物を大事にする気持ちは他人のことを気づかうことと同じ、心の平穏を得る方法の一つだ。
子供のころ見た映画のような、未来もいいだろう、その前に、人間としての本質を今一度見直すことが必要なのではないかと思う。
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