ミャクミャク (万博のゆるキャラ?)

みゃくみゃくと進んでいる万博の準備。なのでしょうか。

万博、アニメでPR 「ミャクミャク」主役、3月放送

時事通信 経済部2025年02月10日16時44分配信

万博のゆるキャラを初めて見ました。アニメが始まるようですね。


私が小学生の時に、大阪で万博が開催された。関西の方はもちろん、日本国中の人たちがワクワクしながら待ち望んでいて、春休みだか夏休みだか、クラスでは話題になっていた。私は、東京都品川区の公立小学校に通っていた。その地域は貧富の差が本当に激しいところで、高級住宅地の家にはお手伝いさん、運転手さんがいるのが当たり前、外車が並ぶし、一流企業の社宅の子達もみんな英語、ピアノともう一つぐらいお稽古事してるのが当たり前。中学からは国公立(大学附属)や私立の学校を受験するために塾に行く子も多かった。

反対に「下町」風の商店街や小規模の工場などもあって(下町ロケットのような原風景)、お母さんが内職しているとか、自分だけの部屋はなくて居間で勉強してるっていう子もいた。生活保護のことか、給食費が払えないとか、パンの耳をもらって帰ってる子もいたそうだ(子供だったので詳しくは知らなかったが)

だから、お金持ちグループは休みにハワイぐらい行くのが当たり前だったけど、クラスの中で「万博に行く」と公言するのは、私には憚られた。夏休み後の自由学習とかで見学の記録とか出してもよかったのだけど、私はクラスでは大阪に行ったことは黙っていた。

アメリカやソ連(当時)館や日本館がすごく並んだり、企業のパビリオンも人気があったり。月の石は見たような気もするし、並ぶのを諦めた気もする。そんなのはどうでもよかった。うちは両親が戦争で全て無くしていて、いわば戦後の「成金」だったが、父は「お金を残すことはできないが、教育は残せる」と言って、子供の頃から、旅行に連れて行ってくれた。その旅行も父の価値観でいわゆる観光(文化とか自然とか)はほとんどしないで、社会科見学みたいなことが多かった。その時の産業とか、商業を見て回る。土地の知り合いにあったり、タクシーの運転手さんにも、土地の暮らしを聞いたりとか。

万博の時は、割と大掛かりで出かけたから、夏休みだったのかもしれない。

始まる前から、「こんにっちわ〰️〰️ こんにっちわ〰️〰️」という三波春夫さんの歌は東京であっても町中に鳴り渡っていたし、子供達は、アポロだの月の石だの話していた。そして、テーマが

人類の進歩と調和」 (Progress and Harmony for Mankind)

https://www.expo70-park.jp/cause/expo/

小学生の頃は、学生運動とか機動隊という言葉がニュースに踊っていて、そんな漫画を描いた覚えがある(絵は下手だったから、1、2回描いてやめてしまったが)

中学になり、反戦歌とかメッセージソングとかに触れるようになって
あの頃の学生運動の意味がだんだんとわかるようになった。
大学受験の頃には、いろいろな大学で(模試とかで都内の大学に行く機会があった)大きな看板が出ていて、マイクで「我々わ〜〰️」といういわゆる「あじ」演説が聞こえた。ビラも配られていたかもしれない。
私が入学した都内の私学はおとなしいミッション系だったけど、近くに中核派のアジトがある関係か、学生運動は79年ごろまで続いていた。(学費値上げ反対とか成田空港とか)

そんな頃にふと万博のテーマを思い出して、「60年代って日本は戦後の復興期、経済発展のためにシャカリキに働いていた頃」奇跡の経済成長なんて言われていた時代だったのだと思う。70年代の初めもその機運はあった。いわゆる団塊世代(戦後のベビーブームの子達)が大学に溢れていたのだろう。

大学生の時ふと「人類の進歩」はわかるけど、どうして、70年に「調和」という言葉が出てくるのだろうか。私の記憶にある1970年は「進歩」「発展」「開発」という言葉は似合うものの、まだまだ環境問題だの、自然を大切になんて聞いたこともなかった。わずかにフォークソング(シンガーソングライター)という人たちのメッセージに自然とかいう言葉があっただけで。

今でもずっと大切にしている自分のテーマは「調和」である
Harmonia Mundi
いわゆる音楽でいうハーモニー というのが調和という意味である。気持ちのいい和音というのは、体にピッタリくるけど、音が外れていると例えばそれが初めて聞く曲だったとしてもなんだか気持ちが悪い。作曲者はそれが意図なのだとか、楽譜にはそうなっている、とかいうのかもしれない。だったら「間違って」演奏しているわけじゃないだろう。
でも、聞き手は「和音があってない」「音痴」だと気が付く。
それは人間の体の中にアプリオリに「気持ちのいい和音」が入っているからじゃないかな。と思うようになったのだ。善悪の問題じゃなくて。
気持ちがいいか、悪いかという至って感性的な話だが。

そのharmonia mundiをキーワードに、学生時代(大学院時代)からずっと12世紀のヨーロッパの文献を読んでいるのであるが。

ある時、万博の企画に携わったという有名な教授(都市工学か建築学か)にお会いできる機会があって、なぜあの70年代に「調和」というキーワードが出てきたのか、と問うことができた。教授は、当時の社会にはいろいろな対立があり、発展、開発も大事だが、調和が大切なのだとちゃんと気がついておられたそうだ。残念ながら60年代から80年代ぐらいまで、一般庶民の私には、そのメッセージは全然伝わっていなかったのだけど。80年代にドイツで黒い森が死ぬで行く、という酸性雨が社会問題となっていて、ちょうどドイツ語中級などでテキストとしてその手のものをたくさん読んでいた。日本では「公害」と言われて、国や企業が悪いという方向なのだけど、ドイツは「私たちが私たちの自然を壊している」というスタンスなんだということに気がついた。もちろん、一部の企業や行政の責任はあるにしても。意識の問題だ。

今、分断が問題になっている。調和がキーワードになっているとも思う。
だから、今こそ「人類の進歩と調和」なんじゃないかと思ったりする。

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leo&Max@ドイツ
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