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私がうつ病になるまで

はじめに

自己紹介の投稿にも書きましたが、私は2~3年前に「うつ病」と診断をされ今も治療を続けています。
今回は、診断をされる前にどのような症状があったか等を話していきたいと思います。

学生時代

始めに、私には今でも忘れることの出来ない大きなトラウマがあります。
それは当時大学2年か3年の頃、数年前に亡くなった父がうつ病になった時です。

父は単身赴任で東京に行っていた時に東日本大震災が起き被災しました。東京への転勤の際に一緒に来て欲しいと言われていましたが、当時私は数か月後に高校受験が控えていたため、父は渋々単身赴任になりました。その時に被災してから少しずつ体調を崩し最終的にうつ病と診断されたようです。

仕事を退職し家にいた父から面と向かって「俺が病気になったのはお前のせいだ」と言われました。ショックと同時に、このまま一緒に暮らしていては就職活動にも影響すると思い、母に「離婚してくれ」と頼みました。
その後、離婚が成立し母と暮らし始めましたが親くらいの年齢の男性に対しての恐怖感を抱いてしまいました。

社会人時代①

何とか就職できましたが、いきなり地方に配属され初めての一人暮らしをしなければならなくなりました。一人暮らしが出来るのか、仕事が出来るのか、配属先の人とうまくやれるのか様々な不安を抱えて社会人生活が始まりました。

地方の店舗なので人員も限られており、ゆっくり仕事を覚えるというよりかは詰め込まざるを得ない状況でした。なかなか出来ない焦りからか気持ちは焦るばかりでも身体が追い付いていかず余計に出来なくなる負のスパイラルに陥りました。当然上司からは、同期と比較し毎日怒られ続ける様になりました。その上司はパワハラ気質の人で有名な人で、本社からも注意をされていた様ですが直らない人だったようです。

また、新入社員だったので本社で頻繁に研修がありました。店舗の人員が足りていた時は前乗りし研修翌日に帰ることが許されました。しかし人員が少なくなってからは、前乗りはさせてもらえましたが研修が終わってから当日の夜行バスで帰宅し、遅番で出勤する形になりました。
そのような生活が続いてからは出勤前に吐き気がし嘔吐してから出勤するのが習慣になっていました。本来ならばこの時点でアウトなのですが、「新入社員だから休んじゃいけない」「熱がある訳じゃないから休んじゃいけない」「仕事が出来ない自分が悪い」と自分自身を責め、追い詰めながら日々を過ごしていました。

新入社員研修で同じエリアの同期と顔を合わせた時にそのことを愚痴っていたら、エリア長から度々心配されるようになりましたが、正直な気持ちを言えず「大丈夫です」と答えていました。
配属されてから数か月後、新入社員研修で担当していた本社の方が臨店で来た時に少しだけ話をした1~2か月後に転勤が言い渡されました。札幌市内の店舗だったので実家から通うことになりました。

社会人時代②

移動先の店舗は忙しいのですが、その分人員も多いところでした。実家から通える安心感、上司は厳しくも優しい方だったので安心していました。ですが、その上司含め私以外の社員が私が異動してから1か月後に全員異動でいなくなってしまいました。
その時の異動で私の同期が来ました。同期と一緒に働く事が初めてだったので嬉しかったのと同時に、仕事が出来る同期だったので「自分も何とか追い付きたい」と頑張れましたが、同期が異動から1年経たないくらいで別の店に異動になってからまた辛い日々になりました。

同期が異動で来た時に一緒に異動で来た上司の態度が180度変わり、ずっとイライラするようになりました。パートさんだけでなく、自分含め社員に対しても当たりが強くなり、挨拶以外の会話が無くなりました。同じ頃にパートさん同士の喧嘩も起き始め板挟みの様な形になり、また出勤前の吐き気や嘔吐が再発しました。
私がその店に異動してから1年過ぎた頃に退職まで所属していた店に異動になりました。
その店には計2回所属しましたがこの時の異動が1回目でした。

社会人時代③

実家により近くなり出勤時のストレスは解消されましたが、今度はその店の古くからいるパートさんから攻撃を受けることになります。
新しく来た社員はほぼ全員が標的にされていた様で今回は自分が標的にされました。
異動してすぐストレスチェックというものが行われ、案の定引っ掛かりました。
産業医との面談をしましたが特に改善された訳でもありませんでした。
異動して半年ほど過ぎた時に、今でも連絡を取る間柄の中途入社の方が配属になりました。
その頃から標的が自分ではなくなりましたが、症状はほぼ変わりませんでした。
異動から1年半ほど過ぎ別の店に異動になりましたが、移動先の店でとうとういろいろなものが壊れてしまいました。

社会人時代④

異動して1年ほど経った時に来た店長とそりが合わず、さらに自分が抱えている業務が今までより増えた事から始まりました。今まででもギリギリの状態でしたが、肉体的にも精神的にも限界を迎えてしまいました。常にイライラし、出勤前に髭を剃る気力すら無くなりました。その事で叱責されましたが自分自身の状態を素直に話すことが出来ず自分を責め続けていました。
休憩中に食事を取ってもすぐに嘔吐してしまう状態でした。
流石にまずいと思い心療内科を探し予約しようと思い電話しましたが半年待ちと言われてしまいその時は受診できませんでした。

現在

再び前の店に異動が決まった頃に心療内科を見つけ、通院するようになりましたが先生と合わずに今現在も通院している大学病院に転院し1度目の休職をすることになりました。
1度目の休職時、外に出ることも出来ない様な状態でした。休職前も出勤途中で急激に体調不良になったりしましたが、所属していた店の上司が理解ある人だったのでとても助かりました。
半年ほど休職し年末に復職しましたが、復職後10か月ほどで再休職し1年ほど治療を続けましたが退職し現在に至ります。

さいごに

私の場合、ストレスが溜まると身体に症状が出るタイプでした。
出勤前に吐き気やめまい、嘔吐するようになった時点でかなり危ない状態だったと思います。ですが、「休んだら迷惑をかける」と自分を過度に追い詰めたことでより悪化してしまいました。
退職するまで所属していた店の上司からは、「休んだって良い」と言われました。
「仕事を休む=悪」と0か100で考えていたので少し気が楽になりました。

精神的な病気は、外から見れば健康な人に見られがちです。骨折してギプスをしているわけでも無いので傍から見れば元気に見えてしまうかもしれません。それ故に体調不良で休んでもなかなか理解されにくいです。
「仕事休んでいるのに遊びには行けるのか」と思われる方も多いと思います。
自分自身もこういう状態になるまでそう思っていました。

実際にこのような状態になると遊びに行く事も仕事に行く時同様に大変にもなります。
朝起きて体調が良くても途中で悪くなることも普通にあります。
好きな事を楽しめるようになるまで時間がかかることもあります。
治療により仕事を休んでいる時は、治す事が仕事であり遊ぶことも治療の一つなのです。

好きな事をやれているのは、その状態まで回復してきたという事を少しでも知っていただけると幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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