「目に見えるわかりやすいもの」と「目に見えないわかりにくいもの」
目に見えるものってわかりやすくて、
何事においても基準にして考えている気がする。
テストの点数
会社で自分が達成するべき数字
個人が所属している学校や会社などの集団
この年齢になって思うのは、
見えないもの信じてみるって重要なんじゃないかということ。
テクノロジーの進化は止まることを知らず日々進歩を続け、
2020年から出口が見えないニューノーマルという生き方もあいまって、
より一層激化する毎秒の環境の変化によって、
知識や経験から正解と呼べる選択肢は無くなっている気がする。
いや、多分ないのだろう。
1+1=2 のような単純な計算で結果が導けるのであれば、結果が確実に出せる数字を数式に当てはめて結果を出せばいい。
ただ、こんな単純計算で結果が導けるように、ある特定の手段で必ず思い通りの
結果がでることはおそらく不可能だろう。
だとしたら、この変化が激しい環境の中で、
絶対に正解と呼ばれる手段や考え方を見つけるのが難しい世の中で、
何か達成するためにはどうすれば良いのか。
その答えは、
多分、目に見える判断基準が少なく不安定な時こそ、
目に見えない可能性を信じて、特定の手段を取ってみたり、
周りの人にアクションを任せてみる、
ということなのではないでしょうか。
今の人間を取り巻く環境が不確実性が高いのであれば、
日々取り組むことも見直して変化させる必要があるかも知れないし、
仕事で取り組むべきタスクも別のものに変えて、
別のタスクを自分の仕事として取り組む必要があるかも知れないし、
毎日決断していることを振り返って、自分がとるべきだと思っていたアクションを周りの人に任せる必要があるかも知れない。
それらの変化を生み出そうとするかしないかは、
自分次第だと思うけれど、
理想の結果を導くために必ず正しいと言える手段を考えて選択することが難しいのであれば、
正解に近そうな選択肢をとにかく行動に移す、
実行してみるという心意気が必要なのではないだろうか。
自分が正解に近そうな選択肢をとにかく行動に移す、
実行してみるという心意気を持っておくというのも、もちろん重要だけれど、
もっと重要なのは、
周りの人が正解に近そうな選択肢を持ってきた時に、
その人のこれまでの経験や成果などの
目に見えるわかりやすいもので判断するのではなく、
とにかく行動に移してもらう、
実行できるのを支援するという心意気が重要なのではないだろうか。
目に見えなくてわかりにくいものは世の中にたくさんあると思うけど、
数値化できるものや言語化できるものが全て正しいものではないはず。
だって、あなたも、
目に見えなくても輝いて見える何かを感じたことが必ずあるはずだから。