幸せの監視社会
監視社会=悪
多くのメディアは中国の監視社会を批判し、日本人の多くは監視社会に対して良い印象を抱いていない。
日本の最大都市、東京に設置されている監視カメラ数は約10万、第二最大都市の大阪は約8万5,000。
中国の大都市(特別行政区を除く)上海では100万もの監視カメラが人々を常に映している。
ちなみに上海の面積は東京の10倍に当たるので、面積あたりの監視カメラ台数に大きな差はない。
つまり中国と日本(大都市)の監視カメラ社会は共に発達しているのである。ここまでの話で個人情報主義者の方々は発狂するかもしれないが、まず監視社会の是非はデメリットとメリットをまとめてみる必要がある。
アメリカの大手eコマース企業Amazonが非接触型店舗「AmazonGO」を発表した。システムは消費者が手に取った商品情報を無数に存在するカメラとによって判別されるというもの。要は店舗内ではAmazonの監視に常に晒されるわけである。
同じようなシステムを導入したコンビニは中国にも存在する。中国のIT都市と言われる深圳では街中にドローンが飛んでいるような未来都市社会でコンビニの無人化もいち早く事業化していた。
中国の場合はタグ読み取りで、日本の無人販売所の構造によく似ている。そのためAmazonGOのような近未来感は感じることはできない。
Amazonなど販売事業者の多くは無人販売を進めている。現状、システムのランニングコストやシステムエラー、利用方法がわからない、盗難などの問題からAmazonGOは閉店が相次ぎ、中国の無人コンビニでは無人なはずの店舗にシステム説明のための店員がいる状態に陥っている。人件費を削るためのビジネスモデルがこれでは焼石に水だ。
しかし、システムの問題が解決、利用者の認識が高まれば多くの場所で無人による商取引は盛んになる。
この便利な商取引システムは間違いなく追跡用の監視カメラのおかげである。監視カメラが便利名社会を生み出している。
監視社会に対する批判として「自由を奪う」をあげる人がいるが全く違う。
今の東京を見て貰えばわかるとおり、皆自由だ。新宿歌舞伎町には無数の監視カメラが設置されているが、自身の荷物を全て放り出して大の字で寝ている会社員がいるほどでだ。
どれだけ自由な社会なのだろうか、これ以上の自由とはなんだろうかと聞き返したくなるほどに。
この手の批判をしてくる大半の人は「監視」という文字に対して良い印象を持っていないのではないだろうか。僕も「監視」という言葉には良い印象を持てない。だったら、無職という言葉がよくないので「フリーター」という言葉を世に広め、作家として活躍している道下裕史氏のように新しい言い方にすればいい。
監視カメラが平和を作り出す点を踏まえて「ピースカメラ」なんて不安感を感じないような脱力感のある名前に変更したい。
国が豊臣末期の時代の猿といえば処刑されるような時代にならない限り、社会は監視カメラによって便利が追求されることになる。
現に、人々はスマホでの商取引でメールアドレス、クレジット番号を容易に入力し、クッキーによって個別最適化された提案を享受している。膨大な個人情報を国ではなく民間企業が搾取している点を見れば国からの監視は自然と受け入れられる。
要は、人々は自由・便利を求めるが、その自由・便利は監視によって成り立っている。
皮肉な話である。