薔薇の牧場に舞う者は 004
(1995/03/30) @南千住・東京都荒川区・日本
雨。
朝から小雨。ついている。傘は要らない。
北へ歩く。手には黒いポリ袋。ゆっくり進む。ここに至るまで、新聞配達員と遭遇したが向こうは気にも止めなかった。
やがて川に行きあたる。隅田川だ。雨のせいで水面は靄って見える。
歩みは止めない。Uターン。南に向かう。
左手の敷地内への入口が一つ、二つ、三つ、四つ。四つ目を過ぎてから袋を探り、時計を見る。
(08:15)
そのまま南へ歩きだす。ゆっくりトボトボと。できる限りトボトボと。トボトボ、トボトボ。
「いい国だ。」
ふと思う。平和で、住んでいる人々は礼儀正しく温順・親切。自然は美しく食事も美味い。ここ東京では居ながらにして世界中の料理を楽しめる。
親の愛情に恵まれ順当に育ち、きちんとした教育を受け、異性と出会い恋をして結婚し、子供を成してその子を育て、夫婦仲睦まじく飽きも飽かれもせずに年を取り、子らに看取られながら一生終わる。身の安全を保証されながらそれが叶う。世界で最も幸せな国の一つ。
再び北へとUターン。
彼には多くの先輩がいた。彼らもまた、この国を、この街を、ここに住む人々を愛した。
彼もまた然り。今の境遇から足を洗ったら余生はこの国で過ごしたい。そう思って生きてきた。10日前までは。
これからも、この国は以前のようであり続けるだろうか。
そうあって欲しい。
隅田川沿いに建つウォーターフロント・マンション群:アクロシティA〜F棟+α関連施設の敷地内に入る一番南の入口までもうすぐだ。
(08:30)
不意に音が聞こえた。一回、二回、三回、四回。等間隔!
遠くで聞こえたこの音を、この国の人々なら
「建築資材が高いところから地面に落ちたような音」
とでも表現するだろう。だが経験を積んだ彼が間違えることはない。
銃声だ!やり遂げたのだ!!
そのまま進む。歩みは止めない。
車輪の回る音。自転車が出入口から飛び出した。帽子にメガネ、濃紺のコートを羽織った人物がペダルを漕いでいる。
彼を見るやいなやギョッとしたかのように急ブレーキ!濃紺のショルダーバッグに手を入れ、
ドサリ!
何かを落とす。ものも言わずに脇目も振らず南へ向けて走り去る。
落としていった物を拾ってみると巾着仕様の袋であった。この時期まだ黒かったゴミ出し用のポリ袋にそれを落とし込み、直ちに彼も歩きだす。
周辺住民もそろそろ起きて外に出てくる時間帯。だが、彼を見ても話しかけることはない。会話どころか挨拶ひとつしないに違いない。避けるように素早く離れるだろう。
彼はそういう存在だった。世界中の大都市で珍しくもないありふれた存在。21世紀に入って以降、彼や彼の先輩達が愛したこの国・この街の住人は、彼のような存在をこう呼んだ。
ホームレス。
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