連載 私と受験#3 小5の6月、塾初日で泣いて辞めたがる
初めての公開テスト
小5になると、周りで塾に行き出す友達が増えた。一方、うちは何の気配もなし。そんなある日、母が2冊の問題集を買ってきた。表紙に花の写真を大きくあしらった中学入試の過去問だった。一つは関西学院、もう一つは後に自分の母校になる中学だった。
恐らく母は関学に照準を定めていたのだろう。近所に住んでいた五個上の従兄弟は、地元の公立小から関学を受けたが不合格だった。成績がどうだったのかは知らないし、うちの母も受験とは無縁の人だったから、だいたいそこら辺りが相場だろうというくらいだったのだろう。問題集の中にはプリント形式で過去問が入っていたが当然解けるはずもなく。その本はその後、入試が終わるまで本棚の隅で眠っていた。
次に動いたのは大手進学塾の公開テストだった。5月に初めて家の隣の駅の教室で受けた。この日、母は妹のピアノの発表会かなにかで不在で、昼食にツナサンドを置いていった。これを家を出る前に食べたのだが、食べ過ぎてしまい、父に車で送ってもらう道中、吐きそうになって最悪のコンディションだった。教室に着いてからも、もともとの塾生たちがものすごく騒がしく暴れたおしていて、その雰囲気に圧倒されっぱなしだった。
テストは数日後に返され、入塾判定は確か3ランクあるうちの真ん中で、その中で真ん中くらいだった。当時も今も関西一の生徒数で、後に長男はそこに通わせたし、私もバイトで講師をしたのだが、母はここへの入塾はさせなかった。過去問、公開テストと何かやらねばということだったのだろうが、決め手を欠いたのだろうか。
初めての塾
次に向かったのは中堅どころの大川ゼミという塾だった。今はもう吸収合併されて屋号はないが、その頃は北摂地域で複数の教室を運営していて、浜学園ほどではないが、それなりの勢力とされていた。
親に連れられ豊中教室に向かう。駅の西側は今ではエトレという大きな商業施設ができているが、当時はブルーマートというコンビニやゲーセンが立ち並ぶゴチャゴチャしたところだった。その塾の豊中教室も1階は餃子の王将。いきなり度肝を抜かれた。細く狭い階段を上がっていくときも、餃子の激しいスメルにクラクラした。
事務所で手続きをし、奥の小部屋で算数と国語の入塾テストを受けた。すぐに採点され確か、90点台と80点台だった。教室長からよくできていたと誉められ、あれよあれよと入塾の手続きをし、6月の最初の授業から参戦することになった。クラスは二つあるうちの上の方だった。
初日。靴を脱いで教室に入ると(靴は自席の引き出しに入れる)、当たり前だが一斉に注目された。誰やという視線。30人くらいのクラスで座席表を確認し、一番右後ろのベッタの場所に自分の名前を確認する。座席は毎月のテストの成績順で、前の10人くらいは一人席、後ろは二人で一席をシェアするという分かりやすい構図だった。
月例テストを受けていない私の隣、つまり最下位は女子だった。品定めするような目付きで、それまで最下位なのに半端で一人で占有していたので、私の席に置いていたカバンをめんどくさそうにのけた。クラスには小学校の同級生も一人いたが、彼も塾生と喋るのに夢中で、知らぬ世界があるものだなと思った。
授業が始まり教室長が算数のテストを配る。前週の復習テストということだったが、内容は分数のかけ算割り算。習ってない。当然全く分からない。テストが終わり相互採点のため隣と交換する。採点が終わり隣から返された答案には48点と冷たく書かれていた。転記のため一人ずつ点数を言わされる。ぶっちぎりのベッタだった。屈辱だった。その後の授業のことは全く覚えていない。
家に帰るなり大泣きしてあの塾辞めたいと母に訴えた。母は塾に電話して教室長に相談した。室長は習っていないのだから気にしないでよいという。ただし、次回までに使用していた力の5000題で追い付いておいてほしいという。さすがに習ってないので、親に教えてもらった。その後、親に受験勉強で手伝ってもらうのは社会の暗記を読み上げてもらうくらいだったが、その時は父か母か忘れたが一緒にやったはずだ。その後、やめたいと言うことはなかったので、たぶん何とか軌道には乗ったのだろう。
月末に月例テストがあった。算数と国語。その結果で7月からの席が決まる。必死でやった。新しい席が貼り出される7月最初の授業。教室に入ると、おおっみたいな声が上がった。座席表を見ると7番だった。一人席昇格。学校の同級生も抜かしていた。みんなの見る目が替わった。室長も満足そうだった。
さらに次の8月。座席発表の日に教室に入ると、教室内が私を見てどよめいた。座席表を見ると1番だった。一番前の左前。その教室の王者の位置。入って二ヶ月で最下位から1番にかけ上がった私を教室の仲間はエースとして遇してくれた。いま思い出してもとてもいいメンバーたちだったと思う。認めることは認める。昔ってみんなそうだったのかな。
ここの塾は勉強も遊びもとにかく楽しかった。受験までのことはまた次回に。
今日は大阪に戻っていた。長男も次男も夜は長めの塾に行っていたので、妻と二人で近所でクエ鍋をいただきました。まいう