70年も 先週、衝撃的な話を聞いた。私も行ってた津田英語塾が今年度限りで閉業するのだという。前にも書いたけど、英語嫌いだった私は高1からここに通って、高校の最後はむしろ英語が得点源になるまで鍛えていただいた。単語から読解からあらゆる面を厳しく指導していただき、英検の準1級も取れた。そんな津田がなくなる。信じられん。 さる筋から入手した告知文によると、近年は英語出題のあり方が変わったことや、生徒数の減少もありもう経営を維持していくのが難しいと赤裸々に書かれていた。そして何よ
晴れてよかった 昨日は運動会。木金と雨で心配してたけど、無事にできた。元気元気。目一杯動いて、目一杯応援して。一つ目の塾は間に合わないので休んで一寝入り。疲れるよな、私も寝てた。 考えてみたら下の子は毎年違う学校で運動会してる。事情があるからしょうがないけど。一年生の時は東京。引っ越して間なしの時だったからこちらも生活に慣れてないし、バタバタしてた。いろいろあったけど、担任の先生が割ときっちり見てくださる方だったのでよかったかなと。 夏に大阪に引っ越して、前にも書いたけど
承認欲求 いよいよ、共通テストの出願が始まって、息子のところも学校からまとめて出してくれるとのことでお金を払った。今は1000点満点なんですね。自分の時より2科目も多い。昔は作業とか言われたけど、今はいろいろ思考力を問うとかもっともらしいこと言って、資料読解などややこしい問題も増えてるとのこと。はっきり言うけど、作業でええやんこんなん。そんなテストで人のことなんて測れるわけないやん。なら潔く作業らしくやればよいのや。 ツイッターとかでは高校生たちがくそとかなんとか言って自分
原体験は立浪 高校野球が進んでますな。最近はあんまり見てないけど、昔はヘビービューワーで、甲子園が終わると父にお金をもらって、近所のボロい書店にてアサヒグラフ増刊号を買ったものだった。写真のやつは初めて買ったときのをネットでスクショ。第69回大会、1987年だからもう、37年前。立浪率いるPLが春夏連覇したときですな。 この時のPLはドラフト1位でプロになった選手がたくさんいて、それはそれはすごかった。でも、ほかのチームもすごくて、一番気に入っていたのは東亜学園の川島投手。
今度は約30年ぶり 今日は朝から次男の習い事で京都に来た。眠い目をこすりながらで電車の中でずっと寝てたけどしょうがないね。 地下鉄を降りて地上に出て驚いた。四条通りには立派な山鉾が鎮座していたのだ。そういえばもう祇園祭の季節なんやなあと。次男も初めて見たのでその威容に驚いてた。習い事終わったらよく観察してからかえろなといって送り出した。 祇園祭はよく考えるともう30年ぶりくらいやなと。阪急京都線に乗って大学に行ってたけど、この時期になると、梅田駅とかでも例のコンチキチン
去年のいまごろ この日記のアーカイブを見直すと、去年の同じような時期にずいぶんおセンチなことを書いていた。来し方をアンニュイに振り返るいつものスタイル。もう癖だね。ただやっぱりスガシカオのJuneは涙なくしては聞けないし、「愛について」はあの猛暑と豪雪に苦しめられた山陰の記憶を色濃くよみがえらせてくれる。音楽って刷り込みの最たるものだなと思う。 タイムライン 似たようなものばかりを追っているからかして、Xのタイムラインは今どきの高校生の模試結果をアップする画像がたくさん
高島屋にて 会食恐怖の話を直近で書いたばっかりなのになんだけど、こないだ高島屋の喫茶で時間つぶしをしているとき、巨大なショートケーキに遭遇した。ドリンクとセットで1900円したので、どんなんよとおもって来たのが写真のやつ。でかすぎ。直前に食べたパスタが少々お上品だったことがあり、少し甘いものでもと思って入って頼んだらこれ。美味しかったけどさすがに残した。 6月になった。毎月投稿のバッジがほしいわけではないけど、続いていると少し習慣になる。こういうの、仕事とか勉強のモチベ維
会食(外食)恐怖症の気象予報士の話が出てた。これ、わかるなあと思って。 もちろん、僕も今はそんなことないけど、ある時期、この症状に心底悩んだことがあった。 フランス料理 それは一浪を経て、大学に受かった春のこと。前期の合格発表の日はびびって電報が届いてから掲示板を見に行って、同級生にさんざんバカにされた。で、その友達と夜、三条の王将で祝勝会をした。慣れぬビールとバカ食いで、鴨川べりにでて吐きそうになってた。何とか吐かずに帰宅したが思えばこれが予兆だった。 何日かした後
もどってきて2週間。こちらでの仕事は夜勤もなく、土日祝は休み。やったことない中身ではあるが、2ターン回してなんとなくわかってきた。事務処理は苦手じゃないのでこれはこれでありかと。 なにより子供たちと向き合う時間が増えた。全員揃うのは2年ぶりだけど、そうしなさいということだったのかも。充実してます。 今は子供の習い事待ちで早朝から京都へ。久々の京都もいいですね。勝手知ったるではないけど、見慣れた街。落ち着きます。
赤羽徘徊 とうとう東京を出る日が迫ってきた。本当はいろいろ散策して、最後は銭湯で締めようと思っていたけど、こんなに雨が続いたらちょっと無理。でも、最後の用事を済ませるため、朝から懐かしき赤羽に行った。 最後の用事って言っても、そんなたいそうなものではなくて、前にも書いたハゲの薬をもらいに行くだけです。引っ越して、新しい皮膚科を探すとなると、また先生の問診を受けて、アタマ見られてというしゃあないとはいえ、屈辱的な儀式をしなければいけないので、このかかりつけで思い切って3カ月
東京を去るまであと4日になった。仕事は最後の追い込みで忙しい。その割にお誘いもそこそこあってありがたい。 こないだは京成立石というところのおでん屋に。参加者は大阪時代のしりあいばかり。町並みも自分の生まれ育った下町みたいで懐かしかった。 翌日は携わったプロジェクトの新旧チームが慰労会をしてくれた。仕事終わりの深夜に寿司屋に行っていろいろ話した。会費制にしようと言ったがいらないと言われた。うれしかった。 だから今日、非番だったので日本橋の高島屋まで行ってお菓子を買った。いつもす
朝からとんでもない強風の一日。今日は夕方に異動の発表と部会があった。 それまでに何となく、この街を目に刻んでおきたい気がして、前から行きたかった近所の庭園に足を運んだ。 行くまでは最近凝っている昭和歌謡を聴く。中森明菜と薬師丸ひろ子など。そして、着いたらイヤホンは外した。景色だけではなく、音も味わいたかったから。 入り口で150円を払い、中に足を踏み入れる。 庭園を愛でるような教養はないけれど、あまりにも澄み渡った青空で、池を優雅に泳ぐ水鳥たちや、のんびり首を伸ば
というわけで、言われていた通り、春からまた戻ることになった。内示日なのになかなか電話こんなあと思いながら、地下中華でギトギトの回鍋肉定食を食らい、もう今日ないなら帰ろうと思ってたら、言われた。 いろいろ思いはないこともないけど、まずは単身赴任が一区切りつけられるだけでもよかったかなと。次男をぬか喜びさせたくなかったので、今まで黙ってたけど、知らせたらとても喜んで、もう学校の友達にも言ったらしい。あれだけ前の学校で傷ついたけど、今はここで6年生まで通いたいと言ってくれてるから、
昨日は早朝からの仕事を終えた後、世話になっている先輩と合流して立ち飲み屋で5時間、カラオケ3時間。久しぶりの会合までの間にいろいろあったから、慰労と憂さ晴らしの意味も込めて。 そして今日は休み。昨日の疲れで昼前に起きた。冷凍庫の整理をしていこうと、月末に賞味期限が迫っていたすき家の牛丼の素、2袋を使い切る。あと残すはエビドリアだけ。 1年半暮らしたこの街とも、たぶんあと1ヶ月もすればお別れになる。たぶん。いろいろあったから、じゃあ東京に来なければよかったんじゃないか
新しい年 年明けから学校だけではなく、家も替わった。学校のためにその狭い部屋を駆け込みで借りていたのだけど、もうその必要もなくなったし。 いろいろ相談していた人に変わることを告げたら、「新しい年を新しい気持ちで迎えられると思って」と前向きな言葉を掛けていただいた。そうだと思う。 もういろいろあったことは忘れよう。
管理職から泣きながら話があった直後にまた電話があった。今度は何だろう。手続き忘れでもあったのだろうかと聞いてみると、担任ほかクラスの子が手紙を書いたのだと。ただ、管理職が見たところ、失礼なというか、そうじゃないだろうという表現も散見されて、渡すのを躊躇しているという。 うーん、そういうところなんかなと。手続きに行った時に、何の改善もされなかった状態で、普通の転校と同じように担任からの手紙はもらえませんと拒否した。にもかかわらず、子供たちにまで書かせた。同じことで、結局、