(三十一)「荒城の月」の1番2番を読み解く

土井晩翠が作詞したこの有名な歌は、いくつかの解釈がなされている。この歌は分かり易いように見えて、実際は難解な部分がある。この歌の原文を示してから、当方の解釈を示そう。
(一)
春高樓*1の 花の宴*2 巡る盃 影さして*3
千代の松が枝 分け出でし 昔の光 今いずこ

この歌の解釈の困難さは、宴を高樓の中でしたのか外でしたのかが、曖昧で分かりにくい事に加えて、中と解釈するのと外と解釈するのとでは、大きく解釈が異なってしまうことにある。
一一解説すると、却って分かりづらいので二つの解釈を並列して記すことにしよう。
解釈(1)
春も酣、月が東の空に姿を現した。天守閣の見える城内で、花の宴の真っ盛り。月光が宴をしている武士たちを照らしている。
 老松の枝から漏れる月光が武士たちの喜びの顔を照らしている。しかし、今はここには人の住まない城のみで、ただ月光が天守を照らすのみである。ああ、栄華はなんと儚いものであろう。

解釈(2)
春も酣、月が東の空に姿を現した。天守閣の最上階で、花の宴の真っ盛り。月光が宴をしている武士たちを照らしている。彼等は、一つの盃を順順に回し飲みしている最中である。
武士たちは、次の日庭園の松の木を愛でている。松の枝から漏れる春の日差しを浴びながら武士たちが春を謳歌している。戦争の勝利者として栄華を得たであろう彼等も今はいない。ああ、栄華はなんと儚いものであろう。

*1:高樓とは、三階建て以上の建物を指す言葉である。日本の城内で高樓と言えば、天守閣以外にはない。本殿は通常平屋である。
*2:「高樓の宴」という句は、文字通りに解釈すれば、天守閣の最上階での宴という意味になる。しかし、本来高樓の外で宴をするなら、「春樓外の花の宴」と言わなければならない。
*3:天守閣の最上階の高さは、大名屋敷の松ヶ枝の高さよりずっと高い位置にあるので、松が枝から月光が漏れて部屋の中に入り込むことは無い。したがって、これは昼間の松の木の近くを歩いた際の出来事である。

(二)
秋陣営の 霜の色 鳴きゆく雁の 数見せて
植うる剣に 照り沿いし 昔の光 今いずこ

雁は越冬のため9月から3月まで日本に滞在する。従って、マガンが雁行して飛んでいるこの風景は9~10月頃と察する。「秋陣営の 霜の色」とは、戦場で武士たちが刀を鞘から抜いている所を述べたものである。「霜の色」を「冷え込みがひどくて霜が降りた」と解釈する人がいるが、それは誤りである。
時はまだ霜が降りる時分ではない。李白の『静夜思』に「床前看月光、疑是地上霜」(ベッドの前で月を見た、地上の霜かと見間違えるほどだった)とある様に、「霜の色」とは秋の浩月の色を意味する言葉である。夕方、白い月が出ている所に雁が飛んでゆくのが見えるという意味だ。
後半の「植うる剣」とは、『論語・微子』に「植其杖而韗藝」(老人が)その杖を地面に突き立てて草を刈った)とあるように、この植えるは剣(刀)を地面に突き刺して、勝ち戦にするぞという意気込みを互いに示し合ったのである。そして、地面に突き立てた刀に月影とその人が映ったのである。もし、刀を突き上げたなら、植うる剣とは言わず、かざす刀と表現するのではないか。

1番の歌も、2番の歌も、武士たちの栄光を先ず詠い、そして現在の荒城の月をみた感慨(栄枯は移る世の姿)に思いを馳せるという共通の構造を有している。さて、解釈文を示しておこう。

【解釈文】
秋、古戦場に雁が群れをなして飛来してくる。白い月が東の空に出たばかり。雁の姿が白い月の中に見えている。昔、この古戦場では、武士たちが地面に剣を突き刺して、声を揚げる勇ましい姿があったことであろう。それらの剣には、その姿と月が写っている。
勇ましかりし彼等も今はなく、ここには人の住まない城あるのみ、ただ月光が天守を照らしている。ああ、栄華はなんと儚いものであろう。


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