(九十七)小唄「鷓鴣天」に関する故事を紹介する

『鷓鴣天』という曲はテレサテンが【淡淡幽情】というアルバムの中で、『有誰知我此時情』という題で歌ったことで広く知られるようになった。彼女の歌った詞は、首都で有名な聶勝瓊という遊女(歌妓)が書いたものである。
    鷓鴣天(寄李之問)
玉慘花愁出鳳城,蓮花樓下柳青青。
尊前一唱陽關曲,別個人人第五程。
尋好夢,夢難成。有誰知我此時情。
枕前淚共階前雨,隔個窗兒滴到明。
<意訳>
あなたが鳳城を離れるとき、玉の飾りの艶も消え失せ、咲く花も悲しげであり、樓下の青々とした柳の木も活気がない。私は酒杯を挙げて一曲の送別の「陽関曲」を歌う。去って行くあなたを諦めきれずに追いかけてしまう。やっと遠くに行く姿を眺めている。
   せめて、夢の中であなたと逢いたいが、この夢にならない。私の心を誰が知っている?私の涙は枕を濡らす。外は小雨が階段に落ち、夜明けまで続いている。
(Polygram Records Ltd. HONGKONGによる)
 
事の発端は、彼女が首都(臨安、今の杭州)で遊女をしていた時に、李之問という文人と妓樓で知り合ったことにある。馴染となって彼女を身請けしようとも考えたが、十分なお金もなく、また妻の怒りを買うかもしれないため、出来ないでいた。この様な時に、李之問は転勤を命じられた。
彼女は分かれに臨んで、「無法留君住,奈何無計隋君去」と歌った。しかし、彼は止むを得ず去ったが、彼女は心の内を表すべく、「寄李之問」と題書きして、上の詞を人を使わせて送った。
「滴到明」とは大袈裟であるが、李のような人物と知り合うことは、彼女にとっては、これが最後かも知れないと考えると、その気持ちは分からぬではない。
 
この詞が有名になったのは、李之問の妻がこれを読んで感動し、彼女を妾にするように言い、彼は自分の財産を以って、彼女を受け出して、以後三人一緒に暮らしたという美談が広まったためである。
話がうまく出来過ぎている感がないでもない。この様な出来過ぎた話は作り話が多いのであるが、実話として信じておくことにしよう。
 

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