(七十二)子規が高く評した佐藤紅緑の俳句を味わおう

先に、子規が漱石の俳句を評した俳句を紹介したが、子規はこの他にも、明治生まれの小説家であり、俳人でもある佐藤紅緑の俳句も評している。その中で、評点は、◎〇無印、天地無印と2種類が混在している。◎や天の評点を付けた俳句の中からいくつか紹介しようと思う。
◎雨一日木蓮きたなくなってけり
  木蓮が汚くなるのを詠む句は珍しい。雨一日が時間の経過を表している。雨が降る前から、木蓮を見たのである。木蓮は紫紅色を連想するが、この木蓮の花は白色かもしれない。長雨で木蓮の清楚な白がきたなく見えたのである。
◎葉桜の雨となりけり二三日
  注に「原句雨になりしを、子規翁“と”に改む」とある。子規はこの様な細部にまで記を配っている。「雨になりしを」では、句意が正しく伝わらないので、添削したのであろう。正鵠を得た修正である。
雨が降り、次第に桜の花が散っていき、遂には葉桜になってしまったとの意であるが、雨が降らずとも、次第に葉桜になって行くのである。雨の為に2、3日で葉桜になり、花の命が短くなったのを惜しんでいる。桜の枝から花が次第に減っていき、遂には葉桜になったのを誰しも淋しく感じた経験があると思う。本句は降り続く雨がより寂しさを増幅している。
  ◎喜びは少し飛び得し雀の子
   雀の子が羽をばたつかせて飛ぶ練習をしている。作者はなかなか飛び得ないことにハラハラしている。そんなとき、遂に、少しだけ飛び得たのである。まだ一人前に飛ぶことはできないが、わずかの進歩を素直に喜んでいる。長い間、雀を観察していた作者の優しい気持ちがにじみ出ている。


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