(6)漢語族は民族を形成できなかった

ある集団が民族を形成するには、次の三条件を満足する必要がある:
 ・言語を共有する
 ・歴史を共有する
 ・国土を共有する
 
中国は方言が異なると声調を含めた発音体系が異なるので、口頭では互いに通じ合わない。従って、大陸では人々が共有しているのは文字と文語で書かれた文章のみである。その上、言語を共有する集団同士での結びつき、言葉が異り通じない相手には排他的であるので、言語を共有することが困難である。したがって、歴史・領土を共有することも困難である。皮肉なことに、大陸では歴史を共有するのは戦乱の時代が主である。このため、民族が形成されないまま清朝が終焉した。漢民族とは日本人が作った用語であるが、事実を見誤ったと考える。
清朝までは彼等は「王朝名+人」と自称していた。例えば、漢朝では漢人と称し、唐朝では唐人と称していた。更に細分するなら、山東省済南人何某、山西省太原人何某と、都市名+姓名で呼んでいた。都市名を挙げることで、その人がどんな言語を使っているかが分かるからである。そして、科挙の試験の合格者はその様に表示されていた。
春秋戦国時代、彼等は小規模の都市国家を形成し、それら都市国家のネットワークが上位の国家となる。都市国家毎に言葉が異なる。マザー都市とドーター都市同士であれば言語が通じるが、そうでなければ通じない。従って漢語族と呼ぶべき集団となっている。
そして、十大方言で分類するなら、北方語族、晋語族、徽語族、贛語族、呉語族、湘語族、客家語族、平話語族、閩語族、粤語族となる。しかし、これで、十分に分類したとも言えないと考える人が大部分ではないか。厳密に語族をいうなら、もっと細分化しなければならない。
漢語族には、主に漢代に“漢族“となった人々、三国時代以降に北方の遊牧民が漢族化した人々、西方からやって来たペルシャ人、ユダヤ人、アラブ人などがある。西安などは秦漢王朝ができる前から西方の人々が住み、白人と黄色人種との混血が進んでいた。漢王朝に帰属し、漢の皇帝が作った規則に従う者は皆漢族なのである。従って、漢族は政治・文化的な概念であり、人種的な概念ではない。清朝までこの制度が繰り返され、遂に中国は民族を形成することがなかった。漢族は民族ではなく、寧ろ漢語族といった方が事実に近い。

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