(八十六)「奥の細道」をたどった女俳諧師諸九尼の俳句を読む

金森の『江戸の女俳諧師「奥の細道」を行く』によると、最初の女性宗匠が斯波園女であり、そして二番目の女性宗匠が諸九尼である。宗匠とは俳諧の収入で生活する者の事である。
 諸九尼の本名を永松なみといい、1714(正徳4)年に生まれた。父親は庄屋の三男として生まれた。兄である次男が庄屋を継いだが、亡くなったので、彼女の父親が庄屋を継いだ。彼女が7歳の時であった。彼女は親戚の松永万右衛門に嫁いだ。
 29歳の頃、41歳の医者兼俳諧師有井湖白と駆け落ちした。その後、湖白は浮風と改名し、俳諧に集中したが、1762(宝暦12)年、60歳で没した。なみ48歳の時であった。
 100日後、なみは剃髪し、諸九尼となった。1771(明和8)年3月晦日、京都・岡崎の湖白庵を出発して、奥の細道を体験すべく旅だった。
 同上の本によると、江戸を訪れた際、蓼太に案内されて隅田川の遊びをし、芭蕉堂に案内されもてなしを受けたという。このときに俳句の会が催されて、諸九尼が次の句を作った。
  深川芭蕉堂再興の頃、百韻の巻頭をすすめられて
  葺き替えて今や昔の菖蒲草
(芭蕉堂は再興され、屋根が葺き替えられ新しくなったが、菖蒲の花は昔のままである。)
 
百韻の巻頭の発句を詠んだことが彼女にとっては嬉しかったであろう。
句の内容は凡庸であるが、中句の切れ字「や」が効果的だ。白河の関に出た旧暦8月20日に、感想を述べ一句作っている。上記の本からそのときの紀行文を引用する。
  山も川もおしなべて色づき、川面も紅葉に染まっている。都の木々はまた緑だろうと思うと、紅葉降り敷くと詠むのも、何となく我慢しなければならないような気持ちになって一句詠む。
    いつとなくほつれし笠や秋の風
 
「いつの間にか」という言葉に、彼女は気持ちの一端を込めているように思える。笠は藁なのか藺草なのか、それとも他の材料なのかは分からないが、白河の関に来るまで、笠を被ったままで歩いて来たので、ほつれているのに気づかなかったという意味であろう。
ここに来て、紅葉が降り敷くのを見て、一休みする気になり、被り物をとったため、笠のほつれに気づいたのであった。
 5日に仙台を出て桑折(福島県伊達郡桑折町)に一泊したときは萩の花が咲いていた。そして、今は紅葉の秋となった事に季節の変化を感じたのである。
 ここで、筆を置くとしよう。

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