(四)凡兆の下二句「雪積む上の夜の雨」の上に、芭蕉が付けた初句は「下京や」であった。当方は初句をどう付けよう。
凡兆の作とされている「下京や雪積む上の夜の雨」は当初、「下京や」はついていなかったらしい。凡兆には良い上五が思い浮かばなかったのだが、此れに対して、芭蕉が「下京や」という上五を提示した。そして、芭蕉が、「凡兆よ、あなた自身の創作としてこの上五に決めなさい。これに勝る上五があるならば、私は二度と俳諧について口出しはしないよ。」と言ったとされている。
さて、京都市歴史資料館によれば、「二条通を境に京都の町は上京と下京に別れて」おり、下京は商業地域として発展した。従って、下京からくるイメージは、現在はもとより、江戸時代においても、一つではないと思う。
下京や 雪積む上の 夜の雨
から来るイメージは、雪の積もった家屋に冷たい雨が降り、静かに夜が更けて行く、という感じではないだろうか。必ずしも、粗末な家である必要はないと考える。私も、「雪積む上の夜の雨」のイメージに合う上五を付けてみた。
尼寺や 雪積む上の 夜の雨
「下京や」の方は、一軒の家を描いたのではなく、一つの街並みの様子を描いたのであるが、「尼寺や」の方は尼寺を描いたもので、イメージが若干異なるのである。雪の積もった家屋に冷たい雨が降り、静かに夜が更けて行くことは同じであるが、建屋や屋根の下のイメージは異なるのだ。
「下京や」では、粗末な家屋の下で、慎ましい生活をしている風景がある。いっぽう、「尼寺や」では、比較的立派な瓦屋根の下、慎ましい生活のなかにも、尼さん同士の会話が有ったり、修行のため読経していたり、民家とは異なる風景が見えるのだ。