(11)朱熹の誤った【論語】解釈の例

朱熹がどのように【論語】を解釈したかを見てみよう。ここでは、彼の誤った解釈について取り上げる。
≪ その一 ≫
【里仁04-08】
【本文】
子曰:「朝聞道、夕死可矣。」
子曰わく:「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なる哉。」
【解釈】
先生が言った:「朝に天下に道ある社会が実現したと聞くまでは、死ぬことはできない。」
【朱熹の解釈】
道は事物がかくあらねばならぬ理である。もし、これを聞くことができれば、生きては順調で、死ぬ際にも心は穏やかであって、思い残すことは無い。朝と夕とを言うのは、時間的に短いことを強調したいがためである。
 
この章を直訳すると、孔子の本意が分からなくなる。「事物がかくあらねばならぬ理を聞くことができれば、生きては順調で、死ぬ際にも心は穏やか」というのは曲解であり、孔子の本心が現れていない解釈となっている。「道」を聞いたら、それを実践しなければならず、却って死ねないのが理というもので、この点こそ、朱熹を含む多くの注釈家が犯している過ちである。
 
≪ その二 ≫
【里仁04-11】
【本文】
子曰:「君子懷徳、小人懷土。君子懷刑、小人懷惠。」
子曰く、君子は徳を懐うが、小人は土を懐い、君子は刑を懐うが、小人は惠を懐う。
【解釈】
先生が言った:「君子は仁政を敷くことを思い、小人は領土を得ることを思う。君子は裁判官になったら、どのように量刑するのが適切かを考え、小人はどのように量刑すれば利益を貪る(賄賂を得る)ことができるかを考える。」
【朱熹の解釈】
懐、思念也。懐德謂存其固有之善。懐土謂溺其処之安。懐刑謂畏法。懐惠謂貪利。
懐とは、思う也。徳を思うは固有の善を存するを謂う。土を懐うは処る所の安きに溺れるを謂う。刑を懐うは法を恐れるを謂う。恵を懐うは利を貪るを謂う。
 
朱子の解釈が間違っている理由を挙げる。
・懐徳と懐土が対になっていない。同様に懐刑と懐恵が対になっていない。
・徳を人徳と解釈するのは、極めて儒教的解釈であるが、徳の本来の意味は機能・力量という意味である。
 
それでは、懐徳と懐土が、そして懐刑と懐恵が対になる様に解釈した。
  
原文
解釈
読み下し文
意味
懐徳
懐施徳
徳を施すことを懐う
仁政を施すことを考える
懐土
懐得土
土を得ることを懐う
領地を有する支配者になりたいとを思う
懐刑
懐量刑
刑を量ることを懐う
裁判官として、その刑を量ることを考える
懐恵
懐受恵
恵を受けることを懐う
裁判官として、賄賂を貰って利益を得たいと思う
 
裁判官の事を言及するのは、孔子は司冦(現在の警察、検察、裁判の機能を兼任する)になった経験があるため、自分の経験から裁判官の事を言及したのである。
 
≪ その三 ≫
【里仁04-19】
【本文】
子曰:「父母在、不遠遊。遊必有方。」
子曰く:「父母在せば、遠く遊せず。遊に必ず方有り。」
【解釈】
先生が言った:「父母の存命中は、遠游はしないようにする。遠遊するには(一人ではなく)仲間と一緒に行く。」
【朱熹の解釈】
「遠くに出かける」とは親のもとから遠く離れて、何日も過ごすことである。朝夕の世話やご機嫌伺いもしないで音信も稀な状態である。つまり、ここでは自分が親のことを思い続ける
ということだけでなく、親の方にも自分のことを気にかけ続けて心労をかけることを危惧しているのである。「出かけるには必ず方角を告げる」とは東に行くと言ったからには、あえて西には赴かないように心がける類のことである。
 親がいつも自分の居場所を知っていて心配せずにすみ、自分を呼べば必ず馳せ参じられるようにと願うのである。范氏が言った。「子が、父母が自分を思ってくれる心を忖度して親をよく思いやれば、それが孝なのである。
 
先ず、間違っているのは方角を告げても場所が分からなければ、親がその居場所を知っているとは言えないのである。東に行くと言ったから西にはいかないという解釈は全くお笑い種に過ぎない。更には、もし「方」が方角を表すなら、方角を告げると言う事になるが、この場合、「告方」と言わなければならないが、「有方」となっていくことからも、「方」は方角を表していない事が明白である。
 
≪ その四 ≫
【里仁04-01】
【本文】
子曰:「里仁為美、擇不處仁、焉得知?」
子曰く:「仁に居るを善しとなす。仁に居らずを擇びては、いずくんぞ知なることを得るや。」
【解釈】
先生が言った:「仁に安んじることは良いことである。敢えて仁者であることに安んじない人は、どうして智ある人と言えよう。」
【朱熹の解釈】
里を選びて是に居らざれば、即ち其の是非の本心を失いて知と為すを得ず。
 
そもそも、「里仁為美」を「里は仁なるを美と為す」と解釈するのが奇妙だ。この句の構造からすると、里は動詞である。この様な解釈は無理というものだ。そして、君子は何処に居ても、仁に安んじていなければならない。この点からも、朱子の解釈は見当違いと言える。
【子罕09-14】では次の様に述べている。
【本文】
子欲居九夷。或曰:「陋。如之何。」子曰:「君子居之。何陋之有。」
子、九夷に居らんと欲す。或ひと曰く「陋なり。之を如何せん。」子曰く:「君子之に居らば、何の陋か之有らん。」
【解釈】
先生が九夷の地に住みたいと言った。ある人がそれを聞いて先生に言った:「野卑なところです。そこに住んでどうするのですか。」先生が言った:「君子が住めば、いつまでも野卑ではなかろう。」
 
この様な事を述べた孔子が「里を選んで居る」などと言う筈がない。
 

いいなと思ったら応援しよう!