(九十八)晏幾道が作詞した「鷓鴣天」を紹介する

男女の情を巧みに詞に表現したのは、北宋臨川人(現江西省南昌市進賢縣)の人、晏幾道である。彼の父親は首相でもあり、詞人もあった晏珠である。その七番目の息子ではあったが、官人として栄達できなかった。
彼の詞は父親と同じく、感情表現において巧みであり、共に「婉約詞派」(婉曲詞派)と呼ばれている。晏珠の詞が上品で迫らないのに対して、息子の詞は、繊細で美しい。
漢語は、細かく感情表現するには難がある言語であるが、彼の素晴らしい表現力は驚嘆に値する。晏幾道は、「鷓鴣天」の曲で優れた作品を残している。そのなかで特に、当方が気に入った二曲を紹介しよう。
 
鷓鴣天(彩袖殷勤捧玉鐘)
彩袖殷勤捧玉鐘,當年拚卻醉顏紅。
舞低楊柳樓心月,歌盡桃花扇底風。
從別后,憶相逢。幾回魂夢與君同。
今宵剩把銀釭照,猶恐相逢是夢中。
 
「當年拚卻醉顏紅」というところから、二人は心を許し合った仲ということが窺える。分かれた後も、彼女の事が忘れられず、「幾回魂夢與君同」とは、彼の真摯な情に感動する。
 上の詞も素晴らしいが、更に感動的な詞を紹介しておこう。
 
鷓鴣天(小令尊前見玉簫)
小令尊前見玉簫,銀燈一曲太妖嬈。
歌中醉倒誰能恨,唱罷歸來酒未消。
春悄悄,夜迢迢。碧雲天共楚宮遙。
夢魂慣得無拘檢,又踏楊花過謝橋。
 
「春悄悄,夜迢迢」という句は静かな春の夜に、分かれた女の事を思い出している情景を思い浮かべる。「碧雲天共楚宮遙」は彼女に対する未練と諦め、矛盾した気持ちを表現している。
「又踏楊花過謝橋」から、彼の繊細な感情と限りない愛情を感じる。この様な美しい言葉を残した中国の詞人は彼ただ一人である。何回読んでも涙が出るほど、人をして感動させるに十分である。
尚、程頥(伊川)は彼の「夢魂慣得無拘檢,又踏楊花過謝橋」が暗誦されるのを聞いて、笑って「鬼語也!」と言って称賛したとのこと。
「鬼語」という言葉は、中国ではあまり見かけない言葉である。似たような言葉に「鬼話」がある。これは「詭話」の謂いで、「作り話」という意味である。ここでは、そのような意味では用いられてはいない。
【太平広記・道術・葛玄】には、「精人故作鬼語乞命」(精人故に鬼となって命乞いを告げる)の句がある。つまり、「幽霊となって命乞いをした」のである。ここから推察するに、「鬼語」とは「人の言葉とは思えない!」という意味ではないか。
道学先生は、彼の詞を評価した事はしたのだが、この様な表現でしか、彼の言葉を評価できなかったのが残念である。
 
 

いいなと思ったら応援しよう!