豊橋市美術博物館『銅鐸の国』
豊橋市周辺は、国内でも有数の銅鐸の出土地だそうです。
今回の豊橋市美術博物館の企画展『銅鐸の国』は、三十もの銅鐸が居並ぶとのこと。
展示詳細は、以下の文化財活用センター・ぶんかつブログ『三河の国は、銅鐸の国!』の記事を参照の事。
伊奈銅鐸。
今回のこの企画展は、豊川市の豊橋市に隣り合う伊奈町から、大正13年12月に超イカす銅鐸が一度に三つも出土した、その百周年記念だそうです。その伊奈銅鐸は現在は東京国立博物館収蔵品ですが、今回里帰り展示となりました。
三つとも、堂々たるもの。1号などは、ところどころ鋳込みに失敗したのか、銅が回らず残った穴があったりしますが。
しかし、こんな立派なものが、いきなり畑から出てきたんだから、そりゃあ大騒ぎだっただろうなあと。
以前から、銅鐸は日本のあちこちでたびたび出土して、それなりに話題にはなっていたとのこと。
松平定信や、平田篤胤の文書にも記載されていたと、古書も色々展示されていました。
ダメ押しに、当時の新聞や公報はもちろん、発見状態を再現して、発見したおじさんがポーズをとっている絵葉書まで。
しかしこの伊奈銅鐸、日輪のような、鈕(上の半円の板状の部分)の堂々とした感じといい、突線(針金を貼り付けたように凸になって、縦横に走る筋)のピィーンと張った様子、縦横帯(突線を中心にした、幅のある帯)の、浅く彫られた綾杉文や袈裟襷文の、見ているだけで、手のひらに吸い付く感触が伝わってくるような、銅の肌の泡立ち。
装飾はシンプル。飾耳も小さく、絵などもない。少し寂しい気もするけれど、その分、銅鐸そのもののフォルムが前面に押し出されて、この「ザ・銅鐸」感がたまらないというか。
時代背景の展示。
銅鐸は弥生時代の文物という事で、当時の様子を思い描けるように、弥生土器などの文物も展示されていました。
普通に壺だの瓶だのもあったけど、嬉しかったのは、個人的に大好きな丸窓付土器があったこと。
この丸い穴の開いた壺、何に使われていたか分からないのだけれど、自分としては楽器か何かではないかと。
アフリカはナイジェリアを起源とした打楽器に、同じような形の物がある。丸い穴の開いた壺、ウドゥ・ドラムは、亡くなった家族の声を伝えるとか。
でも円窓付土器の穴は、サウンドホールにしては、大きすぎるかなあ。それに素焼きじゃ、音も響かないかしら。
だからと言って、試しに叩いてみるわけにもいかないし。
こんな風に台がまっすぐ胴に繋がり、底の位置が分からないような土器というのは、初めて見たなあ。大抵、壺に後から高台として継がれる形になっていた。
これではまるで、煎茶道で使われる涼炉だ。しかし穴の中を覗いても、煤けている様子はないので、この中に火を焚いたというわけでもなさそうだ。やっぱり単なる台かなあ。
それともこの土器が、後の筒型埴輪になるのかしら?
イノシシの顎の骨は武器? サムソンはロバの顎の骨だったけど。キハーダみたいな楽器? アレもロバの骨だっけ?
弥生文化の何が分からないって、土器はあんなにシンプルなのに、銅鐸とか、この木甲とかは、装飾がミッシリとされているんだよな。空白を残さないレベルで。
と思ったら、土器でもミッシリ絵が描かれたものがあった。しかも細かい。土器によくこんな細かい彫り込みしたなあ。縄文土器の土の粘土の粒子だと、ボロボロ欠けるレベルだ。陶片の絵は荒いけれど、縄文の抽象性から比べると、だいぶ写実に寄ってきている。まだハニワにはほど遠いが。
ヘタすりゃ、埴輪よりも写実性があるかも。埴輪は、すでに何かスタイルがあって、それを洗練したり、個性を乗せたりしてる感じがあるけど、この土器の描写は、観察が細かくてそれをできるだけ表現しようという、写実の意志を感じる。
この壺は、なぜこんな絵が描かれたんだろう? 他の土器はどうして何の絵も描かれてないんだろう? 装飾するという行為が、何かの基準で限定されていたのかな? 特別な人や場合にしか使えないとか、装飾を頼んだら、職人に倍の数のドングリを渡さないといけないとか。
小さい銅鐸。
右のヤツは上手いなあ。職人がプレゼン用に作ったのかな? 左のサンプル出した工房は、受注できなかっただろうなあ。小さいのは原型で、コレから雌型を採って鋳こむ可能性も。元来、銅鐸というのはもっと小さかったのだ。
高さ21cm、幅13cm。小さすぎてピンボケになっちゃった。模様もない。風鈴みたいに鳴らしていたらしい。石の舌がついている。推定年代が、弥生時代の中期……紀元前一世紀と、東海地方で発見されている銅鐸では、最も古いという。
三河地方で一番古いのはコレ。高さ56cm幅30cm。やっぱり弥生時代後期。縦横帯文はあるが、突線はない。鰭も薄くて鋳込みのバリと区別がつかない。飾耳もなくって、格子文、鋸刃文もなんだか粗っぽい。過渡期って感じだなあ。
弥生時代後期の小銅鐸。高さ12.6cm、幅7cm。湿地の土中に封されていた事で、残っていた銅の色を守るため、真空中に保管されている……封印された銅鐸! かっけえ!
もうこのヴィジュアルだけでシビれる!
壊れた銅鐸。
しかし、どんな風に発見されるかというのは、とても重要。この銅鐸、中に封印されていた何かが、突き破って出てきたみたいなヴィジュアルでドキドキするけれど、こんなに破損しているのは、実は「山林を開墾していたら、ブルドーザーに引っかかった」という発見状況のせい。
不動平銅鐸と同じ、滝峯才四郎谷遺跡あたりから出た銅鐸。滝峯の谷からは、銅鐸が六つも出土したために、銅鐸の谷という別名があるらしい。これもミカン畑を造成中に、重機に引っかかって発見されたとの事。鈕がちぎれかけたり、あちこち欠損して、全体にちょっと潰れている。でも横帯文や、それをキリリと締めている突線、鋸刃文もクッキリしていてキレイだ。
農地整備中や造成工事の排土から発見された、銅鐸の破片。でっかい銅鐸二つ分。やっぱり重機で土を掘ってるうちに、バラバラにされちゃったと思われる。ただ、何らかの理由でバラバラに壊してから埋められた説もあるという。
確かにそんな、銅鐸の破片がいくつか展示されていた。銅は貴重品だったので、壊し溶かしリサイクルしていたという。他にも、土偶が壊してから埋められてたみたいに、呪術的な意味があってもおかしくないけど。
滝峯の谷、別名「銅鐸の谷」
滝峯の谷、またの名を銅鐸の谷から出土した銅鐸もう一つ。「まだまだ出るぞ」と学術調査が繰り返され、金属探知機で発見された銅鐸だそうです。探知機を使ったなら、サクッと見つかったのかな、と思ったら探査を始めたのが1960年で、コレが見つかったのが1990年。30年がかり。大変だなあ。
これも銅鐸の谷。近所を造成中に、木の根をひっこ抜いたら根っこに抱えられていたという。ラピュタの飛行石みたい。飾り耳が一つ欠けた程度で、ほぼ完璧な姿なのは、木の根に守られていたからなのか。ロマンチックだなあ。
絵のある銅鐸。
これも銅鐸の谷からの出土品。これぞ銅鐸! ザ・銅鐸!
すごい! シカだ! トリもいる!
細いスジまで、しっかり銅が入っていて、鋳込みの技術も、とんでもない熟達の域に。
横帯文の幅が、裾にいくほど、少しずつ広くなっていたり、鈕の鋸刃文の帯も、平らなところから立ち上がるキワは狭く上のカーブの部分で広くなっているところとか、デザインもスッゲェ洗練されている!
これも、トリの絵が入ってる。説明書きによると、サギだという話。そのへんの特定、どうやっているのかな。水鳥って事くらいしか分からない程の単純化。ヒエログリフみたい。頭の平らなトコは、鋳込み損なったのか、でかい穴が開いている。この平らなところを「舞」というのだそうだ。舞台の「舞」なのかな?
三遠式銅鐸と、近畿式銅鐸。
こちらの銅鐸も、左下にサギの絵があると説明にあったが、どんなに目をこらしても見つけられなかった。説明書きには出土した際に、一度打ち壊されたと伝えられる、とあった。掘り出す時に壊れたんじゃなくて、掘り出してからわざわざ壊した? 出土したのは明治四十一年。日露戦争の三年後。ミキモトが真珠の養殖を始め、味の素が創業した頃。場所は浜松。変な因習や迷信は無さそうだけどなあ。
この地方で出土する銅鐸は、主に三遠式銅鐸といって、鈕に飾り耳がなかったり、中央の縦帯文に突線が貫通していたりという特徴があるとの事。鈕に飾り耳があり、中央の縦帯文に突線がなくなり、横帯文による段分けが強調されるのは、近畿式銅鐸というそうで。両方の特徴を持ったこんな銅鐸もあるとか。てっぺんの飾り耳が大きくて派手でカッコイイ。裾をグルリと一周する連続渦文もクールだなあ。
三遠式というのは、三河国と遠江国にまたがる地域で、よく出土するタイプの銅鐸ということ。まさに地元。
この敷地3号銅鐸は、2000年、新東名高速の工事に伴う事前調査で発見された銅鐸。三十年間、金属探知機で探し続けて見つかった銅鐸もあったから、二十五年前なんてつい最近。未発見の銅鐸も、これから発見される銅鐸も、たくさんあるのだろう。
企画展のタイトル通り、ここは『銅鐸の国』なのだ。
付帯展示いろいろ。
触れる・鳴らせる復元品もありました。古い水道管みたいな手触り。音は、牛の首の鈴と、お寺の釣り鐘の中間くらい。
常設展は「豊橋の歴史」。
この地域に人が住み始めた縄文から戦後まで。特に豊橋には海軍工廠もあったので、戦前戦中戦後の展示には何か、思い入れがある感じ。
しかし今回は、銅鐸に関係ありそうな弥生時代とか見る。
丸い穴の開いた筒状の台がついた壺、パレススタイル土器、高坏がここにも。手炙り型土器、火を入れた説もあったが、内側に煤がなくて、結局今でも何に使われていたのか分からないという。形は、縄文時代の釣手土器のようだ。どちらも使い道の分からない謎の土器。つながりはあるのだろうか?
この穴の開いた台に繋がった壺の正式名称が判明。
「台付無頸壺」というらしい。出土数が少なくて、いまだに用途は分からない。櫛の歯で装飾されている。底が中でどうなっているか分かるよう、奥に鏡を置いて展示されている。やっぱり、底は中で宙に浮いている。構造は分かったけど、やっぱり用途は分からない。
だけどこんなふうに、断面まで見せられると、やっぱり円筒埴輪のご先祖はコレじゃないかって気がする……
常設展。
常設展に向かう廊下は庭が見える。広いサンルーム。窓際に三沢厚彦の彩色木彫。黒い石張りの床には、白い意志が点々とちりばめられ、春の桜の花びらが散り敷いたようになっている。窓から見える古木は桜かなあ。咲いた時に、こちらの床にまで、花が続いているように見えるんだろうなあ。
常設展で心に残ったのは、
アンディ・ゴールスワージーの写真作品。黒く濡れた岩に、鮮やかに赤い椛の葉で丸を描き、その縁取りに緑の椛の葉でクッキリと円を描いていた。
青木野枝の『Untitled』はどこか、ジャコメッティを思わせる細い鉄筋で作られた箱とその住人。
菅野由美子の『ドローイングm-8』は、貝のようであり、またそぎ落とされた鼻のようでもあり。
田島悦子の作品も良かった。『コルヌコピアⅢ』のガラスと陶の、色と形と質感のバランスが何とも気持ちよかったり、『盛るうつわ』の、果実とも種子ともつかない感じも、素敵でした。
阿部千花世の『Untitled』は、色味の滲む豚の革でできた箱。
薄っすらと赤いような、紫色のような影が、革の向こうに、ぼんやりと見えている。無性に中身を見たいけれど、見られない。とんでもなくもどかしい。見せろ、見せろとついつい念を送ってしまうレベル。
豊橋市美術博物館のある豊橋公園のお向かいに、豊橋ハリストス正教会があります。大好きな建物。用もないのに周りをグルグル廻っちゃった。
1917年の建築で、つい最近修復が済んだばかり。山下りんのイコンもあるとか。
中に入れるのは日曜日の聖体礼儀の時だけ。
もう過ぎちゃってた。いつか入ってみたいなあ。
自分はカトリックなんだけど、礼儀に参加していいのかな?