落語の話。『茶の湯』について。


『儒烏風亭らでんの落語がたり!』の感想その2、です。

しばらく私事にてnote更新ままならず、久々の更新。
読書感想文も美術館感想文もややしんどい。
文章書きのリハビリのつもりで、キーボードを叩き始めてはみたものの、指は震える目は迷う。出せぬ恋文を、書いては破っていた中学生の頃に戻った気分。
そういう時はいっそ素直に、その時のように、あこがれの人を想うのが一番というわけで、『死神』以来の、噺の話でございます。

前回の『死神』についての記事はこちら(上)。
今回、色々考える記事はこちら(下)。

「星は雨の降る穴だ」という小噺について。

いきなりですが、まるっきり関係がない小噺をばひとつ。

「オイ与太郎、屋根に上って物干し竿なんか振り回して、
いったいどういうつもりだ」
「ああ、父ちゃん。お星さまがあんまりキレイなんで、
ひとつ取ろうと思ってね」
「馬鹿野郎、そんな事をして取れるもんか。
あれは雨の降る穴だ」

出典は何だろう? 有名ですよねコレ。

与太郎小噺といえばコレ、っていうくらい、みんな聞いたコトがあるヤツです。隣りの空き地にへぇー、ってのと同じレベル。だけど自分は「コレでなぜ笑えたんだろう?」なんて、首を傾げちまった。
そりゃあ、自分だって、この与太郎や父ちゃんが、トンチンカンな事を言っているのは分かる。
だって、夜空の星というのは、太陽と同じ恒星だ。
何千万度という高温で、地球の何万倍も大きい。光の速さでも何千年だの何万年だのかかるような、とんでもない遠くにある。
物干し竿で取れるモノでも、雨の降る穴でもない。
そんなの常識。パッパパラリラ。
だけど、そんなふうに分かるのは、自分や、自分の周りのほぼ全員が、現代の日本に生まれて、学校で教えてもらったり、『学研まんが・宇宙のひみつ』を読んだりしたからだ。

この小噺……いつからあったんだろう?
恒星だの宇宙だのという、現在のような知識も常識も無かった時代に、既にあったんだろうか?
江戸時代には、理科の授業なんてない。『学研まんが・宇宙のひみつ』もない。当時、寄席に来ていた熊さんだの八つぁんだのは、空の星がすっげぇ遠くて、メチャクチャ熱くて、地球より遥かに大きい、なんて知らない……というか、丸い地球というイメージもないレベルでは?

もしもそんな時代からこの小噺があったとしたら、コレを聞いた熊さん八つぁんは、自分だって星が何だか分からないのに、「さすが与太郎、トンチキなコトを言ってらあ」なんて笑ってたんだろうか?

江戸時代の庶民の宇宙観ってどんなんだったのかな。
コトによっちゃあ、この与太郎や父ちゃんとドッコイでは?昴に天狼星、織女星に牽牛星、地名の八王子は、火水木金と羅睺・計都なんて惑星の擬人化だったり、隕石と雷をゴッチャにしてたり、流れ星を天を駆ける狗としたり。

夜空は科学ではなく、神話伝説の世界。ともすれば、暦占や竹取や七夕という非現実の世界も、今のように完全な非実在ではなく、とどかないけれど頭上に実在する現実だったのかもしれない。
頑張って、天の川まで届くヤグラが組めりゃあ、織姫さまのお尻を撫でるくらいはできる、なんて感覚かな。
今のVtuberとリスナーくらいの距離感かしら?

そんな江戸時代の庶民が、屋根に上って流れ星を取ろうとする与太郎を笑うとすれば「物干し竿で天狗をはたき落とせるもんか」なんて感覚かしら。
今から美術館や落語の話をnoteに書いて、よしんば人気が出たら、憧れのVtuberに会いに行けるかも、だなんて、ほっそい希望にすがるオッサンを笑うような感じかなあ……
そりゃあ……笑われても仕方がないなあ……

……なんだか切なくなってきたので話題を変えます。

茶の湯の作法は、どれだけ知られていたか?

……で、話が『茶の湯』に戻るわけですが。
主人公は、身代を息子に譲った、元大商人。
ご隠居になったはいいものの、ヒマをもてあまして、何か趣味でも始めようとする。じゃあ茶の湯でも、となったはいいけれど、他人に尋ねもせず、よせばいいのに自己流で、メチャクチャな茶の湯もどきをやらかす。
問題は、この新米ご隠居がやらかす茶の湯もどきが、どれほどトンチンカンなのか?
それを、どれだけの寄席の客が理解していたのか?

図らずも儒烏風亭さんの今回の記事、この『茶の湯』の噺を誰よりも楽しんでいたご婦人は、正式なお茶席の作法をご存じな方だった、というお話でした。
この演目を大好きな噺ですと語る、儒烏風亭さんご自身も、既に多くの方がご承知のとおり、その教養は言わずもがな。このご婦人と同じくらい、茶道の素養もお持ちなのでしょう。
では逆に、この噺に出てくるご隠居や小僧と同じくらい、茶道についての知識がない者は、どうだろう?
この噺は、楽しめないかもしれない。

実は自分も、このご隠居のコト、笑えないんですよね。

茶碗とか棗とか、茶道具の類を美術館で見るのは大好きで、お抹茶も時々いただくんですが、茶道について知っているかと聞かれれば、全く知らない。
茶事と茶席と茶会の違いも分からない。濃茶なんて見た事もない。もっぱら、立礼席で薄茶をいただくだけです。

立礼席というのは、椅子に座ってテーブルでいただく手軽なお作法です。三河国は奥殿藩、七代藩主の子、茶道裏千家第十一世玄々斎宗室が、明治の世が来たのをきっかけに、海外にも茶の湯を広めようと考案したもの。それもあってこの玄々斎宗室は、近代茶道の祖とされています。

他にも愛知県は、西尾市が抹茶の名産地ということもあり、公園だの美術館だのには、高い確率でお茶室があります。
特に愛知県陶磁美術館や、県を渡って岐阜の美濃焼ミュージアムなどでは、陶芸家のお茶碗で薄茶をいただけるので、機会があるたびに一服しております。

この噺に出てくるお茶も薄茶ですね。
薄茶というのは、一般的にお抹茶と言って思い浮かぶアレ。
濃茶は「点てる」ではなく「練る」というほどで、泡が立たないのだそうです。点心だの懐石だのが振る舞われるような、正式なお茶席でしか出されない。ドロドロのお茶。
小僧の定吉ですら、点てられたお抹茶に、泡が立ってるのを見た事があると語るのだから、薄茶であれば江戸の庶民も、全く知らないわけではなかったのかな?
それこそ、この噺の後半で、長屋の連中がみんな巻き込まれるように、実際の江戸の庶民だって、縁のあるお大尽なりご隠居なり、風流人の若旦那などに、付き合わされたかもしれない。

そういえば、他人の道楽に巻き込まれる噺なんて『寝床』だの『太鼓腹』だの、一つのジャンルになるレベルでありますね。この『茶の湯』も当然、その一つ……

「ご隠居」は、物知りキャラとは限らない。

しかし、そうやって巻き込まれた熊さん八つぁんが、相談しに行く先というのが、ご隠居なわけで。
『高砂や』『道灌』『松竹梅』『一目あがり』などなど。
他でもない、儒烏風亭さんの連載でも、その代表の『子ほめ』が取り上げられておりました。

しかし、物知りキャラがいつだって物知りだとは限らない。
時に、トンチンカンなところを見せるから、愛嬌があるわけで。
聡明叡智・博学多識な才女なのに、自分の家の鍵をなくして帰れなくなるとか、旅行好きなのに目的だった美術館が休館中とか、なぜか知らないうちにキノコ系Vtuberになっているとか。

さて、ご隠居がトンチンカンなお話、この『茶の湯』以外にも『やかん』『ちはやふる』など色々あります。実はこの、ご隠居が知ったかぶりをしてメチャクチャな事を言う噺は
『根問いもの』というジャンルとしてちゃっかり成立しているとか。

ご隠居じゃなくて和尚さんなら、それこそ、この連載の第一回『転失気』がそうでした。

和尚さんもよく、相談事を持ち込まれます。『寿限無』から『手水回し』まで。ご隠居と同じように、物知りだったり知ったかぶりだったりするのですが、どうやって使い分けているのかな?
『酢豆腐』とかだと、ご隠居でも和尚さんでもない、風流人を気取った若旦那ですね。

こういう知ったかぶりネタ、基本はご隠居や和尚さんが難しい事を質問されるところから始まる。それに堂々と、全く間違っていないような顔をして、トンチンカンな事を答える。熊さん八つぁんはそれを全く疑わない、というのが基本的な流れなんですが、この『茶の湯』という噺は、そのあたりがだいぶ違う。

落語に出てくるご隠居というのは、だいたい生まれる前からご隠居やってたような、カチコチに固くてカラカラに乾いたようなご隠居ばっかり。でもこの噺のご隠居は、隠居したばっかりで、出来立てホヤホヤ。まだ柔らかくて湯気がたっている。どうすればちゃんとしたご隠居になれるかな、風流な道楽でもやってみるか、というレベル。

長い前置きで、そのあたりをだいぶしつこく語る。
今まで、趣味らしいことを全くしてこなかった、商売ばっかりで銭勘定しかしてこなかった、云々。
このあたりで、ご隠居の癖になんで分からないんだ、という説明をしているのかな?

「ご隠居もどきを馬鹿にする噺」なのかな?

この『茶の湯』という噺、ナゾが多い。
ご近所がどんな風流な趣味を持っているか、あちこち覗いてきた定吉が描写するところとか。
「でっかい鰹節を付け爪で引っ掻いてました」が琴曲、
「切り花を針山にぶっ挿してました」が生け花、
なんていうくだりはまだしも、
「碁石みたいなもの並べて、トンビの羽根でいじってました」
が香道っていうのは、だいぶ分かりにくい。

香道も、当時の庶民には縁遠いように思える。
だけど、法被や提灯に入れる紋には、香道に由来するものもあって、一概に無縁であったとは言い切れない。

このあたりは、登場人物のご隠居も、寄席の客も、知っていても知らなくても、あまり関係なさそう。

だけど、分からないと噺がなりたたない事も、色々あって、自分は「青黄粉」が何なのか分からなかった。
もちろん、黄粉は分かる……お餅は好きです。安倍川餅も好きです。黄粉のおはぎも好き。
調べてみたところ、緑の大豆から作る黄粉らしい。黄粉と言えば黄色いのしか知らなかったけれど、東日本、北日本ではわりとポピュラー? 東北地方では、緑の黄粉の方が多いらしい。ずんだと関係があるんだろうか? 悩んでいたら、「別名・うぐいす粉」という記述を見つけて、ようやく腑に落ちた。
うぐいす餅のあの粉か! だったら食べた事がある。アレを湯に溶いて飲む……確かに妙だけど、それほど変な味にはならないんじゃないか?

となると、笑う所はムクロジか。
こいつも難しい。

昔は石鹸の代わりに使われてました、なんて説明は噺の中でも語られますが、これは界面活性剤としての機能を持つサボニンを大量に含むため。サボニンはシャボンと語源が同じってくらい、石鹸の成分なんだけど、ソレ自体は、米や大豆にも含まれていて、煮立てると泡が出るのはそのためだそう。しつこい汚れも、米のとぎ汁につけておくときれいになる、というのもソレですね。
要するに灰汁なので、そりゃあ不味くて当たり前。

調べていくと、このサボニン、実は茶葉にも含まれていて、渋みや苦みを持っていて、抹茶を点てると泡立つ理由のひとつ、なんていう記述も……え? 成分だけ見れば、ムクロジ添加物は間違いじゃなかった?

その一方で、ムクロジは漢字で無患子と書く。子供の患いをなくす。漢方薬として、滋養強壮、去痰の薬効があるとか。神社仏閣に植えられて、お正月の羽根つきの玉にされたりするのもその縁起か。

石鹸として普及していたのと同様に、和漢薬としても普及していたとすれば、飲み過ぎると腹を下すとか、味がアレだとかは、江戸の庶民には、とっくにご承知だったのかもしれません。

茶の湯だの香道だの、風流ごと、道楽ごとについてよく知らないのは、このご隠居も、寄席のお客も、同じだったかもしれない。
でも、ムクロジについての知識は? その味とか、飲み過ぎればお腹ピーピーになる事とか。ご隠居はせんぜん知らなかった。
でも寄席のお客にしてみれば、そんなの常識。パッパパラリラ。

「ご隠居ぶっている癖に、俺たちでも当たり前に知ってる常識すら、知らないのかよ」
というのが笑いどころだった?

昔、このご隠居(もどき)は、どんなキャラとして笑われていたか?

そんなことをダラダラ考えながら、色々調べていると、検索に、野村胡堂『銭形平次』が引っ掛かってきた。

江戸でも名の知れた、悪徳で強欲きわまりない、高利貸しが大火傷したという話。

その頃江戸中に横行した、惡質な高利貸の一人で(中略)「その綱田屋が變な火傷をしたんだから、好い氣味見たいなもので」
「人の災難を笑つちやいけない」
「でも、あの男は茶の湯なんかやるんですつてね。高利の金で儲けちや、恐ろしく高い道具を集めて、青黄粉(あをきなこ)のガボガボでせう」

野村胡堂『銭形平次捕物控 猿蟹合戦』

あああ! 嫌われ者の強突く張り因業ジジイの描写に使われてる! やっぱり、他の落語に出てくるような、気前が良かったり世話焼きだったりして、慕われているご隠居とは、だいぶ違うキャラだった!

もちろん、これは1950年初出の作品なので、江戸時代の人の証言ってわけではないけれど、野村胡堂先生の嗅覚なら、大きく外れてはいないだろうし、さんざん「今までは金を稼ぐことが唯一の楽しみだった」なんて嘆くシーンもあったりして、そりゃあそうか、という感じ。
分からなきゃ、誰かお師匠さんでも呼べばいいものを、そういう発想にならないあたりも、ケチが身にしみついている、という事なんだろうなあ。
強引に呼びつけられた出入りの職人だの店子だのが、イヤイヤながらも従うのも、彼らが良い羊羹に驚いてソレをガメるのも、このご隠居のケチケチっぷりにさんざん悩まされてきたからか。
オチへの流れも、その羊羹をケチって、その代わりにとんでもないモノを食わせるという、ケチの連発だ。

そう考えると、他の落語に出てくる、真っ当なご隠居キャラとの格差が、この噺の聞かせどころか。
もっと言えば、そもそもご隠居噺じゃなくって「しわい屋」「味噌蔵」「片棒」なんかと同じ、吝嗇家を笑う噺だったのだ。

『ご隠居  -1.0』

そう、まさにこの噺の主人公は「ご隠居」ではない。

正確に言えば、まだご隠居になっていないのだ。さっきも書いたけど、隠居をはじめたばかりで、そのケチケチっぷりとか、まだまだ現役の頃の生臭さが抜けていないから。

ようやく色々と腑に落ちて、もういちど儒烏風亭さんの記事を読み返してみて……愕然とする。

儒烏風亭さんは記事の中で、この噺の主人公を「主人」と呼んでいて「ご隠居」という言葉を一切、使っていない!

「落語 茶の湯」で検索した先は、Wikipediaをはじめとして、どれもこれも「ご隠居」と書いているのに。

自分がここまで長々と繰り言を述べて、ようやくたどり着いた結論だけど、実は、儒烏風亭さんはその記事のなかで「ご隠居」という言葉をあえて使わないことで、それを最初から示していたのだった。

ああ……どこまで行っても、お釈迦様の掌の上だったと気づいた孫悟空って、こんな気分だったのか……
自分は、儒烏風亭さんに、また弄ばれてしまったんですね……うへへへへ。なんだか、すっごく嬉しい! でも、ちょっとだけ悔しい。

悔しいので、いらない憶測などしてみようと思います。
さて、前回の『儒烏風亭らでんの落語がたり!』のお題は『芝浜』でした。

で、その後、実はコレが3Dアニメシリーズ『ホロぐら!』の自分の回の伏線であった事が明かされました。

……なので、今回の『茶の湯』の記事も、何らかの伏線であると考えられるでしょう。
儒烏風亭さんの配信では、美術やお酒の話以外にも、映画の話なども皆さんと楽しまれています。少し前になるけれど、次に話題にする映画は何にしようか……「アレ」がいいかな、などというお話もありました。

……今回の記事『茶の湯』の主人公は、まだご隠居になっていない、これからご隠居になる者……つまりこの『茶の湯』に、別のタイトルをつけるとしたら……
『ご隠居  -1.0(マイナス・ワン)』!

つまり、この記事は……次にネタにする映画が「アレ」であることの伏線ッ!
まちがいないッ! かつて「海のリハク」と仇名されていた自分の眼に狂いはないッ!


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