豊田市民芸館『或る賞鑑家の眼・大久保裕司の蒐集品』その3

前回からの続き。


辻が花陣幕と白磁壺。

辻が花陣幕と白磁壺

辻が花染めというと、細かくて豪華な、凝った模様の絞り染めかと思っていたんだけれど、これは単純明快というか、絹の白抜きを、両端をわずかに残して、布幅めいっぱいにドーンだ。
かの名作ドラマ『太陽にほえろ!』のオープニングみたい。
やっぱり日輪なのかしら。
縁の滲んだところとか、染め自体が斑になっているところとか、白抜きの中にモヤモヤしてる様子とか、本当にカゲロウの向こうの太陽みたい。
その前に据えられているのは、朝鮮の白磁の壺。
こういう、まん丸い白磁壺は、別名「満月壺」とも。
二つ合わせて日月のあしらいというわけだ。

白磁壺(満月壺)

満月壺は、上と下を別々に作って合わせる。
胴の中ほどに、ヘラで継ぎ目を削いだ跡が見える。
精製しきれていない土なので、滑らかな白磁の肌のようだけど、細かな砂を撒いたようなざらつきが、釉薬の下に感じられる。
焼成時の炎のムラで、貫入に、弁柄の焦げたような色味が、下四分の一、底から胴へ斜めに立ち上っている。
まるで、昼下がりに顔を出した、上弦の月のよう。
白磁の釉がトロリと厚くかかって、スベスベした表面がまぶしく光っているところから、背後の陣幕の夕暮れのように赤茶けた貫入が差しているあたりまで、移り変わる景色が、まさに見上げた月の表の影そのもの。

これまで見た満月壺の中で、最も感動したのは、京都の高麗美術館の満月壺なんだけど、日輪の陣幕との組み合わせまで含めたら、今回のこの展示が一番。
これだけでも、見に来てよかったと思う。

徳利とぐい呑み。

徳利とぐい呑み

徳利とぐい呑みです。他に何を言えと。
キャプションないけれど、使い込まれた盆も良い。
展示ケースの中よりも、午後早い時分の蕎麦屋で、せいろの横に座ってるのが似合いそうな酒器のあわせ。
いい色だけど、青磁釉を酸化焼成したのか、黄瀬戸釉を還元焼成したのか、よくわからない。
徳利は、わずかに緑かかった薄暗い灰色なんだけど、横っ腹がポウッと桃色かかってたり、口紅が移ったような赤が首のまわりに巻き付いていたり……この赤は辰砂かなあ。
徳利には、グルグルと、ロクロを挽いた跡が、浅いとぎれとぎれの筋になって巻き付いているのも楽しい。
ロクロの芯がかすかにブレていたのか、わずかに歪んている。注ぎ口の造形もないけれど、薄く広げられた口縁が舞っ平らになっているのが面白い。
ぐい呑みは、下の方は還元がかかってるらしく、緑がしっかり出てるけど、上に行くほど酸化してるのか赤みが強くなる。徳利にはない貫入は、細かさが変化することなく、全体に満遍なく覆っている。それが対比になって、色の変化を引き立てている。
徳利よりも歪みが目立つ。口の高さも一定じゃない。それでも、縁は玉縁になっていて、口当たりはよさそうだ。
自分は酒が飲めないんだけど、この器で飲んだら、さぞ美味いんだろうなあ、という事はわかるのだった。

魚々屋茶碗。

魚々屋茶碗

井戸茶碗だと、もっと土ッ気があって、柔らかそうで、ぽっちゃりした感じだったっけ? 枇杷釉よりも薄くて、白っぽくてかすかに桃色がかっていて、カイラギがないから、井戸じゃない……という判断でいいのかな?
こんだけ書いておいて読ませておいて、今さらだけど、自分の目利きなんてその程度。
お抹茶いただくとしたら、冬なら井戸、魚々屋は夏がいいのかな。薄くて硬い茶碗は、唇に当たった時に冷たく感じる。開いた器形も夏らしいし、抹茶の色も、この釉の色であれば、夏の陽射しに透けるように光るのかな。
お抹茶だけじゃなくて、新しい畳とか、緑色によく映えそう。
指跡の残し方が、井戸よりも細く鋭いけど、それはこの器だけの話かな。そもこの茶碗、素朴な造りなんだけど、茶だまりが平らで、茶筅摺りのところがクッキリ折れているあたり、妙にスマートというか、クールな感じがする。

伊万里陶片(赤絵桃図)・民窯徳利・鷺絵小皿。

初期伊万里陶片(赤絵桃図)・民窯徳利・鷺の絵小皿

初期伊万里の陶片は、皿の底まんなかあたり。炎をまとった宝玉のような、葉を敷いた桃の絵。その桃の、うぶ毛の肌や葉の上に光る露のように、目跡が五つ。
鉄絵というのは弁柄、要するに酸化鉄で、つまりはザラザラしたあの赤錆だ。だけど、瑞々しい葉の葉脈の勢い、果実の皮の産毛の厚み……とてもそうは見えない。スルリスルリとよく走る筆使いで、ここまで変わる。とはいえ、この器の場合、まだ赤くて薄くて、あの鉄絵独特の、存在感のある線になってない。割れた断面を見ると、白くて粉っぽくて、まだまだ土ッ気が残ってる。火力が足りなかったみたいだ。
この陶片の面白さ、よく考えたら確かに、生焼けなところ。しっとりして雑色が抜けてない、生卵の殻みたいな白とか、絵付けにまだ弁柄の明るさの残っている感じとか。

民窯徳利も、思い通りには焼けなかった感じ? この色は、青磁釉が還元しきれなくて、酸化ぎみになっちゃった時の感じだけど……
それでも、釉の下に描かれた花は、しっかり鉄絵の色になっていて紅に見えるし、御須の葉や茎は、くっきりとしていて、薄紫の釉の下で、葉の色がちゃんと青緑に見える。火力自体は足りてたのかな。上掛けされた釉薬は、薄いなりにしっかり溶けていて、艶やかなガラスの膜になって、器を光らせている。

鷺の絵小皿。釉薬や焼け具合は、徳利と似たり寄ったりかな? 絵付けが面白い。鷺の胴には、かすかに色がついている。釉が濃いのか、薄い御須でも刷いたのか、分からないほどの薄さだけど。筆をごく当たり前にスゥと引いた線が嘴で、そのままツンとつついたのが眼。あとは羽根や尾、手の覚えているままに描かれた様子は、トントントントンと、筆先が素焼の生地に当たる、リズミカルな音が聞こえてくるみたい。
そんな記号化に比べて、節くれだった脚は、なんだか妙に生々しい。よく見れば、筆をグリグリとこじって、こちらもそんなに凝った描き方というわけでもなんだけど、なぜかリアルに見える。タッチが変わってるせいかなあ。
何と言っても、おどろくのは、その足元、器の端に、瑠璃色の釉がペタリと挿し込まれていること。モノクロームな印象の器なのに、そこだけ鮮やかな色彩が、光線のようにかすめている。
ちょっと厚めで、雫のように立体的。そのせいで、水面が器をはみ出して、こちらまで続いているようにすら見える。単純に描かれた鷺さえも、水面の上に、立体的に浮かんでいるみたい。
ホント、どうやってこんな効果を思いつくんだろう?

蚊遣り豚。

蚊遣り豚(江戸後期)

炭化焼成というやつだ! 還元焼成の一種、ということになるのかな? 素焼きした器を、炭と一緒にサヤ箱という箱に入れて、外気を遮断して焼成すると、炭素が吸着して真っ黒になるというわけ。時々仏像や仏具で見かけるけど、日用雑器でコレはなかなか珍しい。
徳利の底を抜いて、耳と足をつけて目の孔をあけた。徳利の生地たくさん挽いたから、流用したのかな? そんな職人の仕事暮らしの様子がうかがえるような品物。
徳利の、口から胴、底へ向けて流れる土の目が、豚の毛並みみたいで、可愛いったらない。この毛並みを見せたくて炭化焼成にしたのかなあ。焼き締めでは目立たない。釉をかけたら消えてしまう。
器の口は鹿革で締めるから、土の目は消えている。目の孔をあけた時に、孔の周りを撫でつけたせいで、目の周りも土の目が消えて隈取になってる。結果、鼻と目の周りは毛並みがない。これがまた、動物らしさを盛り上げる。偶然なのか、意図したものなのか。
……そんなこと、どっちでもいいな。可愛いんだもん。

御正体。

御正体

「ごしょうたい」じゃなくて「みしょうたい」と読むらしい。初めて見た。
それもそのはず、鏡に、神仏の像を彫って、神社の御神体として祀ったモノだそうだ。
……いや……そんなん……持ってきちゃって良かったの?
バチとかあたらないの? 大久保さん大丈夫だったん?
まあ、今現在でも、氏子や檀家の不足で潰れる神社仏閣はいくらでもあるし、廃仏毀釈とか神仏習合とか、日本の宗教界も色々あったので、色々なものが色々な事になったんだろう。
ともすれば、寺なり神社なりに、ちゃんと残ってる方が珍しいんだろうなあ。
これも、色々あってここにあるらしく、いつ頃の物とか、細かいことは書いてなかった。銅板にタガネで刻んだものらしい。
タガネなの? ホントに? エッチングかと思ったんだけどなあ。
浸食されたみたいに、線から滲むように変色した部分が広がっているし、それ以上に線が滑らかで、尖ったトコがない。
服装や所作は菩薩っぽくて、ふくよかではないけれど、如来みたいな柔らかな印象はなぜかしら。顔がなんとなくその辺の兄ちゃんみたいな、親しみやすい感じだからかな?
とりあえず、バチはあたらなそう。安心。

光背残欠と板仏。

光背残欠と板仏

やっぱりコレも、色々あって、ここにあるのかな。
仏像系だから、やっぱり廃仏毀釈の残骸なんだろうか。
光背は小さいけれど、細かい造りは丁寧。小仏もあるので、本体は如来クラスの仏の像ではあっただろう。
今はいったいどこにあるのかな。小仏がさびしそう。
板仏も、上半身がかすれてしまっていて、顔も分からない。
持念仏っぽいけど、どうなのかな。元興寺ってどこかしら。

傷ついた仏の像は、踏み絵の擦り切れたキリストの像のように、その受けてきた苦難や、人が犯して来た過ちを示しているようだ。
だとすれば……日々祈りを捧げられ、人々に崇拝されている像も、祈りの場所から離れ、拝まれる事もなく傷ついた姿を見せている像も、仏であることに違いはないのだろう。

一旦ここで切ります。第一民芸館の展示だけで、とんでもない量になった……第二民芸館もあるのだが。
それから、ガラス工芸の個展もあって、作家の方とお話ができたので、それも書かなきゃと思ってるんだけど、このペースでは、書く方もきりがないし、読んでいただくのも申し訳ない。
ちょっと書き方を考えます。
更新したら、またお知らせするので、Twitterのフォローなどよろしくお願いいたします。

九月二十一日追記。
『或る賞鑑家の眼・大久保裕司の蒐集品』完結しました。
九月二十三日終了なのでギリギリになってしまいましたが、お近くの方はぜひ。
豊田市民芸の森にで開催中の、植村宏木氏の個展『ゆきて たずねる こえ』は二十八日までなので、そちらもぜひに。


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