豊田市民芸館『或る賞鑑家の眼・大久保裕司の蒐集品』その2

前回からの続き。


茶筒・茶托・急須。

茶筒・茶托・急須。

茶筒、多すぎ。茶托も急須も多すぎ。こんなにいらんだろ。
と思ったが、どれも同じモノがない。もちろん、茶托はちゃんと大きさをそろえてある。やっぱり、型を当てて打ったのかな?
急須は、いくつかの例外を除いておそらく朱泥。でもちょっと紫泥っぽいのもある。混ざってるのかな? あるていど大きさや形はそろっているけれど、やはり職人や窯ごとに作り方は違うので、どれも微妙に違う。
茶筒に至っては、全くそろえる気が無い。むしろ違えて作っている。揃えた方が楽だろうに、規格とかなかったのかしら? それとも、同じにしない理由があったのかな?

今は真鍮むき出しだけど、お茶っ葉を詰めて売られていた時は、商品名のついた紙でも巻いてあったのかしら。ブランドや販売元ごとに、他と差別化を図ってパッケージを変えるのはよくあること。
だけど、フタが、茶葉の量を測れるヘラになってるものがいくつかあって、それだと紙を巻けない。そも、缶ごと売ってたかどうかも分からない。今だって、茶葉は袋で売っているのが大半だ。販売用のパッケージではなくて、移し替えて茶葉を保管する容器として別売されてたと考える方が自然かなあ。
見る感じ、機械で大量生産された缶ではなく、真鍮版なりブリキなりを、職人が手仕事で巻いて作ったモノだ。パッケージにするには、単価が高くなりすぎる。
手の跡が残らないように、キッチリ仕上げてはあるけれど、茶筒の胴に、布の経糸のように薄っすら残っているのは、丸める時に押さえたヘラの跡だろう。
継ぎ目の直線が、わずかにゆらいで見える、その波の大きさに、金工槌の大きさを想像してしまう。
フタの縁を、切りっぱなしではなく、丸めてあるのは、いったいどうやったのか分からないけれど、かすかなブレが、確かに手仕事だと感じられる。

それにしたってこんなにいらねぇだろ、とは思う。
急須はまだわかるけど。

急須の場合、あの形には色々意味がある。
例えばの話。
横手の急須で、テーブルや食卓の上で使うものの場合、横から取るので、取っ手の角度は水平に近くなる。
和室の畳かその上の盆で使う急須は、上から取るので、取っ手の角度はやや高くなる。
そうして、注がれる角度も変わってくるので、垂れないように、注ぎ口の角度や形も変わる。

だから職人は気を遣うはず……なんだけど……ここで展示されている急須の場合、取っ手や注ぎ口の付き方がバラバラ。細かいことは、あんまり気にしてないような……

胴の形も、肩が張ってほとんど円筒のやつから、肩が丸くて、風船みたいなのもあって。そうすると、フタの大きさも全然違う。ほとんど胴の直径なものから、その半分ほどのものまで。フタの縁に沿う筋も、あったりなかったり。

ここでは、形を決めるのは理屈ではなく、職人の手が勝手に演出する違いのようだ。
といって、雑なところは全くない。鉄の急須の取っ手など、木の軸を別に挿してあったりする。こまかな気遣いや工夫は、例外なく働いている。

大久保氏は、実際にこの急須でお茶を飲んだのかな。
そうして初めてわかる事も、色々あっただろう。自分はただ分からないまま、いたずらに思いをめぐらせるだけ。

袖印と雑貨。

袖印と雑貨。

袖印というのは、昔、合戦の際に敵味方を識別するために、鎧の袖につけた布。その手前に雑多な品物を治めた展示ケース。写真のような展示が、二つ並んでいました。写真では、紅と藍で染められている袖印、雑貨は名刺入れやハガキ入れといった箱モノが主ですが、もう片方は、生成りと紅、雑貨はハサミや栓抜き、ねじ回しなどの手回り道具が主でした。

袖印とかよく知らなかったけれど、なんとも良い雰囲気。
浴びてきた空気に染められた、藍や紅の揉まれ具合。
戦場の土埃だの、陣場のかがり火だの、その匂いが染みついているみたい。
バーネット・ニューマンやマーク・ロスコよりも、自分はこっちの方が好きだよなあ。

それはそうと。
……いや、ハサミて……栓抜きて……なんか、コインみたいなのまであるし……まるっきり雑貨じゃないですか。コレ、ホントにコレクションなんですか? フツーに、日用品として使ってたものじゃないんですか? 確かに、古いっちゃ古そうだけど……明治時代くらいかな……いや、ある程度の工作機械は使われてるッポイし、デザインもハイカラなので、大正以降? 昭和の始めまである? どんなに新しくても、雰囲気からして、戦前まではいかないかな……

気が付けば、灰皿のプレス加工の具合とか、名刺入れの蝶番の具合とか、箱と蓋のかみ合わせの縁の仕上げとか、ハサミや栓抜きの表面の磨きぐあい、亜鉛や真鍮の色味なんかから、色々と読み取ろうと、夢中になっているのでした。
まんまと、してやられたと言うワケか。

思えば、さっきの陶磁器の小品とかだって、日用雑貨である事には変わりない。徳川美術館に麗々しく飾られている硯箱や櫛笄の類も、ヤマザキマザック美術館のガレやラリック、はたまた国宝の井戸や天目だって、実際には使ってナンボの道具である事に、変わりはない。

ここに飾られている種々雑多な道具たちは、今、自分の机の上にあるスマホケースだのノートPC台だのという手回り品と、美術館の工芸品との、間にあるものということか。
さて、それでは彼らはどっち側だ? どこで線を引く?
いや、そんな境界など、必要なのか? 存在するのか?

いつの間にか、美術館に飾られ、博物館に展示されている物と、自分の周りにあって、生活を共にしている物たちとを、まるで違うモノとして見ていた。
いや……間違いなく、違うモノではある、と思う。
そこには確かに、区別されるべき境界線はある。
しかし、それを説明できない。なんて恥ずかしいことだろう。自分の「モノを見る目」は、こんなにもいい加減だったのか、と思い知る。

ただ、ハサミの亜鉛の薄青く曇った表面や、名刺入れの真鍮の暗く沈んだ金色から、ただの日用品が、少しずつ、それだけではないモノに変わっていく、その雰囲気を感じる事は、かろうじてできる。
いつかこの正体が分かればいいんだけれど。

大久保氏は知っていたのかな? そして見守っていたのか。
このモノたちがゆっくりと、単なる日用品から、そこにとどまらない何モノかに変わっていく様子を。

古織部の壺

古織部の壺

そんな風に、自分のモノを見る目に自信を失いつつあるタイミングで、これが展示されてて、ホッとするのだった。
「ああ、こういうのが見たかったんだよ! そうそう、骨董とか民藝とかいうのは、こういうやつ! この手のなら、何度も見てるから!」
展示ケースの前で不思議な踊りを、一節舞ってしまった。

何度も見てるは見てるんだけど、見ただけで釉だの土だのを見抜けるほどではない。やはりいい加減である。
濃い色の土に掛けられた、白い釉薬の発色が絶妙で、その色合いが、掘り出したばかりの根菜のようにたくましい。
ちょっと荒っぽい作り方をしてたのか、内側にもポタポタ釉薬が垂れている……表面の釉薬も剥げて、織部の緑や鉄絵も一部欠けていたり、かと思うと、釉が垂れたのか、厚すぎてコブになってるところもあったり。
しかし、それがどうした。
いやむしろ、だがそれがいいとすら思う。
グイと張り出した肩の力強さ、指の力強さを感じる、口縁のギリギリと締められた感じ、その周りに刻まれた四本の筋は、ニヤリと笑った皺のようで、そう考えると、太い耳も、盛り上がった頬の肉のよう。
……なんか、ひたすらに力強いなコレ。
檜垣紋もグイグイと筆圧を感じるし、草花紋の筆の走りも思い切りが良い。織部を勢いよく引っかけたようなヒスイ色の輪は、もう何を描いたのか分からんレベル。なのに、垣根や草木に降りそそぐ光そのものに見えるってぇのが、とんでもない。
胴には指の跡がしっかり残っていて、力のこもった職人の掌の厚みが分かるほど。高台に残るヘラ跡も、ガリッと音が聞こえるような、雑な感じが、これまた、たまらない。

最初に見た時は、フタはどうしたのかな、どんなフタが乗ってたのかな、なんて暢気に思ってたんだけど、こんな暴れん坊では、フタなんて被っていられないのも仕方がねぇなあ。
やはり、この壺を生かすには、草花を生けるべきか。
この壺の生命力に負けないような、元気の良い植物ってなんだろう?
華道の心得のある人がいたら、聞いてみたいところだ。

初期伊万里筒茶碗

初期伊万里筒茶碗

白い釉に、茶色く染まった貫入がとてもきれい。
口縁の貫入は緻密で、茶色く曇ったようになっている。
それが下に行くほど、まばらになっていく。
口の方から、土の色が染みこんで、ジワジワと滲んで落ちていくみたい。そこに、太い金継ぎの筋がはいる。
金継ぎの色はくすんで、貫入の色に近くなっている。
その結果、金継ぎの太い筋は幹で、貫入の細かなウロコ模様が、そこから広がった枝や小枝のよう。
染付の丸紋は、そこに懸かった月影のよう。

とても美しい景色になっているけれど、人が意図して描いたのは、丸紋だけだ。
貫入は、釉薬の収縮で自然に入るもの。どんな様子になるかは全て偶然。
金継ぎは、割れた陶器を修復する手段なので、筋か入るのは割れた場所。これも偶然。
この景色はほぼ、偶然が重なって描かれたものだ。

尤も、陶磁器というのは最初から、土と水と風と火が作るものであって、人が関わる部分はごく一部なのだけど、それがここまで美しく組み合わさるのだから、美というものは、全く人の思慮の外にあるのだなあ、などと。
そんな不思議を掌のうちに納めて、茶を一服。
大久保氏は、なんと贅沢な生活をしていたんだろうか。

朱漆塗蓋物

朱漆塗蓋物

中に碁石が入ってたらしい。でも碁笥なら、白石用と黒石用と、二つで一組なのでは? もう一つはどうしたのかな。
普通の碁笥二つ分の石が入りそうな大きさだから、ひとまとめに入ってたのかしら。
フタを開けて見せて欲しいなあ。内側も朱なのか、それとも黒漆なのか。
一番表面の朱漆が擦り切れて、下地の黒が見えてるのが、根来塗りっぽくてカッコいい。とはいえ、かなり朱漆が薄くって、根来塗りなら鮮やかな朱なのに、全体的に薄っすらと黒が透けて、色合いは古い銅みたい。でも、金属ではない柔らかさ……というか、手脂がしみ込んだような、皮を思わせるような、ヌルリとしたこの質感は……滑らかさというべきか?

内側も、きっと同じような朱漆なのだろうと、なんとなく想像する。ザラザラと流し込まれた碁石に、元々薄い朱漆が、搔きむしられて、朱の内側に目の細かい黒い網がかかったようになっている。その網の中に、白石も黒石もくるまれて、黒い網から透けた朱の色が、艶やかな碁石に映えるのだろう。

そんな妄想をした。

猫足盆

猫足盆(朝鮮時代)

浅い水場を覗き込むと、確かにこんな感じ。
見下ろした真下は、澄んだ水の向こうに、池の底の赤い土がキラキラと光って見える。離れたところを見れば、水面は光をあらぬ方向に反射して、眼にとどく一筋以外は暗くなる。
それを、口縁に黒漆、底に朱漆を使う事で、さらりと表現している。
池の中でクルクルと、お互いの尾を追うように泳いでいる三匹の魚は、螺鈿の象嵌。
水中の魚のウロコが光るのを、螺鈿の輝きで表したからこそ、朱漆は水底と、黒漆は水面と見える。
その上、使い込まれて底の朱漆がところどころ剥げているのが、転がる石や藻の影のように、水底の表情を作っている。黒漆が丸い縁に沿って傷ついているのも、まるで水面のさざなみが、丸く広がっているようだ。
螺鈿も少し白っぽくなっているみたいだけど、魚のとぼけたような表情には、むしろあっているようだ。
その魚の表情といい、照らされた赤い水底といい、トロリとした黒漆の水面といい、この盆ひとつで、森の陽だまりに隠れた春の池の風情がある。
スゲェなあ。この表現、よく思いついたなあ。

続き(その3)はこちら。

妄想が止まらない。まだ終わらない。
あと二回ほどかかりそう。ごめんなさい。
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