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灯火 1-2


休日に調子が悪くなることは過去に覚えがあった。


体調崩す度、

休日でよかった〜。
自分も辛くないし、誰にも迷惑かけない。
ほんと私の身体って空気読むのうまい!

と、自分を褒めちぎるルーチンがあった。

都度、仕事までには治っていたし、
調子悪さが残っていても、
出勤して職場の人と挨拶を交わすと
自然と治った。

いわば、休日という甘えが引き起こしている現象であって、盛大に自分を甘やかすためのもの。
それでいい。

そう、思っていた。


しかし、
今度ばかりは治らないかもしれない、
そう思ってしまったことがトリガーとなった。

何も考えられない。
脳が膨張している。
ボーッとの表現はまさに今のことを指すのではないか。

ボーッとしたいわけではないのに、
ボーッとしかできなかった。

頭が回転しなくなって初めて
頭が回転するという言葉の
本当の意味が理解できた、
ように感じた。

何をしたいという欲もなければ
何かをしなければという用事も浮かばない。

きっとあるのに、
何かしらやる事はあるはずなのに

いつもはなんの迷いもなく、
感情が、欲が、湧き上がり
行動を迷う自分がいるのに、
どうしちゃったんだろう。

ただ、ここに、ただ、いるだけ。

それだけ。


感情、衝動を求めた時に
初めて無感情という言葉の意味を
体感した、気がした。

感情が湧かなければ
自分が行動を起こす衝動が湧くこともない

何もすることがないじゃないか
何もできないじゃないか

でも、どうでもいいか、、。


どうでもいい。

そう、何もかもが
どうでもよく、価値がなく、感じられた。


感情は行動の動機に
喜び、怒り、哀しみ、楽しさの全てが
生きる上で価値のあることだったのか。


価値が感じられなくなった私には
そんな悠長に分析している頭の余白は毛頭なかった。


頭も心も強制シャットダウンされた私には
ただ呼吸をすることだけが
唯一残った衝動に感じた。


何もできぬまま数時間座っていると
さすがにエネルギーが溜まってくるようで
今の状況を打開しようという焦りの気持ちが起きた。

しかし頭の膨張感は健在で
何をするべきかはわからなかった。


そうこうしているうちに、夜になった。
私は恐怖を感じることが出来た。


しかしそれは
どんどん転がり落ちる恐ろしい
思考を纏った感情だった。



この先ずっと
抜け殻の自分で在り続けることが怖かった。

もう二度と戻れない普通だった過去、
もう治らないかもしれない恐怖の未来、

勝手に湧き上がる恐ろしい思考に乗っ取られ、
枕を濡らしつつ、夜が明けた。


不幸中の幸いにも、仕事となると
身体はやらなきゃいけない事は分かるらしく、
動いてくれた。

とはいえ、
布団から出るまで、家を出るまで、
しっかりと時間が費やされ、
やっとの思いでの出勤だった。


サービス業なので髪を結び、
コロナ禍なのでマスクをする
それが義務付けられていたから
出勤出来たギリギリの姿だったように思う。


タイムカードで出勤を打刻し、
店長に挨拶をする
「おはようございます。」!、、

そんな当たり前の日常の瞬きに
またも容赦なく、襲ってきたものに
私は、ただただ流されることしか出来なかった。

突如、溢れてきた涙は
自分ではどうにも止め方がわからなかった。


笑顔を作って放ったはずの
「おはようございます」とともに
溢れ出した涙は得体の知れぬもの。

一向に止まらないことが、さらに
私の心を追いやり、恐怖を誘った。


1時間以上止まらぬ涙に
完全に心を砕かれた私は途方に暮れた。


しかし、
途方に暮れたところで解決策は見出せず
どんどんと
働かず泣いている現状への気まずさは増すばかり
私は泣き止むことを諦めた。

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