わたしに明日起きるかもしれない素晴らしいこと
絵を描ける人を羨んでいる。
子どもと落書き帳に向かうのは好きだけど私はそんなに上手くはない。
−−−−−−−−−−−−−−−
通っていた高校は九州の田舎にある進学校で、ひとクラス30人以上が10クラス。
教室は5クラスずつ、校舎の1階と2階に別れていたので、入学していつまで経っても名前も顔も知らない人が大勢いた。
木々(仮名)は有名人だった。
「変わっている」と。
なので顔を知る随分前から名前は知っていた。
そして木々の描く絵も。
木々は美術部で県でも全国でもバンバン賞を獲っていた。
学校の廊下に飾られた木々の絵を見たとき
「これが絵の天才かぁ」と魅入られた。
4階建ての校舎とそれに掛かる大きな木を描いただけのそれはカラフルで沢山の色であちこちを塗られていたのに全然うるさくなくて、柔らかで影も光も美しくて今まで見て来た、どこに飾られていた絵よりも私の心を揺さぶり掴んだ。
皆さんにもあの絵を見せてあげたい。
本当に素敵だから。
あの日から私の好きな画家はずっと木々だ。
1年の二学期も過ぎたくらいに初めて見かけた木々は少しガリ股で首からでかいカメラをぶら下げてめちゃくちゃな早口と身振り手振りで「きぎー!」と呼び止めた友人と会話をしていた。
「あれが木々」
カメラなどは持ち込み禁止と認識していたが、美術部のなんかなんだろうか。
カメラ持ち歩いてるのかぁ、変わってはいるかなぁなどと横目で見ていた。
特に接点もなく1年が過ぎ、2年生。
その頃、学校では『選択授業』みたいなものがあり習字・音楽・美術の3つのうち1つを選びクラスを超越して選んだ授業を受ける時間があった。
私は美術を選び、当然美術を選んでいた木々と同じクラスで授業を受けることになった。
共通の友人が美術クラスにいたので数回、会話をすることがあったが全く親しくない私達。
なのにその日、授業が始まり先生の静物を描くことへの説明が始まると暇なのか木々が絵の具でサラサラと何かを描き始めた。
ジッと見ているとそれはあっという間にライオンになった。描き終わったのか興味をなくしたのかその絵を雑に脇に置く木々に思わず
「あ、その絵、貰ってもいい?」
と斜め後ろから話し掛けていた。
「こんなんで」
と謙遜か本気か呟く木々はもう放っておいて私は変なシワや折れが出来ないように丁寧にライオンを家へ持ち帰った。
散々悩んでもどんな額が合うのかわからないままシンプルな木の額にライオンを収めた。
3年になると同じクラスになり、月に1、2回しかないクラブ活動も偶然同じものになった。
クロスワードパズルクラブというただただクロスワードを解くだけの活動で木々はそのほとんどを
「みついさん、保健室いってくるわ。先生に伝えといて」
と言い残し参加しなかったので仲が深まることは一切なかったが木々の描く絵は相変わらず素晴らしかった。
3年といえば進学。
クラスメイトの大まかな進路はわかるけどとっても繊細な話題なので仲良しでもなければ希望の学校名までは知らない。木々についてもそうだったが美術系の学校へは行くんだろうな、と思っていた。
人よりも少し早く受験が終わり、11月の放課後を私はぼんやりと過ごしていた。
そんな冬の入口のある日、急に木々が話し掛けてきた。
「美大受けるっちゃけど」
そうだろうな、と思っていた。
「試験にデッサンとかあるっちゃわ」
木々なら大丈夫だろうな
「みついさんの横顔が好きだからデッサン練習のモデルになってくれん?」
もちろんすぐに承諾した。
果たして今からのデッサン練習でどれほどお役に立てるかは分からないけど、それから3回くらい放課後の美術室でモデルをした。
うちの高校はものすごく酷い坂を登り切った森のようなところの上にあって、美術室は校舎の最上階にある。
授業以外の時間に入る美術室。
光の関係なのか照明は付けず、少しずつ暮れる教室の窓から遠くにキラキラ光る海が見えた。
ものすごく厚かましいんだけど私はモデルのお礼に
「出来上がっても、途中でも、その絵が不要になったら私に貰えない?卒業していたら着払いでいいから家に送って欲しい」
と頼み、いいよ、と言ってもらっている。
それから木々は東北の美大へ進学した。
絵は送られてこないまま大学も卒業して、社会人として働き始めた1年目に東京で個展を開く、と1枚のポストカードが届いた。
作風が私が知っている頃と変わっていてすぐに気づかなかったが、ポストカードのクレジットを見てみるとカードに描かれた極彩色の何かの絵も木々の作品だった。
まだ有給を使う勇気も東京までの旅費もない社会人だったので行けない代わりに会場にお花を贈ることにした。花屋さんに予算を聞かれたあと
「どんな感じのお花に?」
と聞かれたので
「すごく変わった感じで」
とお願いした。
それからさらに数年後、木々は芸能の方へ行った。と共通の友人から聞いたきり今まで次の話は聞いていない。
−−−−−−−−−
美術のことはよく分からないし、覗き込んではいけない気がしてデッサン途中のあの絵は一切見ていない。
色なんかは付けるものなのだろうか。
1枚を描き込むものなのだろうか。
何枚か描いてみたりするのだろうか。
たまに、数年毎に思い出しては
「あの絵、どんなんなのかなぁ」
「どんな額にいれようかな」
としばし楽しい空想に浸る。
「宝くじが当たったら何しよう」
と同じ種類の楽しさがある。
近頃宝くじは買っていないのでこちらはいつまで経っても空想だけど、あの絵と約束は確実にしたのである時急に送られてくるかもしれない。
もしかしたら、それは明日かもしれない。
わたしに明日起きるかもしれない素晴らしいことだ。
好きだと言ってくれた横顔に不意に出会えるかもしれない。
いいでしょ。
気に掛けてもらって、ありがとうございます。 たぶん、面白そうな本か美味しいお酒になります。