私の中の片山さつき
政治の話は一切出てきません。
10年ほど前からだろうか(記憶は曖昧です)テレビで片山さつきを見る度に
その髪型はどうにかならんのか?
と思っていた。
ひと昔、いやふた昔前のいわゆる「聖子ちゃんカット」のような髪型。
顔の横の髪を外側に緩く巻いているあれである。
もしかしたら若い頃、その髪型がドンピシャはまったことがあったのかもしれない。
いくら年月が流れようが似合っていればいいじゃない、ということなんだろうか。
はたまた政治家らしく験担ぎなんだろうか。
真実は知らないがテレビで見かける度に似合う似合わない以前に古くさく感じた。
余計なお世話です。
ちかごろ巷では太眉、平行眉というものが流行ってる、というのはなんとなく知っている。
だけど細眉時代を生き抜いてきた身としては、女優やらモデルさんのような美しい人ですら太眉顔にはなじめない。
ましてや普通を生きる私になど この波に乗り切れる気がしない。
流行など気にしなくていいではないか
自分に似合っているのが一番
と考えていたのだが
これは「さつき」ではないか?
自分の好きな、というか似合っていたことがあるものを変えずやっていくのも素晴らしいけど私は私がかつて思っていたように
どうにかならんのか
の眉毛になってはいないか。
知らぬ間に私の中にさつきが発動しているのかもしれない。
そう思い至ったとき、私は美容室に予約をいれるとヘアカットもそこそこに眉カットをオプションで付けた。
予約日までの2週間ほどはプロがどんな形にでもできるように眉毛を育てもした。
元来私の眉は生命力が強く、なにもしなければそのうち右と左でこんにちはの一本眉になる。変幻自在なのだ。
そういうわけですくすく育った私の眉はプロの手で整えられているのを待った。
「何が似合うのか、わかりません。
かといって、似合っていればなんでもいいという訳ではない気もします」
と全力でプロにすがった結果
仕上がった私の眉を見て、夫も娘も何も気付かなかった。感想もなし。
一般人にとって眉の細いや太いなど些末なことなのだ。
なのか?
とはいえ、私に気付きを与えてくれたさつきには感謝をしている。
これからも私の中にさつきが育つ度、自分の好きと客観性のバランスを大事にしていこうと思う。
(敬称は略しています)
気に掛けてもらって、ありがとうございます。 たぶん、面白そうな本か美味しいお酒になります。