見出し画像

【不動産屋の雑談】その辛さは分かります、という話

町の不動産屋に勤めていた。
サザエさんの花沢不動産みたいな。

お客様を物件に案内したり契約書を作ったり、入居後の管理をしたり、家賃支払いが難しい時には相談してもらったり。
これは入居 退去 不動産にまつわるエトセトラの話である。

11月のある土曜日、私は物件案内の予約があったので事務所でお客様の来店を待っていた。
約束の時間10時を少し遅れて松本様はいらっしゃった。

お付き合いのある会社の方で、今回契約となれば法人契約となるので入居審査に関しても心配はない。
それに、メールでの日時の打ち合わせの文面を見るにとてもしっかりした人のようで安心していた。

そのときまでは


やって来た松本様、なんだかとても調子が悪そうだ。とにかく顔面が蒼白で視線に力がない。そして、なんだかお酒臭い。
たぶんだけど、たぶん二日酔いなのではないだろうか。そういう気がした。

30代、私より年上であろうその人に対して、何が優しさなのか分からなかったので、とりあえず何も気づかないふりをして、話を進めていった。
途中、松本様はトイレへ立ったりした。

資料などを手渡し、当たりをつけていた物件へ いざ出発と車へ乗り込んだときに、もう確信した。
臭い、お酒臭い。二日酔いだ。

私はとてもお酒を愛している。
二日酔いだって散々経験してきた。
私はダメなタイプだが松本様はそんな体で、車に乗って大丈夫なタイプの人なんだろうか。
道中、不安でしかない。
ちなみにこの日は3件ご見学予定だ。


最初の物件に向かうまでの7分ほどの間、松本様は車の窓に頭を預け虚ろに車外の風景を見ていた。
私の「買い物ならここのスーパーが一番近いです」とか「バス停は向こう側ですね」などの話に薄く頷いていた。

…もう、話しかけるのはやめておこう。


物件にたどり着くと、駐車場の溝へリバースされた。


「側溝に速攻吐いた」と駄文が浮かんだ。


時は11月、寒い日だったので取りあえず、お部屋へ案内し、この物件のオススメポイントでもある日当たり良好の窓際で休んでもらった。
もちろん内覧どころではなく、松本様は少しも動かず日に当たっている。
その隙に、外へ出て物件横の自販機でお水を買って手渡した。

私に出来る優しさはこれくらいである。


少し落ち着かれるのを待って、その日は事務所へ戻り解散をした。
会話はほとんどなく、とぼとぼと歩き去る松本様をいつまでも見送った。


後日、丁寧な謝罪のメールを頂いた。


契約はしてくれなかった。


辛いとき、体調が悪いときには、物件案内なんて断ってもいいんだよ、という話である。


名前はもちろん仮名です。

気に掛けてもらって、ありがとうございます。 たぶん、面白そうな本か美味しいお酒になります。