井川遥にしてください
言って良いことと悪いことがある。
ということは知っている。
8月の帰省時、私の父母が娘たちを見てくれることをいいことに美容院に行ってきた。
地元に住んでいた頃ずっと通っていた慣れ親しんだ場所である。
大阪に住んでいた頃、ハイセンスすぎる担当に言えなかった。
横浜に住んでいる今、まだ距離を感じる担当に言えずにいる。
「今日はどんな風にしますか?」に
「井川遥にしてください」という言葉。
一応断っておくと、生きてきて今まで一度も「井川遥に似てますね」
などと言われたことなどない。
だけど、地元のあの美容院になら、あの担当さんになら言える気がする。
出発前に父母に
「わたし、今日『井川遥にしてください』って言おうと思う」
と決心を告げると父は微笑み、母は吹き出した後思わずごめん、と謝罪した。
美容院に入ると見慣れた担当、黒木さんが
「さすがハマっ子、おしゃれねー」と言うので正直に「一張羅です」と伝えたが、井川遥を意識した格好であることはまだ胸にしまっておいた。
いよいよ席に案内され
「今日はどの位切ります?」と聞いてきたので5〜6cmと答え、続くカラーや前髪の質問に答え終わると、黒木さんの中で質問タイムが終了したのか横浜での生活はどう?などと日常おもしろ話に会話内容がスライドしていった。
ここから話を引き戻し、井川遥を登場させるとなると通常の倍の勇気がいる。
私は口をつぐみ鏡を見た。
仕上がりには満足した。
自宅に戻り父母に
「言えんかったわ」
と告げると二人とも微笑んでくれた。
そしてつい最近CMに出ていた最新の井川遥を見て驚愕した。
私のような者が真似しても美しくなることは出来ない。
そう思わせる普通の髪型をしていた。
そう見えた。
そう思って画像検索した井川遥を見てみると、全てがあの顔で成り立っているように思えてきた。
「井川遥にしてください」
はたしてこれは正解なのだろうか。
そして私は今、少し先に横浜の美容室に予約を入れている。
ついにあの一言を言うときが来るかもしれないが、言えるのか。なれるのか。そもそも正解なのか。
心に迷いが生じてきた。
とりあえずその日まで、毎晩ハイボールでも飲んでイメトレはしておこうと思う。
あえて敬称は省いています。