舞台「時の物置」感想
稲葉麻由子さんが出演されるということで観劇へ。
前回、出演された時は緊急事態宣言が発令され、観劇へ行けなくなってしまった。その後、不意にDVD発売という連絡があり、何とか観ることができた。おかけで、応援始めてからの連続観劇が途絶えないですんだ。そんなこともあり、悔しい思いを晴らしに、そしてあの時、DVDを販売してくれた御礼も込め、今回は劇場へ。
昭和の時代が舞台の物語。
学生運動が終わった頃だろうか、それでもまだ日本が色々な意味で活気にあふれていた時代。
実質的に一家を仕切っている延ぶ。士族の生まれという高いプライドがあり、頼りにされたらなんとかしようとし、人にほどこされるのは嫌う。自分が貧しくても、金を貸してくれと言われたら貸してしまうのではないかと思うほど。現代であれば、士族の生まれと言われてもピンとこないが、作品の時代はまだ少しその風潮があるものの、時代遅れ感もあるのだと感じた。面倒だから、うまく立てて使える時には使おう。そんな感じだろうか。
そして、うまく使われてツル子を下宿させる。
そのツル子を演じていたのが、稲葉麻由子さんだった。どちらかというと、強い女性のイメージの役が多い。しかし今回は、静かな、というと聞こえはいいが、何かを抱えているあまり喋らないイメージ。下宿として借りているのが納戸だった部屋のため、ついつい開けられてしまう。そんなところから始まる。
このツル子の素性、延ぶも知らない。気になっているだろうが、そこは士族の生まれというプライドが邪魔をして聞かない。それがツル子には良かったのかもしれない。
タイトルが「時の物置」とあることから、時間に注目していた。家族をめぐり、選挙など色々な小さな出来事があるが、何より時を感じさせたのは、やはりツル子の存在。
一番最初、近所の主婦たちがツル子と初めて会って、物珍しそうに見た時、一瞬、凄く刺々しい表情を見せる。それまで、表情を隠し、お辞儀をする時は誰よりも腰をを曲げ、まるで顔を隠すかのようだったのに、その瞬間は、鋭い刃の様な目をして見せた。その目は、ツル子がただ狂暴な性格といった目ではない。何か、怨念めいたものを感じさせた。
これは、これまで稲葉麻由子さんが演じてきていた「強気な女性」を観てきたからかもしれないが、いつものそれとは違うものに見えた。だからこそ、何かを背負っているのではないか。そう感じられた。
物語は進み、選挙への当選なども時間経過として描かれていくが、何よりもツル子の表情や周りとの関係性が時の経過を感じさせる。
テレビが届き、周りの人もそれに飛びつき、あの部屋に入り浸る。その様子は、まるで同じ昭和の時代、テレビゲームを買った友達の家に集まる子供の様に。
その頃の話を見ると、学校でパッとしなかったりいじめのような目にあっていても、テレビゲームを持っていたり、上手かったりするとヒーローになれたというものに似ている。それまでツル子は、部屋の中で一人、ふさぎ込んでいたのかもしれない。外界との関係性を出来るだけ遮断していたのかもしれない。それが、テレビという、何よりも外界を見ることのできるものが手に入り、そして遮断していたはずの外界から、人が流れてくる。
部屋から出るたび、その表情が少しずつ変化する。その変化が、麻由子さんの作り出す表情で時間の経過を示す。なにより、時間というものがどれだけ人にとって重要かも教えてくれる。奥様たちとの会話は、あまり劇中では描かれなかった。噂好きの奥様たちは、ツル子の過去を聞かなかったのだろう。それはテレビに夢中だったからかもしれない。でもその環境がツル子には良かったのだと思う。
途中、お辞儀の角度が変わるかとも思っていた。あのお辞儀の角度は、世間との壁の一つではないかと思っていたからだ。ところが、あの角度は変わることなかった。完全に読み違えてしまった。それだけ、あのお辞儀の角度は不自然だし、むしろ怖さを感じた。もし、麻由子さんが狙ってだとしたら・・最後までその角度が変わらなかったのは、心の奥深いところではツル子は、人間というものに壁が残ったままだったのかもしれないとすら思ってしまった。
今回、麻由子さんの演技を観ていて、ツル子のそれまでの人生が色々と想像できるたことが良かった。これまで同じような役柄が多かったし、コメディも多かったけれど、彼女はシリアスな作品で存在感を発揮することを忘れていた。「明け方に嗤う」という作品が今でも印象深い。こういう役を待っていた。こういう役が観たかった。
今回、ツル子がどういう人生を歩んできたか、明確には明かされなかった。それでも、一つの写真を巡る周りの人たちの態度で、何となく察しはつく。そういう時代だったから、という言葉が免罪符となっているかのようだったが、罪というにはあまりにも酷で、むしろ、それは「そういう目で見たらだめだよ」という風に自分たちに対する免罪符のように思える。そんな態度。
すっと写真を隠す延ぶは、親心が垣間見える。
ようやく見つけた居場所に、ツル子は幸せを掴まえられそうだった。それが、すっと逃げていく。
観劇後、「時の物置」という言葉を改めて考えた時、その重みと切なさに心が震えた。あの納戸で、物置で、ツル子はかつての”時”を捨てられるところまで来ていた。物置に閉じ込められるところまで来ていた。ところが、その”時”を解放し、戻してしまったのもまた物置からだった。
物置とは、しまっておくことはできるが、そこから無くすことは決してできない。なくなったように見えて、そこに確実に存在する。それは、“時”と言えども同じ。過去の時は消えない。消えたと思えた自分がいて、でも再び過去の”時”に囚われてしまったツル子の喪失感。
この最後の感情を、麻由子さんの静かな演技と表情が巧みに表現していた。
選挙の話や、その後暴行を受けたりするその当時、”今”の時の話も考えさせられるところはあるけれど、やはりツル子が際立って見えてしまった。そして、この作品
は三部作の一つとのこと。残念。言葉のアリアさんで三部作全て観たかった。
そういえば、以前、ことのはboxさんが「見よ、飛行機の高く飛べるを」を上演されていた。都合が合わずに観に行けなかったけど、改めて観たくなってしまった。
今回、稲葉麻由子さんが、意外にも昭和の世界観でも全く違和感なく入っていたこと。むしろ、自然体で良かった。多くの昭和作品を上演されていることのはboxさんの作品に出て欲しいと思った。ことのはさんの作品は観てきたけれど、稲葉麻由子さんがもし加わったら…正直、ワクワクする。
三部作のバトンも、ぜひ受け継ぎつつ、また麻由子さんも出演されたら、なんて期待を抱きつつ、パンフレットの到着を待つことにしよう。
本当はパンフレットを観ながら、できれば数回観に行きたかった作品。少し薄い感想になってしまった。作り手の皆様には申し訳ない。
でも、有意義な時間を過ごせたことに感謝したい。