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ピース・オブ・マイ・ハート 観劇

ミュージカル作品ではなく3時間15分(間休憩5分)という公演は初めてだった。色々な作品を堪能できる公演。全7作品。10分程度の短編を挟むわけではなく、1つ1つが30分程度のしっかりとしたオムニバス形式。そのため、いつもは印象に残った役者さん中心に感想を書くが、今回は作品をピックアップして感想を書こうと思う。

最後に上演された「193」。
漫画家である育美と同居人の男が繰り広げる物語。全編を通して、一番笑いが起きるシーンが多かったのが、この作品だった。
同居している男女二人。結婚しているわけではない。同棲、同居、関係性は?と思いながら物語は進む。考えている内に、なめこ汁一つで、展開を広げ、観客の意識を少しずつ引っ張る。ヒモだろうかというところから、だんだんとペットの様な扱いにさえ見えてくる。
幕が開いたときから気になっていたハリセンも、しっかりと登場し、思い切り腹を叩く。
普通、ハリセンなんて家にない。それなのに、しっかりと作られたものが置いてある。
その非日常アイテムが、この世界観をより奇妙に感じさせる。
育美は、男に振り回され、イライラしながら、でも感情の吐露をしている。
男の言動に、ハリセンで突っ込むくらいのパワフルな女性かと思うと、繊細な姿が垣間見える。
漫画家という仕事も「好きじゃないの?」と聞かれ「仕事だから」と答える。
漫画家なんて仕事は、本来、憧れて就く仕事。とは言え、自分が描きたいものと求められるものは違う。この悩みはクリエイターにはつきもの。
小説・漫画ともに、賞に受かるために自分の書きたいものではなく、出版社・世間が求めているものを題材にするか、それとも自分のかきたいものにこだわるか、何回か賞に応募していれば多くの人が悩む。
育美は、ここを乗り越えて漫画家になった。これで好きなものが描けると思ったら、やはり求められるものを書かないといけない。それでいて、目立たないといけない。
そんな葛藤を抱えている。それはこの物語でメインというわけではないが、そんなバックボーンを理解して、難しい心の機微を上不あやさんがしっかりと演じていた。
短編という性質上、細かく出すことはできない中、またドタバタする中で時々見せる寂しげな表情で見せていた。
ベタなストーリーではダメなのだという描写が作中にも出てきた。それで育美も悩んでいた。実際、そうなのだ。他とは違うねと言われる作品を描かないとダメなのだと悩む。
これを聞いたとき、小説の書き方をまとめたある本に、ストーリーは王道で構わないと書かれていたのを思い出した。物語の歴史は深く、どんなに知恵を絞って書いても、どこかで必ず誰かが書いたと思った方がいい。要は王道のストーリーでも、そこにどう面白味を出すか。それが作家の腕だと。
育美を見ていて、その事を知る前の自分に似ているなあと思ってしまった。育美は締め切りを過ぎて待ってもらっていても、自分の、自分だけのオリジナルの物語を描こうとしている。
でもそれは、どこかに不安がつきまとう。その不安を細かく表現する上不さんの演技が、面白い中に繊細に見えた。
結局、物語の展開としては、少し予想がついていたが、「男がアンドロイド」という方向に進む。そして結末も、予想ではないが、こんな展開だったら・・と思わせるものだった。
つまり、この物語も、”どこかで覚えのある”話なのだ。それでも、最後にゾクっと怖さを感じたし、落胆することもなかった。
それは、ここまでの展開が、特にこの作品が舞台だからと感じた。
上不さんと、男を演じていたBENIJAKEさんは、前半からラスト間際まで、とにかく騒ぐ。特に前半はバカバカしく騒ぐ。
前述したとおり、この作品は、この公演の中で一番笑いが起きていた作品。ここをどれだけバカらしく、大騒ぎしてコメディ調に仕上げられるかで、ラストシーンが予測されていても”ベタ”だと感じさせなくなるのだと思う。
演じていた二人の声量やテンポは、演劇だからこそ感じる迫力で、劇場で、生で観るからこその臨場感を大きくしていた。
もっと言えば、この2人は、その二つ前の作品でも実に面白い掛け合いをしていた。作品は違うが、これも相乗効果に一役買っていたように思えた。
他の作品でも、目の前で見る上不さんの演技は人を惹きつけるものがある。言葉も丁寧で、全体としてスムーズにセリフが、耳に入る感じだった。

王道ということで言えば、やはり夢を追う作品は目をひいたように思える。
他に気になった作品は、「かげ」「月ミチル」の二作品だった。
「かげ」は、密かな恋心も交じりながら、それでも友達を応援する。彼が一番気になった俳句も、きっと本人としてはコンクールに出したいほど、良い作品だったのだろう。でも、それを出すことで名前が出てしまう。そしてそれは、彼の耳に入ってしまうかもしれないというリスクが出る。賞などとってしまったらなおさら。
一方で愛子は、クラスで一人の自分にも声をかけてくれる友達。どんなに好きでも、彼に自分の存在を気が付かれてはいけない。
友子は、愛子のゴーストライター。「かげ」の存在。よくある展開は、この「かげ」が反乱して大騒ぎになるが、ここではそうはならない。
友のために「かげ」になる友子。
愛を捨てようとしたが、友のおかげで愛に対して前を向けた愛子。
この物語の結末は、2人の名前をしっかりと頭に入れておけば予想がついた展開かもしれない。
「月ミチル」は、同じ男として複雑な気持ちにもなる作品だった。
幼馴染の女の子。大きくなるにつれ、段々と距離が開いてしまう。これもよくある話だが、高校になると、無視をされている関係に近くなっても、それでも「劇団始めたい」と言われてすんなりとOKするあたり、人が良いというか、恋心の為す技・・かと思ったら、おそらく違う。もっと大きな愛。それを証明するかのように、月の話が出てくる。月まで自転車で走ることも厭わない。やがて物語は、大学演劇界で名を馳せたミチルが壁にぶつかり、誘われたたけだったトシオが他の劇団から声がかかる始末。
自分の才能の壁にぶつかり、ただ誘っただけ、下に見ていた幼馴染に置いて行かれる複雑な想いを抱える。その気持ちをようやく吐露した時、きっと彼女は気が付いたのだろう。
月は目立たない存在で、太陽がないと光り輝くこともできない。だけど、昼間でも、月は常に見守ってくれている。華やかではないが、常に傍にいてくれる大きな存在。
自分は太陽のように光り輝いている。でもその光は沈むと闇を作り出してしまう。しかし月は違う。闇が来て初めて輝き、道を照らしてくれる。
自分のとっての月の存在に気が付いた彼女は、きっと、人として成長し、演技にも大きく影響が出る。この物語の先を見てみたいと思った。

脚本も演者も、大きな夢に向かって走っている。そんな熱意が伝わる公演でした。
終演後の面会で話した上不さんは、ラストシーンの涙がまだ光り、彼女の出る作品はもっと観たいと思った。

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