舞台「ダンスライン!」感想
ダンスライン。この作品が以前も上演された事は知っていた。観に行ったことはなかったが、配信のアイガクで、過去作品振り返りの回があり、そこで取り上げられていた。
知っている情報は、ラインダンスが凄くきれいで見どころだったとのこと。
そして、思ったのは、タイトルが「ラインダンス」ではないこと。この意味を考えながら、観劇してみようと思っていた。
白石まゆみさんは、アリスイン・そして舞台デビュー作品を観た縁がある。そこから連続して出演作を観ている内に、その魅力にハマっていった。
初めて挨拶もしてさあ、これから応援していこうという時に、コロナで思うように応援できずにいたが、最近、出演作を連続で観に行けている。
そのため、「役者」としてのイメージしかない。いつもワクワクしながら観ている。
今回はおばあちゃん役ということで、どのように演じるか楽しみにしていた。おばあちゃんと言っても、若返っている姿。ここをどう演じるか。
口調だけなら、台詞の通りで十分だったが、でも、それだけでは不十分。見た目だけ若い、というおばあちゃん。目を閉じて聞いた時に、おばあちゃんに聞こえないといけない。そう考えると、口調だけでは少し足りない。
そのバランスを、声のトーンでうまくカバーしていた。年齢を重ねて、喉の筋力が衰えた声は、若いころとは変わることもある。だが声質は変わらない。単語が発しづらかったり、詰まったりすることもあるが、それを舞台でやると演出か、ミスか分からないかもしれない。それを声のトーンの変化でうまく聞かせていたと思えた。
初舞台の時から比べると、より言葉に魂が宿っているように感じる。台詞が台詞ではなく、この役なら本当にこんな言葉を言うだろうなという感じ。創られた感じではない、そこに本当にその役の人がいる。そんな風になっている。それは今回の苺も例外ではなく、逆にその言葉を通して、苺という人物が見えるくらい。これはきっと、白石さんが演じる姿を観ていたら、アドリブでやらせたくなるかもしれない。ふと、そう思った。
物語は途中、美環が実は亡くなっていたという展開を見せる。途中から、薄々、そんな気はしていた。だが序盤はそうは思わなかった。それは当然、美環自身もそう。そして苺もそれは言わない。
それを知った時、何でもない台詞が、優しい言葉に聞こえる。
「おばけには、学校も試験も何もないんだよ」
苺自身が自分の事を言っているジョークであり、有名漫画の主題歌でも聞くフレーズである。劇場でも笑いが起きていたが、これも美環に、おばけの先輩として、その世界を教えている台詞に聞こえる。そうなると少し受け取り方が変わり、グッと心に刺さる。「おばけ」という言葉も良い。自分で自分をおばけと表現していることになり、余計に笑いに変えられる。それはつまり、伏線隠しに繋がる。
奔放な美環。それに大して、教えるように突っ込む苺。このやりとりが微笑ましいからこそ、それを強く感じていればいるほど、実は美環が亡くなっていたと分かった時の衝撃が大きく辛い。この落差。観ている方としてはたまらない。
この苺の突っ込みが、デッドリーで見た白石さんのツッコミに通ずるものがあり、経験が活きるとはこういう事だと実感させられる。これから、色々な経験を通じてさらに演技の幅が広がっていった時、今でも充分魅力的なのに、更に凄くなると思うと、怖いようで楽しみ。しかし、やっぱり、白石さんの突っ込む時のテンポと表情は好きだなあ。
台本を見ると、括弧で、美環に悟らせないように、苺が気を使うセリフなどが多い。それは同時に観客側にも向けていることになるが、そのバランスを巧く表現されていた。悟らせるか悟らせまいか、そのギリギリのラインでの表現は、声の強弱一つで変わる。見事に引っ張られてしまったこともあり、ここは脱帽するしかない。
そして、もう一人。広田マリアンヌ役の”れみーにょ”こと菜乃華れみさん。
配信のアイガクで名前と顔が一致し、その時はトークポートでも話をしなかったけど、あの時の笑顔がとても素敵な印象だった。
そして今回のマリアンヌは、アメリカで生活していて、明るいタイプ。分かりやすい、日本人が描く陽気な外国人のイメージそのもの。
そう考えた時、やはり暗い顔より明るい顔。明るい顔となると笑顔。
ぱぁっと周りを明るくするような笑顔が合う。
そのことに気が付いた時、れみーにょが選ばれた理由が分かった。
実際、演じているところを観ていると、その姿は笑顔が多い。笑顔にも色々な形があるが、それでもほぼ笑顔。
そこには台詞もいらない。それだけで、マリアンヌがどういう人間か伝わってくる。加えて、握手のシーンなどでもその表情で笑わせる。
筋力トレーナーという肩書も言っていたし、そこからあの握手シーンにつながるけど、そこに英語交じりでの会話でさらにキャラが確立していく。
余談だが、偶然に舞台前後の配信で、れみーにょ自身の笑顔の裏にある想いを知ることができた。その上であの笑顔を観たら、役を超えて本人を応援したくなった。
配信のアイガクで知ってから一年以上、話をすることは叶わず、舞台前に撮影会で初めて会って、そうしてからの初めて見る演技は、改めてあの時、笑顔に引き寄せられた気持ちが蘇ったし、力を貰った。
あの時、アイガクで逢えたことが本当に奇跡だったと思う。これからもその笑顔を観たいが…本人は真逆の役をやりたいようで・・。それはそれで観てみたい。
いや、もしかすると、真逆の役をやらせたら、その笑顔は更なる武器になるのかもしれない。あの笑顔で、あの無垢な表情でナイフを持たれたら・・ゾッとするかも。そんな姿を観てみたい。シェイクスピアの悲劇のような作品での姿をいつか・・観たい。
そして今回の作品、アリスインに初出演の大野愛さん。
ダンスラインと聞いて、これは楽しみだと思った。
彼女はデビューであるダンガンロンパの舞台でアンサンブルとして活躍していた。その時、着ぐるみを被って唯一出ていた顏も、白黒でペイントしていたが、その完成度の高さに惚れこみ、身長からかろうじて辿り着いて、ずっと応援している。
他にも、何年か経っても印象に残るダンスを見せてもらっている。今でも、聞かれたらいくつか挙げられるほど。
アンサンブルで見せた周りとの複雑でも連携のとれたダンスをみているからこそ、今回も楽しみで仕方がなかった。
そして劇中の役はと言うと、唯一の役割を持った役。人間らしい役。
人は涙を堪える。泣いてもいいのに泣いて見せない。その理由は自分のプライドや、亡くなった人に自分の強さを見せるためのプライド、そして、自分が泣くことで周りを心配にさせない、不安にさせないという思いやり。
まさにその思いやりが生んだものだった。
責任感が強いリーダーだからこそ、だが、それを冷たく感じ、そしてまた、その人の事を知っているからこそ、悩んで苦しむ。そんな役どころを、大野愛さんが演じていた。
この設定を知った時、正直、「なるほど、適役だ」と感じた。
一つ一つの仕草を丁寧に、そして台詞も出番少なくても、きっちりとその存在感は示すことに長けているからこそ、愛さんにはこの役が合っている。
この作品の中で、心情が動く役・成長する役は色々とあるが、変化する役は、彼女だけではないだろうか。しかしその変化は目に見えて大きく出ない。しかしその変化の過程を、少ない台詞と丁寧な演技で魅せるのが、自分の知っている大野愛。
この一作品ではもったいない。もっともっと、アリスインの舞台で、彼女の姿を観たい。
最後に、一つ、劇場で観ても台本を一度読んだだけでは分からなかったところが。
苺の心残りは、花梨とラインダンスを一緒に踊りたかったこと。それは花にとっても心残り。でも、その少し前、苺はスターの位置で、花梨は端の方だったという事が言われている。それもあり、花梨は辞めようともしている。つまり、ここで一緒に踊っているのではないか。そしてラインダンスは、誰か1人でも欠けたらダメだ、ということもある。つまりポジションは関係ない。そうだとしたら、ポジションは関係ない。一緒に踊るということは叶っているではないか。それがなぜ、心残りなのか・・・。
と、これが疑問だったのだが、今、自分で書いていて、ふと思った。
花梨が辞めようとした時に、苺が言った「私の代わりはいても、あんたの代わりはいないんだ」という言葉。無理やりだと思うけど、説得されて・・とある。ラインダンスは1人かけてもダメだと言いながら、この言葉。相反している。
しかしこれが無理やりでなかったとしたら。
花梨は才能があった。輝くものがあった。それを苺は見抜いていた。
自分がスターの位置にいるけれど、本当はそこは自分じゃない。花梨なんだ。ラインダンス、1人が欠けてもできないが、特に欠けたらラインダンスそのものに華がなくなってしまう。それがスターの位置にいるものだとしたら。全てが繋がる。
そして、苺は、花梨がスターの位置にいて、自分が別の位置にいる。輝きを放つ花梨の傍で、自分はその光を貰って輝く。
そうやって一緒に踊りたかったとしたら、それが正しい、偽りのない姿だと信じて踊りたかったとしたら。それは叶っていない。
だからこそ、心残りだったのではないか。
そんな風な結論に達した。
いずれにしても、やはり何回か観に行きたかった作品。それだけが悔しい。
でも、自分の中で大切な3人の共演が観られたことは、幸せな時間だった。
そして観終わった後に感じた「ラインダンス」と「ダンスライン」の違い。その意味が身に染みて分かったことはいうまでもない。