演劇「激流ノ果テ」感想
「若者が死に急ぐ世の中」
この作品は、この言葉の意味合いを、正反対の意味で表現していた。
物語は終戦間近。深沢優希さん演じる向島妙子が、記憶を失ってしまうところから始まる。
表現が正しいか分からないが、村へ戻ったものの、誰の事も思い出せない。
戦争で食べるものがない時代。この村の人たちは温かく、記憶を妙子のこともしっかりと支える。
この時、妙子は、妙子ではなかった。転生した咲良だった。
何か、ただの記憶喪失ではない。もしかしたら、というのは割と早い段階で察しはついた。
ただ、咲良に何があったかまでは分からなかった。
咲良は自殺しようとした。死に急いでいた。ところが、転生して、妙子の中に入った。妙子として生きた。
妙子として生きる咲良は、笑顔が溢れる少女だった。周りも、その姿に違和感を感じていない。妙子自身も、笑顔が絶えなかったのだろう。その妙子は、戦争の中で未来に絶望し、死に急いでしまった。
観劇中も、そして全てが終わった後に刺さる塚田の言葉。
「未来は行きにくい世の中なのか」
この言葉を噛み締めながら、この物語を振り返った時、今を生きる自分たちは、塚田のように、この国を守ろうとした人たちに胸を張って、今の日本のことを話せるだろうか。そんな風に思う。
記憶を失ったはずの妙子。笑顔が印象に残る。記憶を失って不安だろうと皆が心配する中、それを感じさせないだけの笑顔。あの笑顔があるから、皆、妙子に優しく、そしてこの戦火の中でも元気でいられる。そんな笑顔でないといけない。
そう感じた時、演じている深沢さんは絶妙な配役だと思った。
深沢さんの演技を本格的に観るのは、今回が実質はじめてに近い。前回、「風に任せて」の時は、彼女の出演している回も観たが、その時はまだきちんと認識していなかったため、細かいところまで観ていなかった。
後日、ちょっとした縁で反対チームの公演を観にいった際にスタッフとして動く深沢さんと会い、とても感じの良い人だと思っていた。
そのイメージが、今回の妙子に被った。妙子は惹きつける何かがある。それは、劇中の世界で実際に触れ合う住民たちなら感じやすい。自分が深沢さんに会って感じたように。でもこれは演劇作品。観ている人たちに、人を惹きつける妙子を見せ、妙子の魅力を感じさせないといけない。
もちろん、それを演じるのが役者かもしれないが、そこには「役」貰ってもにじみ出るものがあればなお惹かれやすい。それが深沢さんにはあり、それがあの笑顔であり、表情であると感じた。
笑顔で人を惹きつけ、周りを元気にして見せたかと思うと、一転して目には力がこもる。応援したくなる。
そんな妙子に近い深沢さんだからこそ、できあがった妙子という人物は、より魅力的に映ったと思う。
そんな妙子だからこそ、和夫も惹かれていったのだと思う。和夫は絵にかいたような真面目な人間で、教えを信じて疑わない。その熱量は高すぎるほど。
竹ヤリの訓練への参加を、人を殺すことの訓練への参加を躊躇う妙子と君子に、自分の身を護るためとも諭し、参加を促す。ところが、参加初日、他の人たちに比べて早く、へばってしまう2人に対して、厳しい言葉を投げかける。それこそ、人が変わったかのように。
塚田はそれを少しひいた目で見ている気がした。
和夫の言うことは間違っていない。初日だから、それまで参加していた他の人たちに比べて体力的にも先にへばっても仕方がないところも同情の余地はある。現代であれば、途中から入ったもの、いきなり同じ訓練など無理だ、それで怒鳴るなんてパワハラだと炎上するかもしれない。
妙子たちに死んでほしくないから、あれだけ必死なのかと思ったが、そういう感じは見て取れない。翌日からの参加も禁じた時も、その様子はない。
そう。単純に、戦争というものが人を変えたのだと思う。本来の真面目さが、戦争という狂気の沙汰により、違った方向に向いてしまった。
自分を護るため、というものではない。1人でも米兵を殺すのだ、とその思いしかないように見える。
ところが、この竹ヤリの訓練シーン、妙子と君子以外の人たちを見ると、とにかく表情が全く違う。護るという概念ではない、殺すという概念が見せる表情。
それが周りにあることで、和夫の言い分が正しく、休みたいなどという妙子たちは「不真面目」「緊張感がない」そう映ってもおかしくない状況になった。
そんな和夫は終盤、妙子を護ろうとする。その前には、美佐も護ろうとする。そして護れなかったことに自責の念を感じる。これが本来の和夫の姿なのだろう。優しい人だ。そう感じさせる。だからこそ、妙子も和夫に惹かれる。
そしてその和夫が亡くなるシーン。ああ、これは、和夫は逝ってしまうだろうと容易に想像がついた。だからこそ、深沢さんの演技に注目していた。
あれだけ、笑顔で明るくし、子供2人との絡みもあり、更に和夫との関係も幸せが見え始めていた時の、大きな哀しみ。
その哀しみを、どのように表現するか。正確に言うと、泣き叫ぶだろうと思っていた。それをどう表現として見せてくれるのだろう。
今まで、色々な作品で同様のシーンを色々な人が演じるのを観てきた。今回は特に、笑顔が印象的な妙子だからこそ、このシーンがどう表現されるか、どれだけの明暗の差を創り上げるかで大きく印象が変わると思っていた。
八幡空襲から護ろうとしていた妙子。それでも決意する和夫と塚田の2人。止められないと分かっていた。祈るしかなかった。
それが想定外に、まさか自分のせいで失った命。守るどころか、守られてしまったために死に追いやってしまった。
そんな想いが載った妙子の慟哭。
正直、それにふさわしい演技だった。観ていて、聞いていて、一気に感情が自分の中で溢れる。そこに強い風が吹いたかのようなパワーを持ちながら、心に染み入り、忘れられない叫び。深沢さんの演技に、ため息が出た。感嘆のため息。
慟哭の瞬間、それまでに見せて来た笑顔や明るさが、より哀しみを深いものにしてくれた。
そしてこの瞬間、深沢さんのことを、もっと好きになり、応援したくなった。
この物語には、もう一つの軸がある。
それが柳家の物語。
回天で死に行くことを誇りと思っている。上官は、恩義を感じている人の息子だろうと、「生きて」という言葉を口にしない。
「歳をとってからできた子供だから」と聞いても、その決意は揺るがない。
銀次の想いはもっと強い。死ぬことが誇りで、正しい道と信じて疑わない。
和夫といい、これが当たり前の時代。そうまでしたかったのは日本の未来のため。
だからこそ、塚田の「未来は行きにくい世の中か」という言葉が刺さる。ここで行きにくいとなれば、今、自分たちがやっていることはなんだと自暴自棄になってしまったかもしれない。
いや、でも、それでも良かったのかもしれない。そうなったら、もしかしたら、八幡に行くのをとめられたかもしれない。そんな風に思ってしまった。
この時代の若者も死に急いでいるのだが、当然、その感覚はない。現代から見ると、死に急いでいる、それも喜んで死に急いでいるようにしか見えない。
現代は、死にたくて死に急ぐわけではない。同じ死というものに対して、ここまで変えてしまう。
戦争というものは、死を身近にする。
身近な人の死を、それも殺されるという形での死を目の当たりにして感じる。それにより、少しずつ感覚も狂い、「守るため」「未来のため」と、人の命も軽く見る。そして、挙句の果てに、自分の命で、これ以上、身近な人の死を防げるならと、正義感に駆られて命を差し出す。
戦争は、今、この時間に行なわれていても、どこか遠い世界のように感じてしまう。もし自分が戦争の真っただ中に放り込まれたら・・やはり、和夫たちのようになってしまうのだろうか。そんなことをふと、思う。
そして物語は、現代へと時を戻す。
中島明子さんは、だいぶ前にその演技を観てから、一度会って話したこともあるけれど、座プロローグでの演技を見ると、その演技力の高さを改めて感じる。他の作品では、元気な女の子、という役でそれはそれで可愛らしく観ていて元気を貰えるが、個人的にはホームグラウンドでの演技が好き。
今回も、終始、咲良として見守る。本編開始前に姿を見せ、1人演技を見せ、ほぼ出ずっぱりという役。それが最後に、「咲良」として演じる。
そして咲良がその姿を全面的に出した事で、妙子は本来の妙子に戻る。この瞬間、深沢さんの演じていた妙子は、咲良から妙子にと変わる。
そして妙子が書いた手紙を読むシーンで姿を見せた妙子。その時見せた微笑みは、咲良としてのそれとは少し異なっていた。同じように優しい笑顔なのだが、「あ、違う人だな」と思わせる笑顔がそこにはあった。意識的に分けていたのだろうと推測するが、最後、このシーンでの深沢さんを観る時には既に安心感みたいなものがあり、こちらも微笑んでしまう感じだった。
昨年、ひょんなことから縁ができた深沢優希さんだが、今ではその縁に感謝。その前に、配信バラエティのアイガクでも拝見していたけど、やはりその演技の質の良さは、磨き上げられたものを感じた。
これだから、劇団東俳の舞台は楽しい。
演出も、小道具と光を組み合わせたものは昨年同様、今年も凄くきれいで目を奪われた。一方で防空壕を、ああいう形で見せてくれることにも驚いた。
これからも観に行きたい。
とりあえず、BD予約したから、またこの作品に触れたいと思う。